いにしえの記録によれば、旧北条町の「永瀬」という場所に9戸の部落があったという。農業は主で、生活程度は悪くなかったようだ。
そのことだけを頼りに現地を訪れたところ、大変意外なものを目にした。そして、茨城県に共通する部落についての知見の一角を得ることが出来た。
登記情報に書かれた小字から、この「北条の庚申塔と二十三夜塔」付近が「永瀬」であることが分かった。
周辺には、まるで城のような家がある。
他の家も全般に大きな家が多い。確かに生活程度が比較的良かった農村を思わせる風景だ。
墓地を見つけたが、これはおそらく部落の墓地ではないだろう。なぜなら、この部落に多い苗字は小松原であると目星をつけていたからだ。
このように北条の一角に小松原が集中している。
古老の話によれば、茨城の部落の特徴的な名字と言えば、小松崎、小松原、小松本なのだという。水戸の革職人の小松氏に由来しており、後に小松崎を名乗り、小松原と小松本が派生したのだということだ。
宗派は時宗。
墓石の数は記録にある戸数よりも多いが、新しい墓石と古い墓石があることを勘案すると矛盾はなさそうだ。
田んぼがあるが、ぬかるんでおり、あまりよい田んぼではない。
そして印象深いのがこの池。地図では「坂下池」となっている。昔は今のように整備されておらず、沼のような状態で、解体した動物の死骸などが投げ込まれていたと伝わる。
この街灯に書かれた文字が気になる。
もとは「小松原畜産」と書かれていて「畜産」が消されていたように見える。確かにここには畜産業者があり、昭和のはじめ頃まで豚を扱っていたという。
他の家も似たような仕事をしており、ウサギや羊を扱っていたそうだ。毛皮や、ハムにする肉を東京方面に出荷していた。小動物の毛皮を扱っていたことが、東北の外内との関係をうかがわせる。
今ではそのような仕事をしている家はなくなってしまった。
先程の池の周辺を歩いていたら鳥居が見えたので、現地に行ってみた。
なんと神社がある。
地図にも書かれておらず、まるで隠されたかのような立地だが、中で集会もできるような立派な神社だ。
実際に、ここでは毎年1回住民が集まって祭りが行われている。この神社は「権現様」と呼ばれているという。
何の権現かと言えば「白山権現」であろうと推定する。しかし、白山という言葉を明確に聞くことはできなかった。
もし、自分が生まれた村に、よそからほとんど知られていない立派な神社があって、そこで古くからの住民だけが知る行事が毎年のように行われていれば、何だかワクワクしないだろうか?
〇今は建築技術が向上し、何百年にもわたって谷戸の沼地だったところでも高層マンションが建っていますが、かつて多摩の丘陵地の麓には無数の沼があり、昭和三十年代でも牛馬の死体のほか、雑多な粗大ゴミを沈め、廃棄したといいます。〇今は役所に建築申請が出ると、まず遺跡調査を行いますが、元が沼地だとそれも行われなかったようですが、掘り返してみれば貝塚のようにいろんなモノが出てきたはずです。
>そこで古くからの住民だけが知る行事が毎年のように行われていれば、何だかワクワクしないだろうか?
もう行事が継続できなくなってます
理由として聞いたのは
縄をなえる人が自分以外いない
戦争で行事を担うべき人がみんな死んでしまった
自分も縄をなうのは見たことがあるだけです
小松姓は平家の落人もいるみたいです
家紋は揚羽蝶でした
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もしかして地元の方ですか?
地図の「大尽町」の大の字の上のあたりに、航空写真から1975~1985年の間にニコイチらしき住宅地が突然出現しているの知っていますか?
是非そこも探訪して欲しかった。
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これは同和とは無関係なのでスルーしました
ただの市営住宅です
茨城には行政の方針があって同和のニコイチは存在しないそうです
石岡市井関と言う場所に神社を囲むように小O崎さんと言う家が沢山あります
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