今回も『京都府未解放地区の生活実態 : 調査報告』に掲載されたデータを示す
年代 | 戸数 | 人口 |
---|---|---|
大正10年 | 38 | 310 |
昭和10年 | 55 | 324 |
昭和15年 | 62 | 364 |
昭和25年 | 101 | 529 |
主要職業内訳
職業 | 人数 |
---|---|
農業 | 58 |
工業 | 1 |
商業 | 4 |
運輸業 | 13 |
その他 | 25 |
ここを訪れたのは、精華町にお住まいだった方から、少し前の印象深かったことについてお便りを頂いたからだ。

この「ほうその運動公園」から探索を開始した。

祝園の古村は「東」という地区で、役場関係で言えば、明らかに税制面で優遇されていたという。行政番号16番と言えば、役場の人間なら覚えがあるだろうということだ。

現地を歩いていて特に印象深かったのが、この公園。草が生い茂っている。訪れたのは冬の寒い時期ではあったが、夏から放置しないとこうはならないだろう。公園が使われていないということでは。

公園近くには団地形式の町営住宅が。

この辺りの小字名は「佃」であるが、昭和初期から通称は「東区」。また『部落問題・水平運動資料集成補巻一』に掲載された「大谷派地方関係寺院及檀徒に関する調査」には「相楽郡祝園村東垣」として掲載されている。大正時代の戸数は38。しかし、この大谷派の資料には寺名の記載がない。


実際のところ、寺は村の中にあるのだが、見ての通り大谷派(東本願寺)ではなく、本願寺派(西本願寺)である。

特徴的な色と形の隣保館がある。名称は「精華町人権センター」。「わかば児童館・教育集会所」が併設されている。

10年くらい前までは、年に1回、ここで出張確定申告受付があったという。もともと町民向けの確定申告受付はあるのだが、「東」だけのために特別に設けられていたという。

過去の精華町の広報を見ると、申告受付期間の初日が混雑するのは分かるとして、途中にも混雑する日がある。これは出張する職員が出る分、町役場の人手が減ってしまうからということなので、信憑性の高い話だろう。もっとも、最近の広報にはこのような記述はないので、出張申告会は今は行われていないということだろう。

そんなことなので、今はともかく、過去には確かに税務上の優遇はあったという。

住民は多様で、精華町の幹部にもこの地区の住民は何人かいたが、とても良い人だったという。ただ、地区の生活保護者はなぜか素行の悪い人が多く、町職員を使い走りにして酒を買いに行かせることもあれば、なぜかアポ無しで町長に会えるような人もいたという。

この古村については印象深いことが多く、地区の町議会議員がいきなり男に殴られたり、「差別発言」をした老人が糾弾されて病院送りになったりした事件もあったという。

当然、町役場では職員が解放同盟の行事に動員されることは毎度のことだった。公務扱いで公用車が使われることもあった。

歩いていると、建物も多種多様である。新しめの団地もあれば、古い団地もある。持ち家も古いのと新しいのが入り混じっている。

これは少し大きな団地。ここがもともと38戸の村だったにしては多すぎないか。後で人口が急増したのだろうか。

ニコイチ住宅もある。


廃墟となった商店もあるが、営業している店の方が多く、意外に活気があると感じた。

印象深かったのは、殺風景なこの建物。

何と、お好み焼き屋として営業している。来た時はたまたま休業日だったのが残念だ。やっていれば間違いなく入っていた。

この空き地が気になった。何か焼いた跡があるのは、正月なのでどんど焼きの跡だろうか?
「武埴安彦破斬旧跡」と彫られた石柱があり、調べてみると古事記にも出てくる「武埴安彦命」が戦に敗れて斬首されたと伝えられる場所であるという。

ご覧のように、田畑に囲まれた川沿いの住宅地である。ただ、祝園駅に自転車で通える程度の距離にあるせいか、あまり寂れた場所には感じなかった。
これは味のあるお好み焼き屋ですね。
定休日かぁ、非常に残念です。
この佇まい、マニアの人はこれを見て行くのではないかな?
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Googleマップでもレビューが付いてますね。機会があれば行きたいです。
いつも拝見させて頂いています。
撮影機材のレンズを清掃されたほうが良いかと。
折角の貴重な取材成果の映像資料ですので。
よろしくお願いいたします。
この手の地域で話を聞くと「団地内で壁をぶち抜いて~」という話をよく聞きます。
ただ、関西でしか聞かないのでひょっとして関西では鉄板のネタなのかなと思いました。
実際にそんな壁をぶちぬいた部屋って見たことありますか?個人的には眉唾です。
ぶち抜いた部屋の中を直接見たことはないのですが、明らかにニコイチをつなげて1戸にしているのが外観から分かる例があります。
あと、奈良では公式に団地の壁をぶち抜いて貸している例があると聞いたことがあります。古い団地は部屋がせまくて、1部屋だけだと家族向けに貸しにくいので、わざと2戸を連結したそうです。
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ニコイチのは実際に見たことがあります。
マンションタイプの団地で壁に穴あけるというのはベランダにある隔て板をぶちぬいて繋げているいる家のことかな?と思っていましたが、深く聞き取りをしていると長田区番長と尼崎市の守部と東大阪の荒本では部屋の中の壁をぶちぬいている家もあると聞きました。
よくよく考えたらマンションでも隣部屋との壁はコンクリとは限らないからぶちぬくのもできなくはないですね。