第2の人権擁護法案 「LGBT差別解消法」の最大の狙いは

カテゴリー: ウェブ記事 | タグ: | 投稿日: | 投稿者:
By Jun mishina

立憲民主党は11月、LGBTの人権保護や権利擁護を強化するLGBT差別解消法案の提出を表明した。内容はまだ不明だが、2016年に旧民進党、共産党など野党が提出した法案(性的指向又は性自認を理由とする差別の解消等の推進に関する法律案)の修正版との予想もある。同法案については第二の人権擁護法案と評する向きもあり、特に「罰則規定」や「表現規制」をめぐって保守派だけではなく、一部のリベラル派からも懸念が持たれる。しかし同法案が目指す最大の狙いは「罰則」や「規制」ではなく「根拠地」作りにあるのではなかろうか。つまり人権運動家たちの「活動場所」というわけである。

次期参院選に向けLGBT押しをする立憲民主党。レインボーで一点突破はできるか?

LGBT差別解消法案について「第二の人権擁護法案」と指摘されるのは「罰則規定」にあるのだろう。その点は大いに理解できる。しかし人権擁護法案とLGBT差別解消法案にはいくつか異なる点がある。それは人権擁護法案が検討されていた当時、日本共産党は反対の立場を取ったものの、LGBT差別解消法案の提出に加わっている点だ。勘のいい人ならばもうお分かりだろうが、人権擁護法案とは同和対策特別措置法が2002年に失効を迎えるにあたり運動体、特に部落解放同盟への代替案あるいは懐柔策という性質のものであった。つまり共産党が人権擁護法案に反対したのは解放同盟を意識したものだ。

なにしろ同特法が失効する直前はとにかく「糾弾集会」だらけであった。要するに失効後も自治体に対して同和事業を継続せよとの念押しとけん制いうわけだ。そこで浮上したのが「人権擁護法案」である。

それが如実に分かるのが日本聖公会が2002年11月に開催した「部落解放セミナー・フォロー・アップ学習会」である。学習会の報告についてはそのまま引用しよう。

 11月16日(水)~17日(木)の一泊二日で、三年前に解放セミナーの会場となった千葉県の久留里を再び訪れ、部分参加を含めて12名(内6名は部落差別問題委員)の参加者が与えられました。一日目に、鎌田行平さん(部落解放同盟千葉県連合会事務局長)からは、「人権擁護法案の動向と部落解放運動の今後」というテーマで、また小林康之さん(部落解放同盟・干葉県連合会久留里支部支部長)と小林享子さんからは、「法期限後の運勤と地区の生活」というテーマで、それぞれのお話をしていただきました。

―鎌田さんのお話―人権擁護するための所轄管掌は、法務省や検察庁などの政府関係から独立した機関が、これに当たる必要がある。人権が具体的に擁護されるためには、次の三つの柱が建てられることが必要。

①法的規制と救済する法制度
②是正措置―被差別者、少数者が擁護されるための罰則、罰金という是正措置が必要
③文化の改革―差別が生まれる文化の改革、人権が大切にされる文化の構築

これらの人権政策の三本柱を満たす内容をもつ期限の無い人権基本法を作っていかなくてはならない。

―小林泰之さん―同和対策事業で、奨学金を貰ったり、住宅が改良されることによって、みんなただで特別な処遇を受けているといわれ、かえってわたしたちに対する差別はひどくなった。そのとき以来、自分のクリーニング屋のお客は、殆ど来なくなってしまって、本当に細々としか仕事はできなくなっている。地域のために作られた集会所も、それを利用すると、自分たちも同和の人と同じだと思われるからと言って利用する人が少ない。お墓は、未だに改善されず、全く薄暗い、誰も今後利用することのないような、訪れる人もいなくなってしまうような状態にある。支部は、今は6世帯しかなく、この久留里の町の中で、運動らしいことも殆どできない状態である。同和ということを隠して、女の人は結婚している。40年代の男の人は、未だに、結婚できないままでいる。恋愛することはできない。自分の土地を消したいという理由で、土地を捨てた人もいる。同和対策事業によって解放され、大手を振り生活ができるかと思っていたが、全くそうでなく、その逆であった。

同特法下で投じられた税金は概算だけでも16兆円に及ぶ。同特法成立以前からも同和事業(改善事業)は行われてきたが、合算すれば16兆円以上だ。これだけ莫大な予算を投じた結果、かえって差別がひどくなったという。何をか言わんや、だ。そもそも解放同盟は同特法の延長を求めて運動していたはずだ。同和事業が行われた当時は「勝ち取ったもの」として誇示し、事業の「記念碑」「記念誌」を作った。現在でも隣保館では同和や部落を冠した「スローガン」を掲げる施設も少なくない。同特法が延長されていれば、このような小林氏の発言はなかっただろう。

だから延長なき後は罰則、罰金付きの法律、つまり「人権擁護法案」を求め、当時の自民党も「なだめる」意味で同法案を持ち出した。人権擁護法案も何が「差別」なのか明示されていない。同様にLGBT差別解消法案についても差別は定義されていないし、そもそも「行政機関等及び事業者」の事業者とは誰を示すのか分からない。とにかく拙速な議論で立案されたのは明白だ。

同特法失効の鎮静剤のように生まれた「人権擁護法案」に対して、LGBT差別解消法案は議員たちがLGBTブームに乗り遅れまいとの姿勢と功名心が透けて見える。あるいは一種のアリバイ法案とも思えてならない。議員の「仕事をしている感」をアピールしつつ、それでいて反論しにくいのがこの手の法案の特徴だ。

サヨクが規制を求める不思議な時代

LGBT差別解消法案が検討されてから保守・リベラル問わず「表現規制」を懸念する声があった。表現規制についてはLGBT問題に詳しい松浦大悟元参議院議員が11月30日、ツイッター上でこう投稿した。

仄聞するところによれば、LGBT差別解消法案は修正されず、ほぼ同じ内容で再提出となるとの事。そもそも表現規制ではないというのが立憲民主党の解釈らしい。大変残念だ。詳しくは国会提出時に行われる記者会見で説明されるはず。

同法案で表現規制が盛り込まれるのかはまだ不透明である。ただ「差別」の定義が曖昧なのに表現規制が議論されるというのも不可解な話だ。それに加えて最近、妙な傾向を感じている。それはLGBT問題に限らず、左派の政治家、法曹関係者、メディア・作家、学者、人権活動家らほど社会に対して強く「規制」を求めてはいないか? 本来、最も「規制」というキーワードに対して敏感であるはずなのにこと「表現」をめぐる問題については目を吊り上げ「規制」を連呼する。

普段、彼らは「反体制」「反権力」を謳うのに、少なくとも表現規制をめぐる問題については実に“体制的”な態度だ。ある時は権力と抗する闘士を演じる一方、しかし自身の意に添わぬ者に対して体制側の顔をするぬえのような人々だ。

他人の権利を抑制するということは自身の権利にも累が及ぶ、というのは起こりえること。にも関わらず彼らが「表現規制」を求めるのはなぜだろう? それはネットスラング的に言えば「ただし右翼と保守派に限る」というやつだ。すなわち規制対象は「自分の仲間以外」という算段があるからではないか。あれほどMetoo運動に躍起になった人々が自身らと同じ属性の人間が起こした「セクハラ」「性暴行」に対しては全く無批判だ。その現象に通じるだろう。また司法判断もごく普通に声の大きな者に軍配を挙げるという傾向がある。

だから仮に法案に表現規制が盛り込まれたとしても「鵺」たちにとってはどちらでもいい。表現狩りと吊し上げは「法令」よりもむしろ声の大きさの方が優先されまた有効なものだ。下手な法令よりもプラカードを掲げた活動家が大挙した方が、企業や行政のダメージと恐怖感は大きい。

むしろ「LGBT差別解消法案」が狙うものは「罰則」や「表現規制」よりも「根拠地作り」にあると予想する。すでに提出され廃案になった「性的指向又は性自認を理由とする差別の解消等の推進に関する法律案」における「性的指向・性自認差別解消等支援地域協議会」に本当の狙いがあるのではないか。

公的施設の占拠は「勝ち取った」ことの象徴

国内人権機関の組織案。運動家の雇用と居場所作りという側面もある。

左派、特に人権活動家は「勝ち取る」という言葉が好きだ。では彼らはどうしたら「勝利」を実感するものだろう。一つには人権擁護法案やLGBT差別解消法案といった規制法を制定させること、あるいは行政、企業に「謝罪」させることに生きがいとモチベーションを見出す。そしてそれ以上に重要なのが「根拠地」作りだ。例えば公的施設を「活動場所」としての使用を行政に認めさせること。これは最大級のエクスタシーだ。

人権擁護法案が検討された頃、同時に政治家、活動家や運動体らは「国内人権機関」の設置を訴えた。国内人権機関とはパリ原則(国内機構の地位に関する原則)を根拠とし、国連加盟国に対して設置が求められた組織である。現状はまだ国内では設置されていないが、要するに国内人権機関もまた「活動場所」作りにとっては格好の材料だ。人権擁護法案、また関係団体の国内人権機関構想を表で比較してみた。

民主党案の場合、委員の要件として「人権の擁護を目的とし若しくはこれを支持する団体の構成員」とあるがこれは紛れもなく人権団体を意識したものだ。また部落解放同盟・人権政策確立要求中央実行委員会案の場合、委員の「常勤」を重視している。表現を変えれば「専従職員」というわけだ。国内人権機関は国連からの要請の上、政府が設置する。つまり二重のお墨付きが与えられた組織である。なにしろ運動家は「国連」だとか「行政も認めた」というフレーズが好きだ。だから勝ち取るという意味では人権擁護法案よりもむしろ国内人権機関だったかもしれない。

対してLGBT差別解消法案でも「性的指向・性自認差別解消等支援地域協議会」として根拠地作りが盛り込まれている。

第二十三条 国及び地方公共団体の機関であって、性的指向又は性自認を理由とする差別の解消等に関連する分野の事務に従事するもの(以下この項及び次条第二項において「関係機関」という。)は、当該地方公共団体の区域において関係機関が行う性的指向又は性自認を理由とする差別等に関する相談及び当該相談に係る事例を踏まえた性的指向又は性自認を理由とする差別の解消等のための取組を効果的かつ円滑に行うため、関係機関により構成される性的指向・性自認差別解消等支援地域協議会(以下「協議会」という。)を組織することができる。

2 前項の規定により協議会を組織する国及び地方公共団体の機関は、必要があると認めるときは、協議会に次に掲げる者を構成員として加えることができる。

一 支援団体その他の団体

二 学識経験者

三 その他当該国及び地方公共団体の機関が必要と認める者

支援団体その他の団体という辺りに既存の運動体が参画できる含みを持たせている。LGBT当事者以外の団体が性的指向・性自認差別解消等支援地域協議会に入り込む余地は大いにある。もちろん行政としても「声の大きな団体」を優先するのは起こりえることだ。早い話が性的指向・性自認差別解消等支援地域協議会が第二の「隣保館」になる可能性がある。LGBTを盾に全く無関係の活動家が協議会を占拠するという状況が起きても全く不思議ではない。ではどの程度の働きができるのだろう。同協議会は「相談事業」も行うと規定されているが、仮にLGBT当事者が相談したとしても「法務局に行け」と指示されるのがせいぜいだろう。その姿が目に浮かぶ。

立憲民主党によればLGBT差別解消法案の条文については作成段階との説明だ。目下のところ罰則と表現規制に注目が集まるが、もし立憲民主党案でも「性的指向・性自認差別解消等支援地域協議会」が残されたとすれば最も注視しておきたい。

Jun mishina について

フリーライター。法政大学法学部法律学科卒。 月刊誌、週刊誌などで外国人参政権、人権擁護法案、公務員問題などをテーマに執筆。「平和・人権・環境」に潜む利権構造、暴力性、偽善性を取材する。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

wp-puzzle.com logo

日本語が含まれない投稿は無視されますのでご注意ください。(スパム対策)