学術・研究:部落探訪(258)千葉県 我孫子市 布佐

カテゴリー: 部落探訪 | タグ: | 投稿日: | 投稿者:
By 宮部 龍彦

昭和初期の我孫子市布佐に農業や皮革、草履製作をやっていた11戸の部落があったらしい。関東の部落と言えば白山神社が手がかりとなるが、少し調べたところで分かるのは、布佐にある竹内神社の境内に、どこからか合祀された白山神社があるということだ。そこで、その白山神社がもともとどこにあったのか、氏子の名字の傾向はどうかということを調べれば、分かるのではないかと考えた。

もう1つの手がかりは菊池山哉の『長吏と特殊部落』にあるこの記述。「布佐町布佐台に二三十戸のタマリと称する一部落がある」という。主業は馬の売買、つまりは博労をやっていたようだ。加えて斃馬の処理、草履作りをやっていたとある。斃馬で利益を得ていたということは、それは皮によるものと考えられ、昭和初期の記録とよく一致する。

これは竹内神社の掲示板。何から境内の土地のことで揉めていたらしく、和解調書が貼られていた。

大変歴史ある神社である。早速ここに氏子の名前が掘ってある。いずれの石碑も明治以前の古いものだ。この石碑が白山神社合祀前のものだとすると、引き算の理論で、ここに書かれた名前は白山神社の氏子ではないということになる。

ご覧のとおり立派な社殿がある。

境内には御嶽神社、神明神社、稲荷神社、三峰神社等がある。興味深いのは、それぞれに氏子の名前やどこにあったのかという来歴が彫られているということだ。であれば、白山神社の来歴も分かるかも知れない、期待が深まる。

そして、目的のものを見つけた。白山大権現とある。

刻まれた名前には石井、小山といった名字がある。この名字の分布を住宅地図で調べればよいのではないか。しかし、気になることもある。石井、小山という名字がさきほどの明治以前の石碑にもあった気がする。

もう1つ気になったのは、金毘羅大権現。白山神社と一緒に金毘羅さんがあるのは初めて見た。

まず、石井という名字が多い場所に行ってみると馬頭観音が。博労をやっていたなら馬頭観音があってもおかしくないが、しかし馬頭観音があるから博労をやっていたと言うことはできない。

近くのお墓の宗派は、天台宗のようで、どうも部落とは違う気がする。

明治期の地図では、この先の江戸川沿いに神社の地図記号があるのだが、堤防道路が出来ており、もう跡形もなかった。

さらに西に進むと廃墟があったが、ここも違うような気がする。

今度は菊池山哉の記述を手がかりに「布佐台」に行ってみる。

このクラシックなビートルがある家には「Koyama」とある。確かに竹内神社の白山神社には小山と彫られていた。しかし、菊池山哉によればタマリとは窪地のこと。辺りに窪地は見当たらない。

近くの人に出くわしたので「タマリ」を知らないか聞いてみた。しかし、そんな言葉は聞いたことがないという。小山さんが白山神社の氏子かということも、違うだろうという。ただ、「窪地」と「馬の売買」には心当たりがあるという。ややためらいながらに言うには、死んだ馬を引き取ることもやっており、四つ足を扱うことから「ヨツ」と言われていた場所があるというのである。

それは行かない手はないだろう。さきほどの場所からさらに西へと進んだ、布佐の一番西の端の場所である。この京葉銀行新木支店の近くだという。

この石柱を目印に、街道から脇道に入る。

ここに窪地があるのだろうか。街道側の方が低くなっているように見えるが。

そこで意外なものを発見した。神社である。よくある稲荷神社かと思ったら、明らかにそうではない。しかし、白山神社であれば竹内神社に合祀されたはずだ。これはどうしたことだろう。

辺りを散策すると、住宅地の一部がぽっかり空いて畑になっている。

ただ、現地が新しい家が建っていると聞いていた。新しい家が建っている辺りを歩いてみた。

ここだけ周囲より低くなっているような?

これは紛れもなく窪地である。建物があって分かりにくいが、この辺りだけ、土地がすり鉢状に低くなっている。

改めて、さきほどの神社を観察してみた。このような形の神社をどこかで見たことがある。海老名市の根村で見た稲荷神だ。あの時は白山神社とは無関係と思ったが『人権のとも』には稲荷神社に偽装された白山神社である可能性が言及されていた。ということは、これもあれも白山神社では?

そして、決定打がこれである。「根木内新田 丹羽甚七」と彫られている。根木内新田とは前回探訪した柏市豊住のことだ。あそこにも白山神社があり、氏子には丹羽姓が多かった。つまり、この神社は柏市豊住の白山神社から派生したものである可能性が高い。

竹内神社に合祀された白山神社は部落とは無関係だった。そして、菊池山哉が記録した「タマリ」とはまさにさきほどの窪地であり、この白山神社の周辺に博労を主業としていた部落があったことは間違いない。確かに新しい家が建って住民が入れ替わっているが、この白山神社に彫られた名前と同じ名字の家もそれなりに残っているように見えた。

宮部 龍彦 について

ジャーナリスト、ソフトウェアアーキテクト。信州大学工学部卒。 同和行政を中心とする地方行政のタブー、人権ビジネス、個人情報保護などの規制利権を研究している。「ネットの電話帳」管理人。

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学術・研究:部落探訪(258)千葉県 我孫子市 布佐」への22件のフィードバック

  1. 質問ほか

    ①>>何から境内の土地のことで : 「 何らかの」?
    ②>>大変歴史ある神社である。: 江戸・明治程度では歴史があると言うほど古くはないでしょう。律令期以前から神社はあるので。
    ③>>早速ここに氏子の名前が掘ってある。 : 〇 彫ってある
    ④>>よくある稲荷神社かと思ったら、明らかにそうではない。: お稲荷さんの置物が見当たらないからでしょうか?
    ⑤>>さきほどの神社を観察してみた。このような形の神社を : このような形とは?
    単なる一間社流造で一番ポビュラーなものかと思うのですが。
    ⑥根木内新田の丹羽さんが彫られており、関係があるのは間違いなさそうですが、
    それだけが根拠で白山神社と断定したのでしょうか?それとも聞き込みで確認が取れたのでしょうか?
    思い込みだけでならば、それでグーグルマップに地点登録されるのは如何なものかと。。。

    返信
    1. 啓発センター 投稿作成者

      いろいろとツッコミありがとうございます。形だけでは判断できないのですね。
      白山神社と断定した根拠ですが、実はもう1つありまして、グーグルブックスで白山、布佐、丹羽で検索すると、我孫子市史資料に白山大神としてこの神社が載っているようなのです。

      返信
      1. 研究員

        なるほどね、分かりました。豊住の方の一部はどうやらこの辺りに移っている様ですね。
        ところでグーグルマップの白山神社が道路を挟んだ他所の民家になっていたので、修正しておきました。

        返信
  2. 名無し

    というかですね、我孫子市の我孫子駅の南にはズバリ「白山」という地名があるんですけどそこはどうなってるんですかね?
    今昔マップを見ると昔は「根戸新田」って名前だし、白山神社も見当たらないんですけど。
    江戸時代の新田開発に部落の人たちが使われたという話も聴いた記憶があるんですけど、
    そこらへんも調べられないでしょうか?

    返信
    1. >>そこらへんも調べられないでしょうか?

      本気で知りたければ、せめてネットででも検索してみたら。
      我孫子市白山の白山神社も1丁目6番地にかつてあったと出てくるよ。

      返信
  3. 我孫子市史研究センター会報 第182号

    近世後期我孫子市域における番人について―その役割・身分― 竹森 真直

    …それとは別に農村部にも番人は居り、現我孫子市域もその例外でなかった。
    他地域では主に被差別民にその役が与えられていたが、我孫子市域においては
    百姓と考えられる者が番人役を務めている例が目立つ。…

     なお、市域においても番人役を被差別民がつとめていた例もみられ、
    そうしたものを指揮する「えた頭」も近在の都市部にいた。

    返信
  4. 菅四ジャイアンツ

    シラス放送のご案内・本日2/12(土曜日)よる19:50~

    配信URLはこちら→
    https://shirasu.io/t/aniotahosyu/c/aniotahosyu/p/20220212142052

    ☆当番組へのメッセージは基本的にお読みする方針ですので、長文の場合はこちらのフォームからお送りください。
    http://furuyatsunehira.com/%e3%81%94%e9%80%a3%e7%b5%a1%e3%83%bb%e3%81%8a%e4%bb%95%e4%ba%8b%e3%81%ae%e3%81%94%e4%be%9d%e9%a0%bc%e3%81%aa%e3%81%a9/

    ☆東日本ではなじみの薄い同和問題ですが、これを理解するために本番組を立てます。私は大学時代、この問題を研究する先生のゼミに属し、何年もかかって近畿一円をフィールドワークしました。

    現在、同和問題はいまだタブーとされ、特に東日本では同和といえばアンデルセンの方の「童話」を指すと理解されることが多いです。被差別部落への差別や偏見は解消傾向にありますが、とりわけ新しい問題としてネット上での差別書き込みが顕著になってきています。

    こうした新しい差別事例を含めて、差別のない社会の実現のため、同和問題の基礎を皆さんと一緒に勉強したいと思います。ちなみに同和とは「同胞融和」の略語で、この言葉自体に差別的意味合いはありません。

    ・本日のお品書き

    1)北海道出身の私が、同和問題に触れた契機
    ─現在も西日本で差別がある、は本当です。
    2)用語の整理、ネットのデマと陰謀論への整理
    3)士農工商●●は本当か?
    4)穢れの思想と食肉、皮革
    5)江戸時代の賤民─弾左衛門に付与された強大な権限
    6)解放令と被差別階級の没落
    7)全国水平社の結成
    8)水平社の戦争協力と組織消滅
    9)部落解放委員会から部落解放同盟へ─行政闘争の嚆矢・オールロマンス事件とは
    10)国策として推進された同和対策事業
    11)所謂『同和利権の真相』のヒットとその後
    12)部落解放同盟と全人連(旧全解連─共産党系)はなぜ対立しているのか
    13)「寝た子を起こすな」理論は間違いです

    ★視聴に際してのご注意事項─必ずお読みください★
    注*この放送は話題の特殊性を鑑み、冒頭で無料公開をいたしません。
    注*私の見解は、部落解放同盟や全人連(旧全解連)など、どの同和団体の意見も代弁するものではありません。
    注*この放送では、現在差別的とされる言葉が頻出しますが、歴史的文脈に沿ったものであり、やむなく使用する場合があります。
    注*すべての人間は、法の下で平等です。被差別部落や出身者への差別は厳に許されません。
    よって、本放送内では、私にとっては既知ですが、具体的な旧被差別部落の地名を書き込むことは「絶対に」しないでください。
    もちろん私から具体的な地名(県レベルの名前を言う場合はあります)は申しませんし、「●●県のどの地域ですか?」といった、その手の質問にも答えることはありません。そのような場合が散見されたときには、
    人権の観点からコメント者をBAN(削除)させていただきます。
    ★視聴に際してのご注意事項─必ずお読みください★

    *放送内容は前後したり、変更される可能性、途中でインターバルを挟む場合等があります。

    チャンネル概要はこちら
    https://shirasu.io/c/aniotahosyu

    返信
  5. 匿名

    船橋市出身の者です
    昔柏から船橋辺りに幕府用の馬を放牧する地がありそれを囲む土手を「野場土手」と言っていました
    現在は細切れになりひっそりと存在していますがその周辺に馬に因む職業があっても不思議ではないだろうなという感想です
    白井市にJRAの施設があるのもその名残かもしれませんね

    子供の頃近所に養豚場があり今になって思い起こすとその他でもそういう気配と言うかがあったように思います

    返信
    1. 匿名

      正しくは「野馬土手」です。
      幕府の小金牧の名残りです。
      Wikipedia見るとだいたいの範囲がわかります。
      戦後の開拓で開かれたのか、不思議と養鶏場、養豚場多いですよね。

      返信
      1. 匿名

        追記です。
        小金牧は開墾した順に
        初富、二和、三咲等
        13ヶ所の数字に由来する地名があります。

        返信
        1. 匿名

          野馬でしたね訂正ありがとうございます
          昔二和と三咲の近くに住んでいました
          咲が丘と高野台の境にもあり幼少の頃見た記憶がありますが消滅してしまいましたね

          その近辺に二件あった養豚場は廃業してしまいましたが数年匂いが残っていてその日の気分は風向き次第でした
          養鶏場は知っている限り一軒あってお使いで卵買いに行った記憶があります
          黄身が二つ入った卵をおまけしてくれたりして嬉しかったですね

          養豚場といえば現在跡見女子大学に程近い場所に住んでいて英インターの合流するループの近くにあるようでその匂いで昔を懐かしく思いました、確かその辺りも指定地区だった記憶があります

          長々と失礼しました

          返信
      2. Px

        横から失礼します。
        私も幕府の牧との関係を研究しているのですが資料がなくて(というか焼いてしまったのだと思うのですが)いろいろ小さいところから追ってる次第です。
        幕府の牧には相当数の馬がいたので、それらは当然ながら皮革産業にとっては重要な原材料であったわけですからね。

        返信

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