今回訪れたのは、山口県で最大の部落、上久原地区である。1935年の記録では250世帯であり、農業と食肉業があったとされる。
そして、現在でもこの地では食肉業が顕著である。
ここは周東南総合センター。かつては隣保館だったが、現在は一般施設となっており、隣保館特有の掲示物は見られない。
周囲には公園、保育園がある。
第一印象としては、周囲と比べて違和感がなく、言われなければ部落とは分からないこと。家が密集していることもなく、普通に土地を持った昔ながらの農家が多いように見える。
実際、過去の記録でも、特に困窮した地域というわけでもなかったようだ。ただ、ここに穢多村があったのは確実で、 防長風土注進案によれば久原に50世帯程度の穢多がいたとされる。
ここが部落の寺。浄土真宗本願寺派だ。
この石碑が何なのかよく分からなかった。近くの住民によれば、もとは離れたところにあって苔むしていたのを、移転させて磨いて綺麗にしたという。しかし、また黒ずんでしまったようで文字が読みにくい。
どこへ行っても普通の風景。本当に同和事業は必要だったのか?
案内人によれば、昔は車で通ると、上半身裸で入れ墨を見せつけるようにして歩いている人がよくいたというが、さすがに今はそういうものは見られなかった。
案内人によれば、ここで最近殺人事件があったという。確かに「大島てる」にこの物件は載っている。調べてみると、今年の4月3日に夫が妻を包丁で刺殺する事件があったようだ。
干からびた花束が置かれていた。
保育園の近くには古い公営住宅があった。おそらく昭和40年代に作られたものと考えられる。さすがに空き家が多かった。
そして、田園地帯のあちこちに食肉業者や牛小屋がある。屋号は岡本や安堂が多い。安堂という食肉業者は玖珂町の同道でも見られ、ここから進出したものと考えられる。
山の中に屠場があるというので車で向かっていると、途中に墓地があったので降りてみた。
墓石は浄土真宗が多いが、真言宗のものも混じっている。墓石の名字は、肉屋の屋号と同じものがよく見られる。
ここが屠場。少なくとも戦前から続く久原の食肉業は健在だ。
ぜひ「ミートスペシャリスト」で検索して頂きたい。
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