菊池山哉の『長吏と特殊部落』の、名細村下広谷を解説した部分に「ここには、三芳野村の原村と、名細村小堤との三つの曲輪が、一つになって居る」という記述がある。
下広谷と小堤は既に探訪済みなので、「原村」を訪れた。昔の地図で場所を確認すると、現在の坂戸市中小坂に相当する。
昭和初期の戸数は46と記録されている。主業は履物表、生活程度は中であった。
しかし、実際は十分に農業をやっていけるほどの土地を持っており、生活程度は良かったのではないか。
それでも、ここでは明らかに同和対策事業が行われている。
それは、中小坂集会所が「同和対策集会所」であることから明白だ。
しかし、この施設には同和だの部落だの人権だのといった掲示物は全く見られない。ステルス同和施設である。
ここに来た目的の1つ、集会所の敷地内にある神明神社。これが白山神社の成れの果てではないかと考えたからである。『長吏と特殊部落』には「三芳野村の白山社には、天正四年銘の懸仏が御神体をなして居る」「社殿は、三芳野村が貧弱で宅地神のようである」と書かれている。この神社は後者の記述と一致する。
しかし、中に懸仏はなかった。
ただ、部落の神社であることは間違いない。鳥居に刻まれた氏子の名字は「若狭」「若野」が多い。
墓地を訪れると、やはり若狭が多い。大部分は真言宗で、他の宗派が少しだけ混じっている。
見ての通り、何の変哲もない住宅地である。同和団体があまり活動せず、行政主導で国費を入れて、市の負担を減らしたのではないか。
この祠がもしかすると白山神社と思ったが、中に懸仏はなかった。
付近住民の老人に聞いてみたが、白山神社については小堤と下広谷にあるものしか知らないという。
この商店跡にはうっすらと若狭屋の文字が読み取れる。
せっかくなので、隣の小堤の白山神社を久々に訪れてみた。
白山神社前の小堤集会所も同和施設なのだが、やはり部落だの同和だの人権だのといった掲示物はない。
小堤は川越市になるのだが、坂戸市と川越市が示し合わせたように、同和事業は行うが、同和地区であることは主張しないという方針を取っているように見えた。
>この祠がもしかすると白山神社と思ったが、中に懸仏はなかった。
動画を見ると、中に板碑の破片と思われる物が見受けられますね。
字原にあった白山社は、明治40年に中小坂1番地(下区)にある神明神社に合祀されたとのこと。ただし社殿はそのまま残されたとか。それにより懸仏は移されているかもしれませんね。
なお元の白山社の候補は、
①集会所の神明神社(動画で見ると狐ではなく、狼ないし犬と見える置物があるので、元は御嶽信仰かも?) ②先述の板碑が収められていた祠
③添付写真の石祠 さてどこでしょうか?
貴重な情報ありがとうございます!
サンカ関連の書籍で本拠地の旧国名を名字にする傾向があったというようなことが書いてありましたが、ここはサンカに由来するのでしょうか。
サンカに関しては怪しい情報も多くよくわかりませんが。
マッポンが地名を正しく入力して検索しても動かなくなってしまっていませんか?12月下旬くらいから。
すみません、不具合が生じてました
復旧済みです