菊池山哉は、次の通り記録している。
○僻遠の地、街道には関係ない。
○白山神。
○農家七十五戸。大村である。
○近く本郷村がある。谷古川郷の本郷で、中古の郷であり、古郷ではない。其の前であるから前野宿と唱ふるものであらふ。
ところが本郡には、前野宿と呼ばれる曲輪が、他にも三ケ所ある。中丸村と、加納村、八王子村が夫である。「風土記稿」本村の條に
前野宿村、一村穢多のみ住して、家数四十餘、按ずるに諸国に穢多の住所を、夙と唱ふる所多し、爰も前野夙と書くべきを、同音故に後枇宿の文字を川ゆるならん。
とあるが、夙は守戸の事で、古城が無ければならない。以上四ヶ村は勿術、本郡には、古城は端どない。 と言って戦国頃宿場であったとは、其何れもが認められない、 北豊島郡浦野村にも、「長吏二十四軒居住し前野宿と云」とある。 前野とは、本村の前面を称する名で、前原、前畑、前田何れも同義に出づるもので、名義の上から、下村西村などなど共 に、賤視の感は少しも見えない。寧ろ御苦労様の感が、露はれて居る。宿は農家と異り家並の並ぶところから、他の宿 場に、なぞらへて、俗称したものであらう。この郡附近に限るので、これまた地域的の名称伝搬であらう。
別の記録では昭和初期に農業が主だったという。また、大日本地誌大系第11巻には次の記述がある。
足立郡前野宿村は、一村穢多のみ住して家數四十餘、按るに諸國に穢多の住所を夙と唱ふる所多し、爰も前野夙と書べきを、同音故に後世の文字を用ゆるならん。江戸への行程檢地の年代前村に異ならず、村の四方東は大竹村に隣り、南は本郷村、西は赤井村、北は安行村の内吉岡組に續けり
現在、当地は造園業者が多い場所として知られる。
住宅地の中に墓地がある。この墓地は比較的大きく、墓石の数からすると、75軒あったというのは正解だろう。墓から推定される主な名字は坂口、木幡、桜木、平井など。
1つだけある矢野という墓石も気になった。矢野と言えば、浅草の弾左衛門の名字である。
上は、それぞれ現在の航空写真と1950年頃の航空写真に名字の分布を重ねたものである。ここから見えてくるのは、やはりもとは農村で、比較的広い範囲に家が散らばっていたことだ。地名に宿がつくにも関わらず、明らかに宿場ではない。
それが、1980年代以降に急速に開発が進み、今は多数の新しい住宅が建っている。
菊池山哉が記した白山神社はどこにあったのか? 明治時代の地図に神社記号があった辺りに行ってみたが、手がかりは見つからなかった。
一方で、古くからの家に気になる祠がある。これは、第六天のようであるから、白山神社とは関係ないだろう。
一方でこちらは何なのか分からない。
そこで住民に聞いてみたところ、なんとこれこそが白山神社と縁のあるものだった。
村にあった白山神社は、かなり昔になくなってしまっていた。おそらく、昭和初期か大正の頃だろうという。この祠自体は比較的新しいものだが、中にはその白山神社にあったものが納められていたという。
それが何かというと、掛け軸のようなものだったそうだが、残念ながら今は存在しない。いつの頃か、古物商に売ってしまったそうなのだ。今、祠の中にあるものは白山神社とは無関係なものばかりである。
しかし、この祠の下にある瓦の破片のようなものは、白山神社の屋根だろうという。
では、実際のところ白山神社はどこにあったのか?
答えはこの広場である。ここに白山神社があった。
神社がなくなった後も、大般若という祭事が行われていたという。しかし、古くからの住民が減り、高齢化してしまったことから、最近ではもう行われていない。確かに、戦前は70戸くらいはあり、少し前は造園業者ももっと多かったということだ。今は、古くからの家は十数戸程度。
広場の隅にあるこの石には「川口市長 長堀千代吉」と刻まれていることから、1972年から1976年の間に置かれたものだろう。
広場には2つ物置がある。施錠されており中を見ることはできなかったが、祭事に使った道具があり、その中には白山神社にあったものも含まれているだろうという。
部落に多い坂口、桜木などの名字は互いに親戚。ただし矢野は1軒のみで、江戸がルーツだと伝わる。しかし、地域の歴史を知る老人はみな亡くなってしまい、それ以上のことは分からないそうである。
白山神社があったと言われる空地は、ストリートビューで見ると、川口市が氷川神社のご好意により借り受けたゲートボール場となっていますね。
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>ストリートビューで見ると、川口市が氷川神社のご好意により借り受けたゲートボール場となっていますね。<
看板かなんか立ってましたか?うまく見れないのですが、、、、
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2010年10月から2018年8月までのストリートビューのいずれにも、入口のネットに掲示されています。
ちなみに先程のコメは誤変換で、「ご厚意により」です(笑)
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菊池山哉の原著を未見なので明確な事は言えませんが、
ここでいう「風土記稿」が「新編武蔵風土記稿」を指すのなら
山哉は勘違いをしていると言えます。
「ホッキリ、一ニ曾我殿ト云コノ處ニ長吏十一軒アリ」という記載は
足立郡 上加納村 下加納村(併記)、すなわち現在の桶川市加納であり、
前野宿村の項には「前野宿村ハ一村穢多ノミ住シテ家數四十餘・・・後略」
と記載されています。
原典は国会図書館のデジタルコレクションで確認可能です。
しかし、菊池山哉の時代の情報、交通等々のインフラを考えれば
安易に批判はできませんね。
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申し訳ございません、前野宿は複数ありまして、私のミスでした
冒頭、山哉の前野宿の記述は「加納村」のものであり、
本地「新郷村」については別項に記載されています。
白山神社の探索は、お見事です!お疲れ様でした。
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すみません、確かに間違えていたので、正しいものに変えました。
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前野宿の白山神社は、東本郷氷川神社に合祀されてるとなのかで見たことがあります。
https://www.saitama-jinjacho.or.jp/shrine/9258/
検索しました
確かに祭神に白山大神あります
いつもの事ですが、
記事にする前に不確かな事は調べたり聞けばすぐにわかるのに、、
指摘を受けなければ、そのまま信ずる人もいるでしょうね。二度見しない人は訂正されたかもしない。
こんなんばっかり、宮部記事ハー
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〇 二度見しない人は訂正されたのも知らない。
次から次へ数多く訪問するのもいいですが、、記事は慎重に。
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