「部落は観光地ではない」と発狂する人がいるが、部落も観光地である。湘南・藤沢は街全体が観光地なので、当然部落も観光地に含まれる。旅行をする際、そこに部落があればぜひ訪れるべきであろう。
この「白山宮」から探訪を開始する。これは白山神社で、2000年頃には鳥居があり、「白山神社」と書かれていたという。
かつての部落名は「木部屋」あるいは「正木町」。1934年当時は33世帯の部落であった。
白山宮の社殿は「遊二自治会館」を兼ねている。これは、社殿が老朽化したために、2000年以降に自治会館を兼ねて建て替えられたものだという。
「遊二自治会」とは「遊行通り第二自治会」の略で、これが遊行通りだ。「木部屋」「正木町」の地名に由来するものは見当たらなかった。
白山宮から道を隔てたところに墓地がある。由井、中村という墓石が多く見られ、これらは日蓮宗である。墓地を見ると、他の宗派の墓石もあるように見える。融和しているということだろうか。
もはや部落とは分からない。中村という屋号の商店が多いように感じる。
由井は藤沢から横須賀にかけての部落に顕著に分布しているので、何らかの関連があるのかも知れない。中村は横浜市の六浦に多い名字だが、単に「中の村」という意味なので、特に関連はなく偶然同じ名字を名乗ったということもあり得る。
どことなく古くからの部落があった雰囲気は感じさせるが、アパート等が立ち並んでおり、21世紀に入ってから融和が加速しているようである。
一方で、工業地域のような一角もある。
物流業者のようだが、この屋号も「中村」だ。
比較的新しいマンションもある。
さらなる風景と解説は、動画でお楽しみいただきたい。
融和されている地域とそうでない地域を比較考証することでわかることもあると考えるのですが、リソースを持っている運動団体にその気がないので一向に進まないことを歯痒く思っています。
さて、11月に岡山で部落解放研究全国集会が開催されました。いつものように鳥取ループ裁判についての分科会があり、その資料の中で、部落探訪は「部落差別解消」を標榜しながらも、「差別をなくそう」などの呼びかけは一言もないという指摘がありました。
つきましては、ページのトップに部落差別を無くそうと訴えかける1文が必要かと思いますがいかがでしょうか。
部落差別解消推進と書いてありますけど、差別を無くそう、ということと何が違うのでしょうか
ループさんは、その言葉の意味を理解されており、解消に向けてアプローチを続けるているのかと思いますよ
そんなことがあったのですね。
それでは「部落差別解消推進」から「差別をなくそう」に変えました。
これで難癖つけられたら、また変えようと思います。
横槍ですが、「差別をなくそう」って書いてあると、なんだか嘘っぽく、安っぽく感じます。ただ明確な主張がされるのは良いことだと思います。
あくまで、個人の意見です。
部落の地名を出してはいけないが、部落解放のためなら許されるという屁理屈に対抗するためなので、安っぽくて構わないのです。
後日、纏めてから色々書こうと思ってますが、取りあえずは豆知識。
ここの「木部屋」は、”きびや”って読むらしいんですよ。
何故なのかは知りませんけど。
いつも勉強になります。恥ずかしながら私は知りませんでした。
馬堀の由井さんは鎌倉の由井さんとは関係無いよね?
そうなんですか?
小袋谷には行かないの?
弾左衛門の由緒書は小袋谷の由井家から伝わったと思うんだが。
人権のともの部落探訪記事にある鎌倉B地区のことでしょうか?
Sさん宅についてご存知でしたら教えて下さいませ。
「薪や枯れ枝、藁類を収容する納屋、木屋」のことを「きびや」と呼ぶ例は茨城県にも香川県にも愛媛県にもあります。鳥取県でもそうでしょう。
なるほど。全国的にそうなんですね。
何で訛ってるだろう、って昔から思ってましたよ。
由緒ある鎌倉の由井さんの分家だよね。
東の川沿いまで部落でハンコ屋さんが多い。
白山の西側は神奈中の子会社にかなり土地を買われている。
藤沢市善行坂1丁目に部落解放同盟があったね。
被差別部落の起源について
殆どの地区が中世の賤民(夙や河原者、おんぼうなど)由来であったり、職業的に近世以降造られた地区が多いと思います。
関東はあまり詳しくないのですが、関西では中世に賤民が居住していた地区が現在の被差別部落であるケース、また穢多村の周りに夙村や民間の陰陽師がいた村(大阪では同和地区に指定されていない)が置かれているケースがみられる。
部落の人が開拓もしくは入植してその地区が同和地区に認定されるといった近現代つくられた地区もありますね。
近世の賤民身分が古代の五色の賤と連続性がないといわれてますが、奈良県とかだと古墳の周りに被差別部落って多い気がします。
墓守であったり、記紀神話に関する伝承が残る地区というのもあります。
また幕末から戦前にかけて異民族起源説というのも出ました。
朝鮮出兵や渡来人の伝承がある地区も見られますが、被差別部落の起源は
日本のビバリーヒルズ・芦屋に隣り合って夙川というストレートな地名がありますが、もめなかったんですかね。
阪急電車に乗った時、夙川駅の際の桜並木がきれいで感動しました。
あのさ
何で神奈川県の部落の話で夙村の話になるの?
夙村だった玉出の名前を冠したスーパーの元会長が逮捕されたからかね?
夙川は本来の意味はほぼ薄れ芦屋に隣接する高いブランドを誇ります。
どちらかというとセレブな住民の印象です。
夙川の近くには産所町という地名や傀儡師発祥の地もありますが、芝村とは離れており、そのあたりに部落があるという話は聞いたことがありません。
加島のように東海道線の車窓から見えるように荊冠旗が立っているところもありますし、その場所が部落であることを隠したいのか知ってもらいたいのかよくわかりません。
「差別をなくそう」だ??
中韓バッシングや女性蔑視を臆面もなくやり続けているお前らが、何を言っているんだかwww
↑
解放同盟がいう「差別をなくそう」も単なる建前で本音は「被差別部落」「同和利権」の存続と継承を望んでるだろ、という示現舎の強烈な皮肉が通じない人もいるんですね。
なるほど
要は解同と同じ穴のムジナってことかwww
毒をもって毒を制す、という諺がありましてな。
今は藤沢市民ですが以前は夙川に住んでました。
小学生の頃 部落の授業が必ずありました。
でも、夙川は違います。
夙川は昔 川の流れが速かったそうです。
夙は速いという意味があるそうで 速い川→夙川という名になったと 聞きました。
最近気が付いたのですが、
小頭の墓に向かって左側のK姓は、小袋谷の3姓の内の消えた一つに当たるなぁと。
繋がりを考えれば、あながち間違いでもない気がしております。
ただ、住んではいないようですけどね。
ちなみに奉納品を見る限り、
喜平次の「喜」は、「七」の漢字を三つ合体した「㐂」が正式な様です。
777は、やっぱり嬉しいのですかね。
むかし藤沢住んでましたので懐かしい記事を有難うございます。下目黒2、西五反田、南品川についても是非お願いします。
いつも楽しく拝見させていただいております。
地元の特集ありがとうございます。
元々藤澤宿の旅籠の飯売女たちの宿地で本部屋(女郎の部屋、本間とも)から少しそのような直接表現を避けて文字から一本引いた地名だと祖母から聞いたことがあります。また近くに以前お針子の女学校があり、それは後に県立高校へと移行しましたがそこは近辺の嫁修行の場所でしたが以外に遊郭廃止後の女性も含めた職業訓練のようなポジションだったようです。
藤沢駅南部の辰巳町付近にあった小鳥街(旧赤線街)と呼ばれていた地域の女性型は衰退していた藤沢宿から女性が移動して生まれた場所だそうです。
#66b26e52b68d970762442d8f053c9d78
藤沢市内にて木部屋とは違いますが、他に被差別地域があったのでこちらに記載します。
市北部の長後地域下土棚地域は旅籠(駅商店街)地域からは下長後と呼ばれ差別されていたようで昭和でも多少差別意識はあったようです。
周囲下土棚白山神社もあるので確度が高い情報ですので、調べてみる価値があるかもしれません。
また長後の古い字である、長後宿中分小字丸山という、現在丸山自治会としか名前が残っていない地域も屠殺場で被差別を受けていたようです。
以上2点をご報告いたします。
#66b26e52b68d970762442d8f053c9d78
ありがとうございます。
藤沢市史資料には白山は下土棚の鎮守とあります。
https://dl.ndl.go.jp/pid/9523059/1/21
木部屋には長吏との記述はありますが、ここにはそういったものはないので別系統かも。