今回は読者からリクエストのあった、大和郡山市西田中町にやってきた。1935年の記録では380世帯とあり、規模の大きな部落である。
第一印象は、道が広く、綺麗に整備され、建物が大きく、築年数・デザインという意味でも非常に新しいことだ。新しいニコイチと、「御殿」が入り混じっている。
この地区で改良事業が始まったのは1992年と平成になってからで、2003年に同和事業が終了した後も一般対策という名目で事業が継続され、2014年に完成した。最も新しいニコイチは2008年頃に作られた。
住宅地の中に、なぜか肉屋が何軒かある。
奈良ではあちこちでチェリオの自動販売機を見かける。500mlのボトルも軒並み100円なのが有り難い。奈良は日本でも一番物価が安いことで知られる。こういったところでも、そのことを実感する。
21世紀自由公園という素晴らしいネーミングの公園。地区は高齢化していると言われる割には、ご覧の通り子供の自転車が多数あり、多くの子供が遊んでいた。
この地域の改良事業には250億円が投じられ、その6割が国庫補助だという。それが住民1人あたりどれだけの金額かということを思えば、同和地区を特定するような情報の公開は差別だと発狂している人々は、自分たちの行っていることはむしろ同和問題に対する無理解と反感を助長することだと気づくべきだろう。
この地では、古代に大量の瓦が作られていた。瓦と言えば、それを作る技術を持ち込んだのは大陸からの渡来人。ということは、この部落の起源は渡来人に由来しているのではないかと想像してしまう。
これは清水神社。
この公園の近くには浄土真宗本願寺派の寺が3つも集まっている。なぜ3つも寺があるのか? それぞれの寺に聞いてみたが「知らない」と言われてしまった。本当に知らないのか、何か隠しているのかはよく分からない。
改良住宅以外の家は、どれも大きな家ばかりだ。その中でも目立ったのが、この家。コンクリートの建物の上にペントハウスのような家がある。
ちなみに、ニコイチの家賃は1万3000または1万5000円。改良住宅なので、原則として地元住民しか入ることはない。ただ、今後空きが出た場合は一般の市営住宅と同じく公募されるそうだ。
奈良では定番の、とても安い公衆浴場。大人200円、子供100円なので、近くで用事がある時はぜひ利用したい。
こちらが隣保館。露骨に同和を強調するものは見られない。
共同墓地は浄土真宗ばかりかとおもったら日蓮宗らしき墓石もある。名字は様々で、いろいろな人が住んでいるという感じだ。
歩いていると、少し景色の違う住宅地が現れた。ここにもニコイチが立ち並んでいるが、平屋根で、明らかに昭和50年代初期の形式だ。
道も整備されているが、明らかにさきほどの場所とは規格が違う。ここは西田中町に隣接した新町という地区になる。
探訪した日は統一地方選の後半戦真っ只中。公衆浴場(新町温泉)の前では選挙の候補者がビラ配りをする姿が見られた。
公衆浴場などの施設が別にあるということは、隣接していてもここはまた別の部落だということだ。
隣保館の裏手にある広場。
隣保館の近くに墓地があるが、明らかに西田中町の墓地とは様相が異なる。浄土真宗、日蓮宗、禅宗と様々な宗派が入り混じっている。歴史的にも西田中町と新町は別の部落であることを示唆している。
ぜひ訊きたかったのですが、
新車阪と呼ばれる部落は
新町のことなのでしょうか?
A川姓が多いとのことですが。
すみません、その点を調べることまで頭が回りませんでした。
西田中町と新町は小学校の校区も別です
昭和50年代は西田中町の方がカオスな町でしたよ
『部落解放研究 No.197 2013.3』 「被差別部落寺院をめぐる社会的関係の様相」奥本武裕
37~38頁 表2より抜粋 ※明治5年「添下郡諸寺院詳細簿」他からまとめられた様です。
添下郡野崎村 西光寺 本願寺派 檀家数 62 住職 有
〃 正念寺 本願寺派 檀家数 37 住職 有
〃 浄光寺 本願寺派 檀家数117 住職 兼務 だそうです。ご参考まで
ありがとうございます。檀家数から考えると、部落内でも別々の寺の檀家に別れていたということでしょうか。
いつも見ています。頑張ってください。秘境地である曽爾村、御杖村 そして毛皮の町菟田野町も是非お願いします。
承知しました。探訪候補に加えます。
部落内の墓地に南無妙法蓮華経は刻まれている場合、それが伝統的に日蓮宗信徒のものとは判断できないと思います。昭和30年ー40年代に創価学会による折伏が猛烈に行われました。今では学会と日蓮正宗宗門とは絶縁状態ですが、50年代くらいまでは創価学会員の墓にも南無妙法蓮華経が刻まれていました。墓の築年代に注意しないとその墓が伝統的な日蓮宗徒のものか創価学会員のものかを間違えるかもしれません。私は関西の部落内の墓地にある南無妙法蓮華経は創価学会系だと思います。
私としたことが、創価学会も一応法華宗系統であるということを忘れていました。確かにその視点は大事です。
南無妙法蓮華経の墓石を見つけたら、戒名が使われているかどうか、埋葬時期も注視してみようと思います。
初めて書き込ませていただきます。
上の方で書かれている新車阪、漫画家の故・赤塚不二夫さんが満州から引き上げてきた時に一時期住んでいた所ですね。当時の事をこう仰ってます。
「オレは満州から引きあげてきて、奈良の大和郡山に3年間住んでいたんだけど、あのあたりってヨソ者を徹底的に排除する風潮があったんだ。隣がエタ村で、差別意識が定着してたのかもしれないな。オレも差別されたよ。配給の列に並んでて、オレの順番になると『満州、ダメ』とか言って本当にくれないんだから。いい大人が子供に対してだよ。今でも忘れられないよ。」
これを読んだのが切っ掛けで興味を持って調べていました。
ストリートビューで見ると小泉町3630付近にに気になる場所があるのですが、ここも関係があるのでしょうか?
よそ者排除は、部落に限らず奈良、京都全般で聞きます。
この辺りで水平社運動が起こったのもそういう背景があるのではないかと思いますし、奈良や京都の実態が部落差別の実態として一般化されてしまったようにも思います。
小泉町3630は同和事業よりももっと古い時代の文化住宅のように見えます。こういう住宅は全国あちこちにありますよ。
浄土真宗なんかよりも、日蓮宗などなどが部落は多いよ
それは静岡県近辺と佐賀県の場合です。部落が日蓮宗の地域は他にあるでしょうか?
教えて下さい。
奈良の私学に通っていた時、クラスメイトがあの子は奈良県田原本やから同和やで。、と言っていました。確かに同和地区出身でした。三宅以外でも田原本だと同和地区でしょうか? 確かに道徳が終わった時に田原本と吉野の子と大福の先生が集まってました。
田原本は近世の中街道沿いの商家町で、当該地区は町の外のごく一部でしょう…
#0014e35e3172826a228d5b90acb371e5
ピンバック: 曲輪クエスト(168) 奈良県大和郡山市小泉町出屋敷 - 示現舎