曲輪クエスト(445) 京都市 錦林地区

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By 宮部 龍彦

この地区は、『同和地区精密調査報告書』(昭和50年3月 内閣総理大臣官房同和対策室)に「錦林地区」として詳述されている。同書はかつて古書店等で売られていたことが国会で問題とされたが、現在は米国ミシガン大学の日本コレクションに所蔵されているものがGoogleブックスに全文公開されているのを見ることができる。

当時の調査によれば同和関係世帯数は231、人口は798であったという。

この天王町交差点からクエストを開始した。地区名に錦林とつくが、これは戦中まで存在した錦林学区あるいは現在の錦林小学校区に由来するもので、錦林小学校区が同和地区というわけではない。『同和地区精密調査報告書』によれば当時から鉄筋の公営団地があって周囲と異なった景観をしており、同和地区の境界は極めて明白であるという。

地区の改良は早くから始まっており、1951年の「オールロマンス事件」を契機として、1952年に既に12戸の同和住宅が建設された。

記録映画『私たちの手で 住宅地区改良事業・農村同和篇』には、明らかにここであることが特定できる映像が出てくる。

月日が経ってはいるが、往時の面影が残っている。

古村が成立したのは江戸時代初期で、祇園神社の下級神官を務めた犬神人に由来するという説がある。古村は「鹿ししたに」と呼ばれた。現在は鹿ヶ谷高岸町。

近くには住友家が蒐集した美術品を保存、展示する泉屋博古館がある。

この地区は、亀井文夫監督作品『人間みな兄弟 部落差別の記録』の冒頭にも出てくる。「道がある。その道が細くなったところに部落がある」というナレーションで始まる、上の風景。

まさにその映像の場所を撮ってみた。今は道が広くなっている。泉屋博古館は手前にあるので、そこは部落外ということになる。

映像の石柱には光雲寺と刻まれている。これは臨済宗の寺で、部落の寺ではない。

道が細くなっていた場所には今でも民家がある。ただ、『同和地区精密調査報告書』によれば同和地区内は鉄筋の団地になっていて境界は明確なはずなので、ここは同和地区外であろう。

右側が空地になっているが、これは古い団地が取り壊された跡である。つまり、ここが同和地区の範囲だ。

ただ、浴場は残っている。入浴料は550円で、特段安いことはない。

ここにあるのが「京都市左京東部いきいき市民活動センター」。かつての錦林隣保館である。

人権・同和と言った掲示物はもうないし、同和事業も忘れ去られていくのだろうと思ったが…

公園での遊び方の注意書きに、下の2行を加える必要性がよく分からない。

宮部 龍彦 について

ジャーナリスト、ソフトウェアアーキテクト。信州大学工学部卒。 同和行政を中心とする地方行政のタブー、人権ビジネス、個人情報保護などの規制利権を研究している。「ネットの電話帳」管理人。

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