曲輪クエスト(261 前編)茨城県 猿島郡 境町 伏木

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By 宮部 龍彦

古河市を探訪した時、ぜひとも隣の境町にも来て欲しいとのリクエストを頂いた。その時に聞いたのは、慈光じこう学園の隣が部落と伝承されていることだ。調べてみると、そこは大変興味深い立地である。坂東市に囲まれた、境町の飛び地になっている。

名字は間中まなか。その分布を調べると、さらに興味深いことが分かった。

名字の分布を調べるツールと言えば、マッポン!である。これで境町の間中の分布を見ると、確かに坂東市の中にある飛び地に少数であるが分布しており、多数分布している箇所が2つある。いずれも境町伏木の中にある。確かに、戦前の記録では伏木内に3つの部落があったとされるので、部落である可能性は極めて高いであろう。

まず、飛び地を訪れてみた。周囲は林に囲まれており、あまり見たことのない、珍しい立地にある。この場所の小字は谷津。戦前の記録では4軒の部落があったとされる。

資材置き場と廃墟があるが、民家もある。

何か由緒がありそうな石塔がある。比較的最近に人が住むようになったのではなく、かなり昔からここに人が住んでいたことを示すものであろう。

今でも4世帯はあるように見える。

周囲には林に囲まれた田畑がある。経緯は不明だが、どこからか移住してきて、この辺りの林の中を開拓したのであろう。

小さな墓地があった。やはり名字は間中。

南無阿弥陀仏とあるので浄土真宗かと思ったが、釋の字が入った法名ではないし、弌の字も見られないので、これは浄土宗であろうと推定した。

次は、伏木の中でも、最も多数の間中が分布する場所へ向かった。ローソン境町伏木店の西側である。

住宅地図を見ても、確かにほぼ間中だけである。この辺りの小字は西原。戦前の記録では20戸の部落だったというが、それよりも多いように見える。

しかし、気づいたのはいずれの家も大きいことだ。豪邸と言ってもいいような家がある。むしろ大地主の家のような佇まいである。

ただ、どことなく佇まいがさきほどの飛び地に似ていなくもない。伏木内のいずれの部落は農業と草履製造をやっていたというが、実際が農業に加えて様々な仕事をやっていたのではないかと思う。

住宅地図には、「毛皮店」と書かれている家があったが、行ってみると時に看板が出ているわけではなく、豪邸があるだけだった。

気になったのは、地図にもあるこの神社。ただ、石柱に刻まれた名字は間中ではなく、別の村の神社のようだ。

これはおそらく白山神社ではないだろう、

ソーラーパネルと温室のような建物の間の向こうにもう1つの神社がある。

これはもっと大きな神社だが、神社の名前が書かれていない。

これは白山神社の可能性もあるかと思ったが…

この金毘羅権現があるのが気になった。経験上、部落の白山神社の金毘羅さんがあった例はない。

通りがかりの間中さんに聞いてみたが、あの神社はよく知らない、そもそも別の神社の氏子だからあそこには関心がないということだ。その別の神社に何か手がかりがあるようだ。

(次回に続く)

宮部 龍彦 について

ジャーナリスト、ソフトウェアアーキテクト。信州大学工学部卒。 同和行政を中心とする地方行政のタブー、人権ビジネス、個人情報保護などの規制利権を研究している。「ネットの電話帳」管理人。

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曲輪クエスト(261 前編)茨城県 猿島郡 境町 伏木」への10件のフィードバック

  1. >>何か由緒がありそうな石塔がある。
    たぶん石塔の一種である「石幢 (せきどう)」ですね。典型的な「龕部 (がんぶ)」が無いけど。

    >>住宅地図には、「毛皮店」と書かれている家があったが
    その写真は毛皮店と言う事で掲載していますか?もしそうであれば、間違いです。
    毛皮店はそこから80mぐらい北の青い屋根の家ですよね。
    ちなみに写真の家の裏(西側)に石材がたくさん放置されていますが、
    その中に石幢の龕部と柱が見受けられます。

    返信
    1. 宮部 龍彦 投稿作成者

      解説ありがとうございます。
      電話帳を調べると、間中菊二毛皮店とあります。
      そして興味深いことに、谷津の飛び地にも間中菊二の名前があります。

      返信
    1. 名無しさんが通ります。

      ただの軍人顕彰の碑だな。田舎に行くとよく見かける。
      オラが村の軍人さんを顕彰するだけで、被差別部落の探求にはあまり意味がない。

      返信
    1. 平須町 田向井

      現在では白山社はなくなっていますが、白旗神社が元は皮多頭・五兵衛の屋敷内にあった白山権現社との事。

      返信