学術・研究:部落探訪(304)水戸市 平須町

カテゴリー: 未分類, 部落探訪 | タグ: , | 投稿日: | 投稿者:
By 宮部 龍彦

茨城県のうち、最も探訪リクエストが多かったのが、水戸市の平須町である。太鼓店が2つもあり、小松崎姓が集まっている。

戦前の記録では戸数34。茨城県では中程度の記録の部落ではあるが、ここが県内の様々な部落のルーツとなっているようなのである。

まずは、部落の神社である、白旗神社を訪れた。高橋裕文『幕末水戸藩と民衆運動: 尊王攘夷運動と世直し』によれば「江戸の弾左衛門の支配下にないので弾左衛門と同じ白山神社を祀るのをやめ」白旗神社を祀ったのだという。

もとは「白山権現」を祀っていたが、幕末に神仏分離の影響で祭神を替えたとも。

社殿の中にはこのように太鼓があり、集会もできそうだ。

社殿の横にあるこれが、案外白山権現だったりするのではないかと思ったが、きつねが見えるのでお稲荷さんのようである。

境内にあるもう1つのこれは、見たところ、七福神だ。

灯籠に「小松崎」が見える。

この馬頭観世音にも「小松崎」が刻まれている。

現地や地図を見ると、昔よりも世帯数が増えているようで、田舎の集落としては、やや大きい方かも知れない。

そして現地を見て思ったのは、道が広くてまっすぐで、大きな家が多い。過去記録では生活程度は下だったというが、とても差別された貧しい村には見えない。

そして、注目すべきはこれだ。この部落には「小松屋太鼓店」と「小松崎卯兵衛うへえ商店」という2つの太鼓屋がある。

小松屋太鼓店は小松崎太鼓店とも書かれており、表記の揺れが見られる。

田舎の古い民家のような佇まいだが、れっきとした太鼓店である。

『日本姓氏語源辞典』によれば「茨城県水戸市平須町では1843年(天保14年)に茨城県水戸市三の丸が藩庁の水戸藩主だった徳川斉昭の命で太鼓を製造した小松崎氏は「小松」と称していたと伝える。分家が「小松のさき」との意味で小松崎としたとの伝もあり」とのことである。

つまり、この部落で発祥した小松家の分家の太鼓屋が小松崎を称したということなのである。

他には自動車のスクラップ工場らしきものもある。

とにかく、豪邸が多い印象だ。

部落はもともと吉田神社(水戸市宮内町3193-2)の近くにあり、おそらく江戸時代初期にこの地に移転してきたという。『茨城県史料 近世地誌編』によれば「吉田神社うしろを経て、僅四町を行過ぎ、登る坂をかわぼう坂といふ。昔平須の住穢多五兵衛(姓小松崎にて坂戸善重寺の旦中也)が先祖居し所ゆへ此名有といふ」との記録がある。

その中でも、共産党のポスターがある家は、比較的小さかった。

これは水戸市平須集会所。見るからに同和対策の集会所である。

皮革にまつわる部落なので、洗い場として川はないかと思ったら、池があった。

これは、おけさ池児童公園。ということは、さきほどの池は、おけさ池だろう。

宮部 龍彦 について

ジャーナリスト、ソフトウェアアーキテクト。信州大学工学部卒。 同和行政を中心とする地方行政のタブー、人権ビジネス、個人情報保護などの規制利権を研究している。「ネットの電話帳」管理人。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

wp-puzzle.com logo

日本語が含まれない投稿は無視されますのでご注意ください。(スパム対策)

学術・研究:部落探訪(304)水戸市 平須町」への10件のフィードバック

  1. 匿名

    動画の方で「しろはた」神社と仰っていますが、「しらはた」なのではないでしょうか?
    #9e7c0a5c93b4bb3b69cbe79c3a539258

    返信
    1. 宮部 龍彦 投稿作成者

      すみません、不勉強で
      部落探訪名物の言い間違いです
      次回からちゃんとします

      返信
  2. 匿名

    平須に来られたのですね! 太鼓店の前にあった人気ラーメン店は移転しました。
    太鼓店といえば、香取市谷中も是非探訪してみてください。
    #6126a268f8ef7d35a0b8b6eb7851b6c6

    返信
      1. 匿名

        谷中には太鼓店のほか肉生産組合の事業所もあるのですが、県道沿いの隣保館には巨大な人権看板が出ていて露骨に可視化されています。教育集会所内に耕地整理の記念碑があり、同和対策の一環として実施したことが明記されています。あと組合の裏手にある墓地に行くと地域史的に興味深いことが色々とわかります。おすすめです。

        返信
  3. 匿名

    平須の周囲、久々に見させて頂きました。今でも太鼓屋さんが残っているのが北関東の地方都市では珍しい気もします。移転して来た頃は水戸街道とも離れていて相当の外れでしたね。私の小さい頃の昭和50年代でも田向井は相当の郊外で漸く団地が作られたものです。吉田神社の裏は50年前位に埋め立てが終わった程で、江戸時代はすぐ裏手まで千波沼。そこら辺に元々は住まわれていたのは職業柄でしょうか。水戸も以外に差別は昭和でも残っていて、市内の靴屋さんの娘さんが中々嫁に行けなかったと、80代の父親が語っていました。県央にはまだ部落はあると思われますので探訪楽しみにしております。
    #85cf93dfa40e3c9bf3ce7b24fde7283a

    返信
    1. 宮部 龍彦 投稿作成者

      ありがとうございます
      まだ茨城県内の探訪はございますので
      楽しみにしておいてください

      返信
      1. 匿名

        歴史的景観として風情があるのは、結城市の郊外のほうと潮来市です。おすすめです。

        返信
        1. 宮部 龍彦 投稿作成者

          潮来市清水をストリートビューで見ましたが、確かに風情がありますね

          返信
          1. 匿名

            窪地になっていてどの方向からも坂を下って集落に入るのですが、隠れ里みたいな感じです。白山神社は集落の端の高いところにあります。あと共同墓地(ここは珍しく日蓮宗)は入口にウサギをかたどった獣魂碑があり、かつての地区の生業をしのばせます。