部落解放同盟岐阜県連前執行委員長の石井輝男(故人)による同和ビジネス、そして不可解な団体運営とその子、涼也らによる殺人未遂事件を描いた『同和の会長』(小社刊)を覚えておいでだろうか。石井輝男は県内の自治体から公共事業を担い成功し、同時に大垣市政にも関与してきた。また解放同盟大垣支部は輝男から涼也に継承され、大垣市人権のまちづくり懇話会の委員職も石井親子が務めた。しかし輝男が死去し、涼也が服役中のため石井家から委員職は離れたが、なぜか株式イシイの社員に引き継がれているのだ。
「岐阜の解放同盟は事実上、私企業と一体ではないか」
こんな憤りの声が弊社に寄せられた。情報提供者によれば「大垣市人権のまちづくり懇話会」の委員職が再び株式会社イシイの新社長に引き継がれているという。石井親子も務めた「大垣市人権のまちづくり懇話会」とはその名の通り市民が大垣の人権問題を検討する制度だ。同市内の団体・個人から委員を募集する。名称は「懇話会」「検討会」など様々だが、おおかたどの自治体でも実施されているもの。地域の人権問題に取り組むという目的があるがそれはあくまで“建前”にすぎない。実際のところは「ごもっとも! 良いご意見を頂きました」と行政側が声高き人々をなだめるためのアリバイと言っていい。石井親子で引き継がれたという時点でその“アリバイっぷり”は察してもらえるだろう。
では今回は何が問題なのか。話はまず昨年に遡る。「大垣市の”解放の盆踊り”で垣間見た「融和」のカタチ」なる記事を寄稿した。昨年8月末、石井輝男の「置き土産」とも言える部落解放同盟大垣支部主催の「納涼盆踊り」を取材した。当初はかなり身構えたものだ。例によって活動家によってたかって囲まれる可能性もある。しかもこの祭りで涼也が暴力団関係者に絡まれたという話も裁判で聞いた。場内には荊冠旗のロゴがあり確かに解放運動を思わせるものはある。よほど解放色に満ちていると思いきや、予想を反して市外の住民や外国人住民も集まりすごい賑わいだ。盆踊りによって住民の交流に貢献しているならば素晴らしいことではある。解放同盟員で大垣市まちづくり懇話会のメンバー、なおかつ株式会社イシイの社長職であった丸山力(故人)らとも話ができた。別れ際、「丸山さんすごい祭りじゃないですか」と言ったら、とても喜んでくれたのをよく覚えている。
なぜ丸山氏が大垣市まちづくり懇話会を引き継いだのか疑問だと投げかけたこともあったが、それでも盆踊りを介して「対話」できたのは価値があったと思う。ところが今年6月、丸山氏が急逝された。なにしろ社長が殺人未遂事件を起こした会社を任されたのだから、心労もあった違いない。
ただどうしても不可解なのが再び大垣市まちづくり懇話会委員を株式会社イシイ関係者が引き継いだこと。丸山氏の後任の中嶋浩二新社長が委員職を継いだのである。人権問題に取り組む懇話会だから解放同盟から代表者が選ばれることはまだ理解できよう。しかしイシイ社内から選出されるということは情報提供者の言うところの「解放同盟は私企業と一体」と疑問視されても仕方ないことだ。
大垣市福祉部人権擁護推進室によれば「市内の12団体の代表者から委員が選出されますが、解放同盟からは中嶋さんを委員にということでした。問題はないと考えます」との説明だ。また当の中嶋氏を直撃すると意外なほど丁寧に応じてくれた。
「私も同盟員で丸山の手伝いをしていたんですが、丸山が膵臓癌で突然、亡くなってしまったんです。だから委員がいなくなってしまい私がやることになったのです」
なるほど確かに丸山前社長の死は突然で混乱していたことだろう。にしてもその他の同盟員なら話は分かるが同一の企業からという点は腑に落ちない。また中嶋氏自身が部落出身者なのか聞いてみると「嫁が部落出身です」とのことだ。これは興味深い。
属地主義、属人主義、そして「嫁主義」?
結婚相手が部落出身だから自分も部落民というアイデンティティは実は少なくない。現在の「全国部落調査裁判」でも嫁が部落という原告は少なからず存在する。それに解放同盟の役員の中にもそういうパターンがあるのだ。その辺りの事情が分からない人のために一応、補足しよう。
通常、部落民を定義する場合、「属地主義」(生地主義)と「属人主義」(血統主義)の二つの立場で考える。簡単に言うと属地とは部落に生まれる、または在住するから「部落民」という考え方だ。対して属人は部落出自の血統だから「部落民」という考え方である。行政の場合はまず「属地主義」の立場を取る。逆に属人になると子孫に「部落」を継承するような格好になる。部落解放と言っておきながら部落出自を子や孫に継がせるのは「解放」に全く逆行する行為だ。しかも祖父、曾祖父までならまだしも、だ。それ以前の先祖の社会的身分や家系を説明できる人が世の中、どれぐらいいるものか。ところが今や行政も司法、そして運動家も「属地・属人」の都合の良い部分だけ抽出して部落民認定に走っている。もはや何でもあり、言った者勝ちというのが同和の現在地だ。
なら属地主義が正しいのかと言えばそうでもない。同和地区に住んだらみな部落民とするならばこれまたおかしい。同和地区とは国が認定し、同和事業が実施された地域のことだ。そこで差別が起きるなら国がまんまと被差別地域を作ったことになる。それに同和地区に転入してきた新住民が突然、部落民宣言というのもおかしな話ではないか。これも部落民の再生産となってしまう。それも認定は運動体・行政のさじ加減、腹一つで決まるからルールや規定などないに等しい。だから「属地主義」「属人主義」いずれの立場であろうが、矛盾点が生じるものだ。
ところが「属地主義」「属人主義」に加えて部落民と結婚したら自分も部落民という「嫁主義」というものがあるらしい。この嫁主義を採用するならばやはり部落民の再生産につながる。そしてなにより「結婚差別」と言いながら当事者たちが何よりも「部落出自」に執着しているのはなぜだろう。そんな彼らが本気で部落解放を考えているとはどうしても思えない。当初の懇話会の話などどこかに消え去り、この嫁主義について頭を抱えてしまうのである。
互いの差を踏まえ別けて対応しろ、と自分達で言ってしまってるようなもんですよね・・・
僕の嫁さん白人だから僕も白人!ボクの嫁さん黒人だからボクも黒人!くらいおかしな話です
その嫁もどうだか分からないですね。
であれば、知り合いが○●でも、隣街のあそこの人がたしか○●だから、
私も○●でも通ってしまう理論ですそね。
分からんのなら会いに来いや
中嶋さん? でなければどなたですか? どちらに行けばいいのでしょうか。ぜひ
私も行きたいです。
同行よろしければ、ぜひお声がけをお願いします。
ユダヤ人の場合、ジェンタイル(非ユダヤ人)がユダヤ人と結婚してユダヤ教に改宗し同胞と認定されるのはありふれたことです。
解放同盟がやっていることは擬似宗教で擬似民族主義である、そう解釈すべきではないでしょうか。水平社時代の資料を見ると、当時の水平運動家が「エタ」を民族と考えていたことが読み取れます。ロシア革命におけるユダヤ系の革命家の役割に学ぼうとしていた様子も窺うことができます。
それはあると思います。確かに一種の民族と考えているフシがあります。
ただ自分は解放運動とは文化大革命の亜種だと思っています。
中国と北朝鮮は共産主義にむかい韓国の場合は反日運動に行きました。
日本に輸入された共産革命が学生運動にむかったものの頓挫し
「解放運動」にすり替わったと考えています。
私もそう思います。
解放運動は文化大革命です。
最近の女権運動も似ています。
文化大革命は1965年ごろ始まり、解放運動は戦後に限定しても1946年には始まっていますから、解放運動が文化大革命の亜種であるという見立ては無理筋ではないでしょうか。
革命を念頭に置いた学生運動の頓挫は、1972年頃から1980年頃のことですね。
ごめんなさい文革というよりも共産主義下の階級闘争という意味でした。
毎回、楽しみにしております。
さて、妻が被差別部落出身で結婚した夫が解放同盟の役員になってる例は多数ご存知のことと思います。
逆に夫が部落出身で、地区外出身の妻がやれ寄稿したりやれ講演したりする事例も散見されます。
今回の「嫁主義」なる単語ですが、もう少し正確性を期すならば「婚姻主義」とでもするべきでは。
私は嫁主義にしました。なぜかというと滋賀県連の同盟員名簿が流出した時に
取材をしたある同盟員が
「県連役員の〇(←この表記で察してください)は地区外やがな。嫁が部落出身って
だけやで」
といったのがあまりに強烈でした。この場合「配偶者が部落民なら俺も部落」という
理屈を「嫁」という形で記号化したのです。
○本1005ですね。
宮崎学のような「噂主義」もありますよ。父が井手町の部落出身だったという噂を根拠に部落民宣言。しかし井手町の地区を調べても、父の旧姓(地元では珍しい苗字)の痕跡なし。
しかし同和会は解放同盟よりもっと地区外出身者が多いのではないでしょうか。むろん人権連も。
あくまで印象ですが、同和会は確かに地区外者が多いです。ただ、人権連はひょっとすると解放同盟よりも地区出身者の割合が高いかも知れません。地区外者が同和会や解放同盟に入るメリットはそれなりにありますが、人権連ではそれがあまりないので。
学生時代の友人ですが、嫁の実家の知り合いがどうので、役員になれたと聞きました。
久しぶりに会った時、随分良い生活をしていました。
入りたければ、口を利いてくれると言われましたが、丁重に断りました。
ここ何年か前に亡くなったと聞きました。
嫁どころか、知人でも良いんでしょうか。