拝島と言えば青梅線の乗換駅として有名だが、駅から少し離れたところに部落がある。昭和初期の記録では26軒、地区名は「第6区」と記されている。ここにも白山神社があり、弾左衛門配下の穢多村であった。
一応東京都下なのだが、都心からかなり離れていることもあって、埼玉県や神奈川県の地方都市と雰囲気は変わらない。
近くには小さな自動車用品の販売会社やリサイクル会社がある。
そして、奥多摩街道沿いに小さな神社がある。何神社なのかは書かれていないが、これは紛れもなく白山神社である。
白山神社の前には小さな空き地があり、周辺には古い家がある。
古い家、新しい家が入り混じっているが、確かにここが古くからの農村であった痕跡がある。
ここは墓地。戒名から推測すると、多摩地域の他の部落と同様に、時宗であろう。宮川、宮松、宮崎など「宮」のつく名字が大部分である。
「文政」と書かれていることから、ここが間違いなく古くからある墓地であることが分かる。
ただ、周囲の家の表札を見ると、宮のつく名字とそうでない名字が入り混じっており、融和していることが分かる。
白山神社近くの住民に聞いてみると、神社の氏子は現在20軒ほど。昭和初期の記録と大きく変わっていないのが意外だった。神社の氏子と町内会は別で、町内には多くの移住者がいる一方、神社の氏子は古くからの住民だという。氏子の戸数はほとんど減っていないのだが、若い人は出ていくので、今では老人ばかりになってしまっているそうだ。
ここも一見すると、ただの都市の一角に過ぎないのだが、そこにかつての農村が埋もれており、しかも高齢化が進んでいるということなのだ。都市の農村も田舎の農村も事情は変わらないということか。
かろうじて昔の部落の様子を偲ぶことができるのは、今が最後のチャンスなのかも知れない。
まずここが拜島六区と文献で証明しないと駄目だろ。
5ちゃんねるのスレを見たの?
いくら被差別部落が何千と有っても話題性無い所は行かなくていいしレファレンスとかもあるんだし。
https://crd.ndl.go.jp/reference/modules/d3ndlcrdentry/index.php?page=ref_view&lsmp=1&rnk=1&mcmd=25&st=update&asc=desc&pg=3191&id=1000055837
宮松家のお墓の写真が使われていますが、許可は取りましたか?とった場合は誰にとったか教えてください。
私の祖父母とご先祖様のお墓です。
部落の説明の記事で使われていることがとても悲しいです。
許可をとっていないようでしたら削除してください。
もう すっかり
付き合いの無い
遠い親戚が、拝島にいる
宮川という人でした。
一時期、靴屋も やっていました。
宮川姓は、全員が
ビンゴでしょうか?
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