先日、武ハイムの話題をお伝えしたが、この武ハイムのルーツとなったのが、林部落である。武ハイムは当初は林部落住民の住環境改善のために建設された。
武ハイムから県道26号線を海に向かって進むと、途中に「武山市民プラザ」がある。ここは、実は武ハイムの建設候補地だったという。さらに進むと、別名「林ロータリー」とも言われる、林交差点に突き当たる。
ここが林交差点。ロータリーとは言っても、最近流行りのラウンドアバウト(環状交差点)ではない。自動車でぐるぐる回ることはできないので、要注意だ。
ここは路地というより、横丁で、一見さんには入りづらい店が並んでいる。
ここは、武ポンプ場。1974年に水害対策のために建設されたという。「ドローン禁止」の注意書きが有る。裏を返せば、ドローンで撮影した人がいたということか。
さらに進むと、畑と住宅が入り混じっており、地元野菜の直売所がある。この日は美味しそうなキュウリが青々と実っていた。
古い農家があり、道が徐々に細くなっている。この日はスーツを着た不動産業者らしき人が、あちこちの家を廻っていた。土地の買い取りの交渉のためだろうか?
そして、公園にたどり着いた。この公園の周辺が部落で、1934年当時で32戸だったという。
公園の周囲には細い道があり、たしかに部落の面影がある。
神権連の機関紙『人権のとも』2007年12月15日によれば、部落には白山神社があるという。しかし、公園の周囲を散策しても一向に見当たらない。
「この近くに祠のようなものがなかったですか?」住民に聞くと、「あったけど、昔のことだよ」と返事が返ってきた。
「ほら、あの無人販売所のところ」
公園の隣に野菜の無人販売所がある。昔はここに白山神社があったそうだ。
『人権のとも』に掲載された写真と見比べると、確かに周囲の家の壁や窓やフェンスの形が一致している。
その後白山神社は公園の近くの、この茂みに移されたというが、ここにも白山神社の姿はない。
グーグルアースには緑色の屋根の神社の姿が見えるので、本当にごく最近まであったのだろう。さきほどの写真でブロックが新しくなっているところが、白山神社のあった跡だ。
近所の人は証言する。
「もう誰も管理する人がいなくなったから、お寺に返したって」
そのお寺はどこなのか聞いてみたが、「そこまでは知らない」ということだった。
ところで、この林部落には大正天皇にまつわる逸話がある。現在、海上自衛隊武山駐屯地になっている場所は、かつては林部落の一部だった。この海岸からの眺めが美しいと聞いた大正天皇は、わざわざ景色を見るためにこの地を訪れた。そのことを記念して、この場所は「御幸浜」と名付けられた。
その御幸浜の海岸は、残念ながら一般人が入ることが出来ない。しかし、基地の隣の富浦公園から、海岸の景色を眺めることが出来る。
この日は雲が出ていて、空気がやや霞んでいたが…
実は筆者は一昨年の元日にここを訪れて写真を撮っていた。条件が良ければ、このように富士山まで見渡す事が出来る。
明治時代の地図を見ると、林部落と現・海上自衛隊武山駐屯地は元々かぶっていなかったように見えますが、どうなんでしょう。
http://ktgis.net/kjmapw/kjmapw.html?lat=35.20951467789132&lng=139.6410938316651&zoom=15&dataset=kanto&age=0&map1type=roadmap&map2type=roadmap&dual=true&mapOpacity=10&altitudeOpacity=3
私はそれも気になりました。しかし、「ドキュメント差別糾弾」という本には、基地の建設で林部落の一部が押しのけられたようなことが書かれています。
話が誇張されている可能性もあります。
海上自衛隊の基地は帝国海軍の時代から教育を担う海兵団が存在していたようですが、部落が押し退けられたというのは何年ごろのことと主張してるんでしょうかね
それにしても自衛隊の基地、駐屯地の付近って部落だったり、いわゆるややこしいところが多いですね、ウトロとか。
部落が押しのけられたのは昭和初期のことだそうです。
初めまして。武ハイツには二つ集会所があり、一つの入口脇に祠のようなものがありますが、林にあった白山神社絡みでしょうか。
横須賀海辺路地は、幕末にピークになった海防による動員ですかね。海防ならば、旧帝国海軍も海上自衛隊もかなり目的が被りますね。
すみません、武ハイムの祠の由来は何なのか分かりません。ただ林の白山神社とは関係ないと思います。寺に納めたと聞いていますので。