塩見鮮一郎氏が部落解放同盟と決別

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By 宮部 龍彦

塩見鮮一郎氏と言えば、部落史研究の大御所であり、部落マニアであれば誰も知らない人はいない人物であるが、2011年2月に緑風出版から発刊した著書「新・部落差別はなくなったか?」をめぐって、部落解放同盟東京都連合会と対立状態にあった

弊舎「同和と在日⑥」の「著書に部落名を書いたら「そこは部落ではない」と解放同盟に指摘された塩見鮮一郎」でその件を取り上げたが、その後、塩見氏と解放同盟との関係断絶は決定的になってしまったようだ。

事の発端は、塩見氏が「新・部落差別はなくなったか?」で、東京都練馬区練馬4丁目(谷戸やと)や、神奈川県小田原市東町ひがしちょう山王さんのう)などの被差別部落を写真付きで紹介したこと。日頃から被差別部落の場所を調べた企業などを糾弾していた解放同盟東京都連はこのことを問題視し、解放同盟神奈川県連も巻き込んで塩見氏と「話し合い」が何度か持たれた。

東京都連は住民への断りなく書籍に載せたことを問題視、一方神奈川県連は本で紹介されていた小田原市扇町おうぎちょう五百羅漢ごひゃくらかん)は被差別部落ではないと突っ込みを入れるという有様だった。

昨年の夏、筆者は塩見氏に直撃し事の真相を聞いてみた。

塩見氏によれば、20年ほど前から東京都連の特定の人物と、本の出版元の緑風出版の間に金銭的ないさかいがあったという。それで、何とか緑風出版に難癖をつけたかったのではないかということだった。

そしてもう1つの重要な事柄、小田原市扇町の件については「自分としては小田原の扇町が部落だと書いたつもりはない」ということだった。

確かに、本を見ると「小田原の白山神社に行きました」と書き、白山神社の場所を書いているだけなので、「そこが部落である」とは明示されていない。ただ「二十一世紀の部落」という節に書かれているので、何も知らない読者が読めば、小田原市の五百羅漢と山王が部落だと思ってしまうだろう。

小田原市の部落を紹介した問題のページ

小田原市の部落を紹介した問題のページ

そして、今後の対応について塩見氏は「もう、解放同盟の講演会には出ない、確認会にも糾弾会にも出ない」と明言した。

一方、東京都連の関係者は、塩見氏の言い分を明確に否定してこう話す。

「もともと塩見さんとの関係はよくて、講演にも来てもらってたんですよ。緑風出版とも関係はよかったですよ」

そして、関係がこじれた原因は、あくまで住民の許可なしに部落の地名や写真を掲載したことだという。

「緑風出版の社長は『命にかかわるようなことでない限り、出版は自由だ』というようなことを言って、折り合わなかった。塩見さんは話し合いでは“リベンジ”すると言ってたけど、ずっと連絡がないですよ」

塩見氏の著書をめぐっては、2012年10月に緑風出版から発刊された「どうなくす? 部落差別」にある「「地名総鑑」という本はなんら悪いものではない。それを利用した企業が悪い」という記述についても東京都連が問題視

結局、「出版の自由」「学問の自由」を優先する作家である塩見氏の考えと、差別糾弾という運動体の論理が折り合わなかったということだろう。

宮部 龍彦 について

ジャーナリスト、ソフトウェアアーキテクト。信州大学工学部卒。 同和行政を中心とする地方行政のタブー、人権ビジネス、個人情報保護などの規制利権を研究している。「ネットの電話帳」管理人。

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