東淀川区は日の出、飛鳥、西中島という同和地区と呼ばれる地域が3つ隣接するエリアを有している…というのは、田畑龍生・元大阪市都島区長が大阪市に提出した論文の中の一文である。この論文は後に問題とされ、修正されたのだが、東淀川区の西の端、新大阪駅近辺に同和地区があることはそれくらいよく知られている。
ただし、この記述には決定的な間違いがある。「日の出」(あるいは「日之出」)および「飛鳥」が同和地区なのはその通りだが、「西中島」はそもそも東淀川区ではなく淀川区であり、東淀川区のもう1つの同和地区は「南方」地区である。地名で言えば、大阪市東淀川区東中島2丁目及び1丁目の一部がそれに相当する。
その前に、以前の中崎西部落の探訪で行き忘れた場所に行ってきた。
こちらは、公民館であった旧済美会館。建物ごと民間に払い下げられて、今は美容院になっている。公民館の面影が残る、レトロな建物がそのまま使われているところが中崎らしい。
さらに、民家の2階をくぐれないと入れない、珍しい路地には2つの井戸がある。これらの井戸は共同井戸で、今でも現役で、植木の水やりなどに使われているという。ただし、飲むことはできないそうだ。2つ目の井戸には、見るからにカナケが浮いていた。
もう1つ、中津探訪記事で中津会館ではないかと書いたこの建物。近所の住民に聞くと、これは中津会館ではないとのことである。
住民の証言により、この角地の駐車場に中津会館があったことが確認された。
ただ、「10年の歩み」にある中津会館の写真は明らかに角地ではない。また、あそこまで外見が似ているのは偶然ではないだろう。可能性があるとすれば、そもそも「10年の歩み」が誤っているか、「10年の歩み」が書かれた後に中津会館が古い建物を残したまま移転したか、そのどちらかであろう。さらに謎を残すこととなった。
なお、許永中が育った中津の朝鮮部落はここではないかと推定される。表札をみるとコリア名がいくつか見られた。
さて、それでは南方探訪に戻ろう。せっかく「西中島」の名前が出てきたので、探訪はこの駐車場からスタートした。ここは、かつての「西中島駐車場」、今は「大阪駅南第2駐車場」になっている。この駐車場の曰くについては、また別の探訪で触れることにしよう。
この道路が南方部落のど真ん中を突っ切る道路…と言われても信じられないであろう。都会らしいマンションやオフィスビルが立ち並んでいる。
1935年の記録では南方部落の世帯数は200、人口は1000。2003年に作られた大阪市人権協会の「50年のあゆみ」によれば470世帯、951人である。
ただ、大通りから少し外れると住宅地もあり、やや空き地が目立つ。
こちらは、南方南公園。
1980年代の新大阪駅周辺と言えば、家電製品だけでなく自動車まであちこちに不法投棄されていた。いまではほとんど一掃されたが、今でもこのような風景が少し残っている。
南方には解放会館、青少年センター、浴場(ゆーゆーファミリー)があったが、全て取り壊されて土地は民間に売却され、今は跡形もない。
同和地区の面影を残すのは公営住宅で、一部の土地はコインパーキングとして活用されている。
このお寺は地区の東端にあり、ここから先は別の同和地区「飛鳥」地区である。
鳥取ループ氏の謎を解明しよう!
1.中津会館の建物の閉鎖登記簿の保管期間は30年だが、おそらく管轄の大阪法務局北出張所のオンライ ン化の11年7月より前の取壊しであろうから、管轄に請求しても「建物番号不明・滅失年月日不明では閉鎖 登記簿は年月日順で綴り込みのため調査不能」との返答しか得られないと思われる。
2.中津会館と疑われた家は現存しており、どこの法務局でも登記事項全部証明書の取得は可能。地番・家 屋番号については法務局に素人を装い、下手に出て聞けば住居表示を言えば教えてもらえる。分筆等の
関係で地番と家屋番号が不一致の場合があるので、両方とも必ず教えてもらうようにする。
登記事項証明書にはオンライン化後の登記簿の内容が記載されており、更に追跡が必要な場合は「コン ピュータ化に伴う閉鎖登記簿謄本」を管轄法務局に請求する。返信封筒を同封すれば、郵送で請求可。
仮に、既存の建物がそのまま地番の違う場所にそのまま移転した場合は登記原因がおそらく曳行(えいこ う)移転と表示されるから、登記簿上の登記原因と所有関係の動きで事実関係は確認できる。
そこまで中津会館にこだわるのであれば調べてみます。今しばらくお待ち下さい。