曲輪クエスト(393) 津市芸濃町岡本

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By 宮部 龍彦

この古村にはあまり情報がない。分かっているのは、明治初期には1戸しかなかったということである。

芸濃町史 下巻によれば旧芸濃町では地区を明らかにする「顕現学習」が行われ、おおっぴらに同和事業が行われたのであるが、記載されているのはほぼ雲林院についてのことばかりで、岡本については書かれていない。

『三重県部落史料集 前近代篇』によれば、安政2年に松坂の田村の穢多が、久居の岡本村の穢多垣内に出稼ぎに行っている最中に百姓の家で盗みを働いたという記録がある。この穢多垣内が現在の古村とつながっているかは明確ではないが、ともかく岡本村に穢多が居住していた歴史があることは間違いない。

『三重県部落史料集 近代篇』にある「管内◯◯部落と其人口」によれば旧安西村の「北山」に8戸あったとされる。また、同書の「壬申戸籍調査集計表」によれば旧芸濃町の岡本に1戸あったとする。

大正期の地図を見ると、岡本の北に「松山」という地名の記載がある。同名の名字の分布も確認できる。

これが昭和初期には「北山」と変わっている。

さて、現地に行くと粗末な古民家のような建物があるが、実はこれは「北岡本教育集会所」。同和施設である。

同和施設らしくない佇まいで、本当に同和施設なのかと思ったが、2016年の津市教育集会所の会議録によれば人権教育課長が「地域住民の方、児童生徒の減少等に伴いまして、教育集会所の事業が行えなくなり、老朽化も進む北岡本教育集会所及び木造教育集会所について、地元の同意も得たことから、用途廃止の方向で進めさせていただいています」と発言している。

つまり、すでに教育集会所としての用途は終えて、今はただの自治会館になっているということだろう。

周辺は寂れており、住民や児童生徒が減少しているというのもうなづける。

ここにも近頃古村でよく見られるソーラーパネルが設置されている。所在地の記載では小字は「土穴」となっている。

人の気配がある家は2, 3軒で、他は荒れている。

気になったのは、農園や野球場があること。

よく見ると、工場のような建物にはヤマギシ会の看板が掲げられている。

古村は農業をやっていたというが、航空写真で見ると分かる通り、今では大部分がヤマギシ会の施設になっている。

なお、芸濃町史 下巻には唯一同和対策の施設として「北山火葬場」の記述がある。伊勢自動車道を挟んだ場所の墓地にあるこれが、その成れの果てだろう。寺は亀山の法善寺。真宗高田派である。

宮部 龍彦 について

ジャーナリスト、ソフトウェアアーキテクト。信州大学工学部卒。 同和行政を中心とする地方行政のタブー、人権ビジネス、個人情報保護などの規制利権を研究している。「ネットの電話帳」管理人。

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