学術・研究:部落探訪(279)滋賀県 近江八幡市 若宮町

カテゴリー: 部落探訪 | タグ: , | 投稿日: | 投稿者:
By 宮部 龍彦

近江八幡市若宮町は滋賀県内でも異色の部落である。中小森3部落の中では最大規模であるが、同和地区指定がされていない。その経緯は10年以上前の記事「同和地区指定を拒否した全国水平社初代委員長の故郷」に書いたので、ぜひ読んでいただきたい。

昭和初期の記録では戸数209人口873。かつては「十座」であったが、1954年に近江八幡市が発足した時に若宮町となった。

この部落の過去の経緯については、冒頭で紹介した過去記事にほとんど書いたので、そちらをご覧いただきたい。

このセブンイレブンから探訪を開始した。

約10年ぶりに若宮に来たが、かなり風景が変わっているような気がする。当時も確かコンビニがあったが、この場所ではなかった。

当時は村の外はもっと田んぼが広がっていて、あたかも陸の上の島のような孤立感があったのだが、ここ10年で明らかに新しい住宅が増えている。ストリートビューで時間を巻き戻して確認してみると、確かに周囲の田んぼが徐々に宅地化されている。

しかし、部落の中心部に向かって歩くと、記憶にある風景が見えてきた。

地区内の地図を見ると、「重田」「大黒」「南」という、この部落に特徴的な名字が見える。他に多いのは「堀」だ。

ここは全国水平社初代委員長南梅吉の出身地区であり、由緒ある部落なのだが、滋賀県最大の未指定地区である。いや、近世からの歴史ある部落の中では全国最大の未指定地区ではないだろうか。繰り返しになるが、そうなった経緯は過去記事を読んでいただきたい。

しかし、10年前に比べれば、多少は廃墟が減って新しい家が増えたような気がする。

狭い道があるのは相変わらずであるが。

廃墟のあった場所が整地されていた。

軽自動車がギリギリ通れるだけの道もあるので、そういう場所では前から車が着たら人間でもすれ違えない。

無論、掲示板に人権だ部落だといったことは書かれていない。

そして、ここも真宗大谷派。

部落の起源は、はっきりとは分かっていないが、中小森で最古の部落は大森町なので、若宮町はそれよりは新しいことになる。一説では末広町から派生したという。「南」という名字が多いのは、末広町が昔は南野村だったことと関係しているかも知れない。また「堀」は明らかに堀上町の名字なので、堀上町からも人の移動があったことが推定される。

中小森3部落の中では最も土地を持たない部落だった。そのため、職業は商売が多かった。今は普通のサラリーマンをしている人が多いという。

この規模の村なら、昔ながらの商店でも経営は成り立つだろう。この酒店は今日はたまたま休みだったが、普段は開店しているようだ。田舎ではありがちだが、ビールをケースで各家庭に配達する仕事で十分やっていけてるのではあるまいか?

廃墟が何軒があったが、意外と多くない。車が入れないような場所にところどころあるくらいだ。10年前はもっと廃墟が多くて、まるごと廃墟になっているアパートがあったような気がする。

向こうに見えるのは東海道新幹線。部落の一部を横切っている。

田舎の未指定地区では寂れ方がえげつないところもあるが、若宮町は普通に古い家が更新されていて、今でもそれなりに活気があるように見える。

これは若宮神社。今の町名の由来だろう。

ここはもう1つの寺、遠慶寺。宗派はこちらも真宗大谷派だ。

檀徒の名字の傾向は信教寺と変わらない。通りがかりの住人によれば、村の中では信教寺と遠慶寺の檀家がそれぞれあって、2つの寺は特に関連はないらしい。なぜ2つ寺があるのかは分からないそうだ。

あえて撮影はしなかったが、今も10年前もそれなりに人通りがあった。今回は2人に声をかけられた。

宮部 龍彦 について

ジャーナリスト、ソフトウェアアーキテクト。信州大学工学部卒。 同和行政を中心とする地方行政のタブー、人権ビジネス、個人情報保護などの規制利権を研究している。「ネットの電話帳」管理人。

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学術・研究:部落探訪(279)滋賀県 近江八幡市 若宮町」への13件のフィードバック

  1. 問題の本質から逃げるな

    宮部さんよ。。。
    ところでこの町に差別は存在すのかどうかを知りたい
    役場、教委等で裏どりしてはいかがか。
    あんたの自論通り
    解同も無い町で同和指定を受けていない町

    ここには部落差別が言い切れるのか
    結婚差別は無いと言い切れるのか
    若者たちに差別意識は無いと言い切れるか
    ここの住人は三代前までしか先祖を辿れないと言いきれるのか

    言い切れるならその根拠は
    また何しに来たのだ

    返信
    1. 匿名

      無理、
      宮部には真実はわからない。
      裏付けも無い自論を振りかざすだけだ。
      取材力はゼロと、また良い。

      返信
    1. 彼によくある事

      ご指摘通りです。

      遠慶寺(おんきょうじ)が正解です。
      録画を見て投稿されたと思いますが、
      宮部氏によくある話です。
      やりっぱなし、言いっぱなし、
      なんども、指摘されてますが宮部氏は裏どり、見直しをまるっきりしません。
      間違いは誰にもあるのですが、お詫び訂正ぐらいしても良いのですが、、、、
      それもしない。間違った読みをすること自体失礼ですがね。

      返信
      1. 匿名

        >遠慶寺(おんきょうじ)が正解です。

        宮部の性根がわかったでしょう。
        予習もしない、見直しもしない。
        学術もへったくれもない行き当たりばったりの観光。
        自称ジャーナリストらしいが、勘弁してよーー

        返信
  2. 匿名

    令和3年度 第2回近江八幡市人権擁護審議会 議事録
    日時:令和3年10月7日(木)

    委 員:被差別部落の出身の人が、引っ越しをして別の地域に住んだ場合は同和問題とは関係がなくなるのか。
    事務局:それでなしになればそれがいいが、出身が被差別部落ということが付いて回る。出身地を
    言うのが怖いという人が今でもいる。

    * 同和地区事業指定を離れても名前は残り差別を受けるんですね。その地名をなぜ公表する必要があるのか甚だ疑問です?
    * 近江八幡市の同和行政終結については、中身云々はさておき小川 廣司氏も語っておられますね。

    *近江八幡市の目玉のニコイチの譲渡ですが、どのように譲渡されたか興味があります、対象者?無償譲渡?条件付き譲渡?などなど
    今後、宮部さんが語られるでしょうが興味あります。よろしくお願いします。

    返信
    1. 匿名

      まあ、宮部の能力はこの程度でしょうな。
      ワハハ
      からかうには、持ってこいの男宮部
      ワハハ

      返信
    1. 匿名

      こそこそ撮影してるから見づらい画像になる。
      宮部氏も後ろめたさがあるのであろう。
      こんな訪問なんて何の意味があるのであろう。
      マップのストリートビューで充分だと思う
      どなたかが指摘通り、取材力が宮部氏にないのであろうか、、
      特に、同和団体色のない部落は宮部氏なんて知らないから
      取材しやすいと思うがね、、、
      宮部氏よ 普通の部落民と仲良くしろよ。
      斜に構えた状態では真実は見えてこないよ。
      何も知らない差別好きの人たちが喜んであんたの記事に飛びついてるだけ。
      宮部氏
      あんたが差別を助長してるんですよ。
      あんたの詭弁なんて通用しないよ。だから裁判でも負ける。控訴しても負けるよ。

      返信
  3. 匿名

    >若宮神社。今の町名の由来だろう。

    常識ですよ。訪問は2回目じゃなかったでしょうか???

    返信

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