曲輪クエスト(118) 埼玉県川越市小堤・下広谷

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By 宮部 龍彦

現在、映画「翔んで埼玉」が大ヒット上映中である。この作品の舞台は埼玉県人が差別される架空の日本だ。原作で登場する「埼玉解放連盟」(映画では「埼玉解放戦線」)という組織は、部落解放同盟のパロティではないかと部落マニアの間で話題となっていた。

さて、そんな埼玉県には多数の部落がある。映画を機会に埼玉の部落を観光するのもよいだろう。今回訪れたのは埼玉県南部の川越市の部落である。

埼玉県でも北部は田舎らしい風景が広がっているが、埼玉都民という言葉がある通り、南部は東京都の延長線上のような感覚で見られている。ご覧のとおり、普通の住宅地だ。

ここは川越市小堤こづつみ。都心とは違って、普通に路駐できる場所があるのが嬉しい。

住宅地の中に立派な白山神社がある。

とても立派な社殿。鳥居には昭和57年と刻まれている。

その神社の正面には集会所が。

中を覗くと、人権教育について図解された掲示物があった。これで、この集会所が普通の集会所ではなく、同和施設であることが分かる。

神社から少し離れたところに大きな墓地を見つけた。見たところ、時宗の墓だ。ここ以外でも、川越市内の部落では時宗が多い。

近くで働く人に白山神社について聞いてみると、部落ですかと聞いたわけでもないのに「ここは部落だから」と言われた。少し年配の人はよく知っていることで「部落だから同じ名字が多い」というようなことが言われているそうである。ただ、小堤集会所や同和事業のことはよく分からないという。

確かにさきほどの墓地も現地の表札も「宮根」「三吉」が多い。ただ、それらの家はどれも大きな家が多いように見えた。

1935年の記録では戸数は70,生活程度は悪かったという。しかし、住宅が極端に密集しているわけではなく、田畑があったため、都市化してからは古くから土地を持つ住民は豊かになったと考えられる。

畑や空き地も少し残るが、全般に新しい住宅が立ち並んでいる。

この沖縄料理店はよその住人がやっているものだが…

この肉屋は屋号は「みよし」だ。冷凍の生牛モツを買ってみた。

さて、実は小堤には隣接する部落があり、1935年の記録では「下広谷しもひろや」で戸数は62とされる。しかし、ここについては近くの人は誰も分からないようだ。

住宅地の中に白山神社があるのを見つけた。小堤のものより小さめだが、駐車場が整備されていて、綺麗に清掃されている。

昔の航空写真で見ると田畑の中に家が分散しており、とても部落には見えない。この辺りも昔は田畑だったはずだ。

公園の横に自治会館と老人憩いの家を兼ねた建物があったが、小堤の集会所とは違って、ここには同和や人権を思わせるものは全く無い。本当に普通の自治会館のようだ。

その隣に墓地を見つけた。ここも時宗が多いようだ。「野崎」や「前野」が多く見られる。

しかし、地図で見るとはこれらの名字は分散しており、新住民による小さくて新しい住宅の間に分散している。

はっきり言って、「前野」さんや「野崎」さんの家は豪邸ばかりである。本当に部落であったのか疑問だし、仮にそうであったとしても同和地区指定する意味はなかったものと思われる。

宮部 龍彦 について

ジャーナリスト、ソフトウェアアーキテクト。信州大学工学部卒。 同和行政を中心とする地方行政のタブー、人権ビジネス、個人情報保護などの規制利権を研究している。「ネットの電話帳」管理人。

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曲輪クエスト(118) 埼玉県川越市小堤・下広谷」への12件のフィードバック

  1. .

    片岡遼平は2013年12月2日のフェイスブックの投稿で

    「帰りの高崎線、車内が居酒屋状態。
    同じ車内で酒飲んでる人が3人いる。隣に座ったおっさんはワンカップぐびぐび、超酒臭いし臭いだけで酔いそう。向かいのおっさんはハイボールにイカゲソ。もう一人はビール。何でもありだな(笑)
    やっぱこの路線は柄悪いというか田舎臭いというか。だから埼玉「ダサイタマ」(笑)」

    と、露骨な地域差別発言をしていましたから、埼玉解放連盟の糾弾を受けなければなりません。

    映画で「埼玉解放戦線」に改名したのは解放同盟からのクレームを恐れてのことでしょうか?

    返信
    1. 鳥取ループ 投稿作成者

      「埼玉解放連盟」でグーグル検索すると、全国連とか部落関係のサイトばかり上位に出るのはプロモーション上まずいと思ったのでは。

      返信
    1. 鳥取ループ 投稿作成者

      実は既に行ったのですが、近くの市営住宅を探訪し忘れてました。あそこは事実上の同和地区であったと考えられる形跡があるのですが、ご存じないでしょうか?

      返信
      1. はーい

        野田中の裏にある市営住宅ですね。近くに給食センター跡があって、当時はその筋の人達が働いていました。

        返信
  2. 秦野曽屋

    興味深く拝見しております。
    以前、小林初枝さんの「おんな三代」という自伝書を読みました。
    ’児玉(下町)’の差別の歴史が書かれていました。
    この地区は現在どのような状況なのでしょうか。
    探訪されるご予定はありませんか。

    返信
  3. 川越市民

    ・「小堤」は、実のところ「北」と「南」があり、同和地区があったのは「北」の方
    ・北の方でも「同和地区」と呼べるのはごく一部
    ・自治体に丸ごと買い上げられており、戦後、割と早い段階少なくとも60年代には、この辺りの同和問題は解消されている

    返信
    1. 鳥取ループ 投稿作成者

      貴重な情報ありがとうございます。
      ただ、小堤集会所は明らかに同和対策施設です。そういった意味では解消されていないとも言えます。

      返信
  4. ピンバック: 部落探訪(295)埼玉県 坂戸市 中小坂 - 示現舎