前回に続き、熊本最大の部落、本荘・春竹を探訪する。
食肉業者が集中し、部落のステレオタイプに合致する部落らしい部落なのだが、少なくとも現在は運動は盛んとは言い難い。むしろ、部落だの同和だのといったことは、既に終わったことというのが多くの住民の考えのようである。
屠場があった場所の周辺は、民間のアパートやマンションが建っている。この辺りには、ごく最近まで多くの食肉業者があった。そのことは、グーグルストリートビューで時間を巻き戻せば簡単に確認できる。
ここが貫出公園。かつての部落名、貫出の名前を唯一留めているものである。
部落にはかつて解放同盟、自由同和会を含む7つの同和団体があったという。解放同盟は、本荘ではない別の場所に事務所があり、一応活動はしているようではあるが、他の団体が活動している様子はない。かつて、自由同和会があったという家に行ってみたが、普通の民家で、留守だった。
これは、ぼした祭りに関わっている団体。
地域の事情にさらに詳しいという肉屋に話を聞こうとしたが、もう部落とか終わったことだからと、断られてしまった。
もともとニコイチもなかったし、新しい住宅が増えて、見た目ではもはや部落とは分からなくなっている。
それでも、20年くらい前までは地元の春竹小学校で特別な授業があったという。
1学年の100人くらいで、本荘・春竹を探訪し、ここが太鼓屋、ここが屠殺場、この村は被差別部落だったということを教えていたそうだ。
無論、探訪する児童には部落の児童もいるので、ある種の部落民宣言である。
この立派な建物がふれあい文化センター、つまりは隣保館だ。
隣保館はあまり部落施設だということは主張しておらず、既に公民館的な使い方をされているという。なぜか、その向かいは任侠組織の建物だそうだ。
こちらはやや古い市営住宅。少なくとも今は同和住宅という意識はなく、実際は住んでいるのはよそから来た人が多いそうだ。
当然ながら、掲示物に部落、同和を思わせるようなものはないと思ったが…
敷地外の掲示板に
あの人のポスターが貼ってあった。
埼玉県狭山市から遠く離れた熊本だが、毎月23日に欠かさず「狭山の座り込み」が行われている。あいにく日にちが合わなかったが、辛島公園で老人がたむろしているそうだ。
熊本で被差別部落が確立したのは江戸時代の寛文・延宝期の17世紀後半といわれている。本研究の対象地区である熊本市の部落は、薩摩街道と日向街道に通じる南の入り口部に作られ、幕藩体制下における城下町の防衛と行刑の役負担が課せられる代償に弊牛馬の処理を特権的に付与されていた。
明治時代になると、旧市内に3ヶ所の屠場が作られ、その中の2ヶ所が調査地区で開設されている。
マンションに拳銃7丁と実弾156発 暴力団総長ら男女6人を逮捕
熊本県警熊本南署と県警組織犯罪対策課などは18日までに、熊本市中央区のマンションに、拳銃7丁と実弾156発を所持していた疑いで暴力団・「四代目大久保一家」総長・後藤昭裕容疑者(59)=熊本市中央区本荘=と、幹部・後藤雅美容疑者(46)=同区南坪井町=ら男女6人を銃刀法違反(拳銃加重所持)と火薬類取締法違反(無許可所持)の疑いで逮捕した。
この件をネットで検索していると出てくるのですが、障害者インターナショナルという団体が日本会議にあるようです。部落解放同盟と関係あるんですか。
https://blhrri.org/old/info/ivent/zenken06/ivent_06zenken.pdf
金 政玉 (障害者 イ ン タ ー ナ シ ョ ナ ル 日本会議事務 局次長)
障害当事者です。
「障害者インターナショナル日本会議」は、いわゆる「日本会議」とは無関係で、どちらかというと障害当事者の中でも左寄りの思想をお持ちの方が所属しています。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9A%9C%E5%AE%B3%E8%80%85%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%82%BF%E3%83%BC%E3%83%8A%E3%82%B7%E3%83%A7%E3%83%8A%E3%83%AB
この団体の会長が元熊本県議の平野みどりさんというチェアユーザーなので、熊本ではイベントなども多く催されている印象です。
「障害者インターナショナル日本会議」加盟の各団体を見ると、確かにそのテの活動に近しい方が主宰する当事者団体も多く、おとなの事情ではっきりと明言するのは控えますが、ある種の利権絡みな一面も否定はできないところです。
因みに、私自身は首都圏のある市に在住の車椅子ユーザーですが、一部の当事者は「部落解放同盟会員を同伴して市役所に申請に行くと、難しい問題も諸々一発で通りやすい」と豪語していらっしゃるのも事実です。
ただし、私含め障害当事者の多くは、そのような「権利だの(実際には存在しないであろう)差別の体験を声高に叫ぶ」方々を、白けた想いで遠巻きに見ていることも本当のところです。
結局のところ「差別にまつわる利権」で、役所などに抗議を重ね、一時はおいしい思いをしたとしても、結局は別の形で障害者に対するヘイトとして跳ね返ってくるものと殆んどの障害当事者は弁えています。