今回のクエストは、以前の記事「三重県教員による「部落差別」 その真相を追う」の解決編ということになる。端的に言えば、筆者は文献調査等によりその場所の特定に成功した。そして土地の持ち主にも会うことができた。
今回は特別編ということで、問題の核心をレポートする。核心というのは、その古村がどこで、どのような地域なのかということである。
その場所はどこか? はっきり言えば、三重県伊勢市御薗町長屋、現在は「中長屋」と呼ばれる地域である。『三重県部落史料集』によれば明治初期から昭和初期にかけて23~24戸と、戸数はあまり変わっていない。主に農業でその他の仕事もしていたようである。かつての地名は「向山」。YouTubeライブでコメントを頂いたが、国道42号線沿いのケーズデンキの近くがそう呼ばれていたそうだ。
「伊勢市ハートプラザみその」付近から現地にアプローチする。
ところで、なぜ事案の対象となった具体的な場所を特定する必要があったのか。理由を一言で表すなら、本サイトがこの問題の報道のイニシアチブを取るためである。
「差別を解消し、人権が尊重される三重をつくる条例」にもとづく説示を受けた事例第一号が小学校教員夫婦であり、「被差別部落」であることを理由に土地の契約を解除したことが原因というニュースは、三重県の発表ほぼそのままで各社が報道した。
その土地がある古村はどこなのかは発表されていない。それだけでなく、後に教員に対する減給処分が発表された際に、三重県教育委員会は通常は発表する、所属学校と市町名も発表しないという異例な対応をした。その理由を教育長はこう説明している。
近年、被差別部落を訪問し、個人住宅や地域の施設を許可なく撮影した上、差別心を煽る演出を施し、動画投稿サイトに投稿するという悪質な行為が確認されています。このように、土地の所在を暴こうという動きは県内外にあり、それを支持する一定層が存在します。こうした中、市町名や勤務校名を公表すると、この土地はどこにあるのかと詮索が行われ、不当で差別的な動きに刺激を与えてしまう恐れがあります。
しかし、それはおかしい。情報を減らそうが詮索されることは変わりない。「部落差別」に関わる事案となれば、情報を出そうが出さまいが、それは具体的にどこのことなのか多くの人が興味を持つであろうことは分かっているはずだ。
また、単なる好奇心だけ問題ではない。未だに根強い部落差別があると言われているが、珍しくその事例が出てきたと思ったら、「差別者」とされたのは何と比較的若い教員夫婦である。因習に凝り固まった古い考えを持つ市民なのかと思ったら、それとは正反対の、むしろ行政による新しい「啓発」を受けてきた世代ではないか。なぜこうなるのか、解明されるべきだろう。
また、本サイトとも『全国部落調査』とも無関係であることもはっきりした。『全国部落調査』には旧御薗村の向山ということまでしか書かれておらず、筆者のクエストも未了であった。
具体的にどこかということを書けるのは本サイトだけである。そして、三重県、三重県教育委員会は本サイトに特に反論しないし、報道各社も何も言えないのではないか。地名を特定できないという縛りがある中で、どう書いていいのか分からないし、何よりも再び話題になることで本サイトが注目されることを恐れているはずだ。そのような意味で、本サイトがイニシアチブを取れるのである。
教育長の説明は、教員がどこの誰なのかということが地域を特定するキーとなることを暗に認めている。筆者が特定に至る具体的な経過は伏せておくが、旧御薗村にたどり着いた時点で、対象となる古村は1つしかない。前述の通り『三重県部落史料集』に記載があり、さらに明治期の地図や航空写真から具体的な場所の推定が可能である。
かつて、この辺りは明らかに家が密集していた。そのことは、農村において農業以外の仕事をしていた村であることを示唆している。また、名字の傾向が周囲と違うことも手がかりになった。
しかし、土地が売りに出されるだけあって、今は新しい家が多く、まさに建売住宅が売り出し中である。
『三重県部落史料集』によれば、江戸から明治になった直後、伝染病が流行ったので斃れた動物は焼却するように、当時の度会県から穢多がいる村に布告が出ている。その村に長屋村が含まれる。
付近の住民に、聞いてみた。例の教員の話をすると「ああ、ここだったのか」という反応をされた。確かにここは昔は「被差別部落」と言われており、周囲は田んぼや畑だったのだが、ごく最近になってどんどん新しい家が建っているのだという。昔から住んでいる住民は、もう半分以下になっているのではないかというのである。
立派な公民館がある。ただ、これは昔から公民館で「同和対策」ということは全く聞いたことがないという。
古くから住む古老に聞くと、「ああ、確かにこの辺を「むこやま」と言った。だけどそんなのは戦前のことで、年齢で言ったら90歳くらいの人の頃の話だぞ」という。
「御薗村は同和だのそういうのはしていないな。部落というのも80歳くらいでも知らない人は知らないんじゃないか、俺はたまたま知っとったけどな」
周辺には伊勢市役所の支所があり、様々な公共施設がある。御薗村の時代には役場があり、ここが村の中心部だったのだろう。小学校も近く、住むには便利のよいところである。
上長屋、中長屋、下長屋とあるが、それぞれに分け隔てがあることはなく、上長屋や下長屋の子供も、よく中長屋の公園で遊んでいたという。
ただ、誰とは分からないが、あそこは部落だと教員に言った者がいることは十分に考えられる。筆者はその土地の特定に成功したのだが、確かにこの近辺にある。なお、行ってみると家が建っていたので、別の誰かに売れたのであろう。教員夫婦は買っておけばよかったのではないか?
筆者は教員夫婦への取材を試みたが「警察呼ぶぞ!」と追い返されてしまった。しかし、土地所有者への接触には成功した。やはり、本人も「部落」については何も知らず、そもそもそのような認識もなかった。
「部落なんて、事実無根のことだよ。子供の頃からあそこに住んでいたけど、特別にお金がもらえたということも何もなかったし」
『三重県部落史料集』を見せても「あ、そうなのか、でも私に聞かれても何も答えようがないよ」。
所有者としては、変な言いがかりをつけられて、面倒な客だからこちらから断ったという認識なのである。
様々な話を総合するとこうなるだろう。御薗町長屋には、近世に穢多村が存在していた。しかし、特に水平社などの運動もなく、御薗村は戦後の同和対策もしなかった。
言わば「寝た子を起こすな」という方針が続いて、当の住民で相当高齢であっても「知っている人は知っているが、関心のない人は知らない」というような状況になっていた。
そしてこの古村の、ある土地の購入を契約した教員に、あそこは部落だったと言う者がいた。なお、教員には子供もいる。教員は、哀れなことに「部落で生まれ育つと部落民と見なされて差別の対象になる」という解放同盟や法務省や裁判所のプロパガンダを真に受けてしまったのだろう。
解放同盟や法務省や裁判所の言う、差別をしないことは、「差別対象となることによる不利益を受忍すること」になってしまう。
ここは同和事業が行われなかった、いわゆる「未指定地区」であると推定される。怪しげな運動団体は存在しない。このような地域は、三重県内でも相当数存在する。例えば、クエストした場所では熊野市の有馬町がある。
しかし、解放同盟や法務省や裁判所は「住んでも問題ない」とは口が裂けても言わないのである。それを言ってしまうと、メンツが潰れてしまうからだ。
三重県教育委員会は従来からの「啓発」を漫然と続けることであろう。しかし、重要なのは中途半端な情報とプロパガンダを垂れ流すことではなく、事実をありのままに伝えることではないのか。
それが出来ないのであれば、終始黙っておくべきである。
別に同和地区に住むのは気にしない。
しかし同和で行政が歪んでいる地域には近寄りたくないですね。
話は変わりますが山北町の岸集会所の同和問題に関する掲示物がGoogleマップに登録されました。
掲示物の写真は投稿しても反映されませんでした。
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