曲輪クエスト(432)国分寺市 東元町

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By 宮部 龍彦

『部落問題・水平運動資料集成第三巻』には昭和十年三月末の東京府の融和事業対象地区の調査表が掲載されており、それによれば国分寺の下村に24戸の古村がある。職業は農業と日稼。

また、菊池山哉は次のとおり記している。

○村の東端、小金井路に存する。この路は重要のものではない。

○白山神。昔は鳥居があったと言ふが、今は無い。九月十九日祭礼、四、五十年前までは万作踊りが盛大であったと云。 末社は無い。明和七年の地蔵尊、三界万霊塔がある。

○農家拾余戸、草履表を作る。

○本村では下村と呼ぶ。国分寺の本村は、元は寺の辰巳の方、旧府中往還に居ったのであるが、江戸時代今の地に移転した。旧地には墓や井戸が残ってる。この曲輪に、板碑の破片も見えるが、本村の移動と、如何な関係があるや、また起源の程も定かでない。若しや国分両寺関係であらうか。

現在の古村には白山神社はなく、代わりに平安神社がある。実はこの平安神社がかつての白山神社であり、関東の白山神社にはなぜか生えていることが多い、欅がある。

菊池山哉は鳥居はないとしているが、現在は立派な鳥居がある。明治百年記念で再興されたようである。

宗派は時宗。氏子に金子という苗字が多いのは、時宗の民俗芸である鉦打ちと関係があるという。

しかし、平日の昼間ということもあってか、周囲の家に人気がなかった。

菊池山哉は祭礼は9月19日と記しているが、それとほぼ一致する。

地蔵尊や三界萬霊塔は見当たらなかったが、防災用として古い井戸が残されている。

昔の航空写真を見ると、家は密集しておらず、田畑の間に家がある。その田畑が現在は新しい家や集合住宅になっている。

昔からの家の戸数はそれほど変わっていないが、神社は20戸前後の村のものとは思えない。実際、現在は元町通りなどの、周辺地域が氏子になっているという。

ただし、昔を知る人は多くが亡くなっており、神社の由緒も伝承されていないという。賤民との関係を知る人に会うこともなかった。神社の神主も地域の人ではなく、神社の世話をしているのも昔からの住人に限らない。

『国分寺市有形文化財調査報告書』によれば創建は不明で、嘉永元年に再建された記録があるため、それ以前からあったであろう。昭和21年に白山神社から平安神社に改称。

本田豊によれば、埼玉県所沢市から移転して成立した古村であるという。

宮部 龍彦 について

ジャーナリスト、ソフトウェアアーキテクト。信州大学工学部卒。 同和行政を中心とする地方行政のタブー、人権ビジネス、個人情報保護などの規制利権を研究している。「ネットの電話帳」管理人。

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曲輪クエスト(432)国分寺市 東元町」への1件のフィードバック

  1. .

    石橋学先生の御説によると、先代の解放同盟神奈川県連川崎支部長の母はここの出身ですか? 旧姓は何でしょうね。

    最高裁公認のレイプ殺人犯である石川一雄受刑者の母方のおじは、この地区で靴屋をやっていたそうです。『石川一雄獄中日記』174ページには、そのように暴露されています。

    #7dc0e577ee46a90fa71d51728a12b95a

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