旧久留里町の古村について、菊池山哉はこう記している。
○久留里の町の一角に存する。
○白山神。白鳥明神とも云ふ。何故に白鳥と言ふか分らない。椎の300年に近い大木がある。
○民家14戸ばかり。農家はなく、草履や下駄表作り、皮革業者も存す。
○元禄に移ったと云ふ。
一方、別の記録では20戸、農業や魚の販売もあったという。小字は沢向。


当地には県営住宅があるが、これは古村とは無関係だろう。規模が戸数と合わない。


農村環境改善センターも、たまたまここにあるものだろう。


この下町集会所は間違いなく同和施設である。君津市から地域改善対策集会所と位置づけられているからだ。今でも「下町集会所運営委員会」があり、部落解放同盟久留里支部が参加し、人権啓発の活動が行われている。

『千葉県と島根県の被差別部落現地研修記』や『千葉県・部落解放10年の歩み』にも詳しい記載がある。この下町集会所のある場所は部落ではなく、もとは工場誘致のために市が確保した土地だったという。ここに、集会所の他に改良住宅が建てられた。

探訪日は、南房総では珍しい、雪が積もった後だった。古村の不良住宅は7戸しかなく、国の改良事業の対象となる15戸に満たなかったため、県が独自に事業を行ったという。ニコイチ形式になっていないのか、何らかの配慮があったのだろうか。

下町集会所の写真を撮っていたら、なぜか警察に声をかけられたので、同和地区を巡っていて、同和施設の写真を撮っていると答えた。刃物などを持っていないか聞かれつつ、富津にも部落があるようなことを言われたが、今思えばよく分かっていなかったのではないかと思う。

久留里市場(下町)という交差点がある。関東では下町は古村の呼称としてしばしば使われるが、資料ではここが古村というわけではない。


周辺には、うどん屋、閉まっている釣り道具屋があるが、ここの場所は古村ではないはずだ。

北沢向公園を見つけた。ここが「沢向」ということか。しかし、その沢向もこれではいくつかに分かれている可能性がある。

地図ではその近くに白山神社がある。これが菊池山哉の記した、別名白鳥明神であろう。


竹や木が生い茂っており、やや荒廃しているが、社殿の横に椎の大木があるので間違いないだろう。


内部にも竹が侵入してしまっている。

神社の内部に見えた名字から検証すると、さきほどの北沢向の公園のあたりも古村のようである。

白山神社の近くには湧水がある。ここは水が得やすい場所のようだ。

そして、白山神社の西側、斜面や崖がある地形に家が建っているが、この地形が『千葉県と島根県の被差別部落現地研修記』や『千葉県・部落解放10年の歩み』の記述と一致するので古村はここだろう。『千葉県と島根県の被差別部落現地研修記』には集会所や改良住宅のある場所は部落から500mほどと書かれているが、実際には200~300mほどだ。

君津市は同和事業を行っていなかったが、当時の解放同盟支部長の弟が酒々井町の部落に住んでいたことから、住民が同和事業の存在を知ることになったと記録にある。住民は同和事業で整備できることを信じず、酒々井町の同和地区を視察させて納得させたという。



斜面にある家はどの家も荒廃している。これらは住居というより、住民は下町集会所の付近に移転して、物置や作業場として使っているのではないかという見た目である。

西沢向緑地という小さな公園がある。このことから、ここが西沢向であることが分かる。

斜面の一番下に窪地がある。

水が得やすく、周囲から隔絶された場所。佐倉市でもこのような場所を見たことがある。皮革業者があると菊池山哉が記しているが、かつてはここで皮を洗っていたのではないか。いかにもその作業に適した場所だ。

菊池山哉は農家はないと記しているが、兼業として農業はやっていたのではないか。




低層の作業場らしきものは、ムロが在った雰囲気が感じられます。
貴重な資料の白山神社の奉納名は見せなさいよ。
警官から佐貫のはピンポイントで教えて貰ったんだろ君の文献からの調査能力からしたらw
だとしたら警官は部落解放同盟の糾弾会コースだねw
部落の場所をバラした警察官を糾弾しよう!!