学術・研究:部落探訪(215) 千葉県 野田市 谷吉

カテゴリー: 部落探訪 | タグ: , | 投稿日: | 投稿者:
By 宮部 龍彦

野田市の最大の部落は谷吉やよしである。戦後間もない頃までは、ここは「谷津やつ」「吉春よしはる」という2つの部落で、1954年に合併した。つまり、谷吉は合成名というわけである。1935年の時点で谷津は94戸、吉春は35戸と記録されている。現在は住所表記上は谷津、吉春、谷吉が混在している。

谷吉にある、このファミリーマートから探訪を開始する。現在谷吉という地名の場所は、昔は田畑だったところで、後に住宅地になった。地区の大部分の地名表記は谷津である。

この辺りの地名表記は複雑である。谷吉という地名はファミリーマート周辺の一角だが、谷津も吉春も主要な地域はここから2kmほども南にあり、しかも飛び地だらけである。部落は谷津と吉春の飛び地に位置している。

なぜこうなったのか、ヒントは戦前の地図にあり、そこには「吉春新田」「谷津二区」「吉春二区」といった表記が見られる。つまり、谷津と吉春はそれぞれの本村の枝郷であり、おそらく江戸時代に穢多による新田開発が行われたものと考えられる。

新田部落ということで農家が多かったが、戦前の記録では主要な産業は商業となっている。現在も、自営業者が多いように見える。

そして、関東の部落と言えば白山神社があり、野田市の場合はなぜか香取神社とセットになっているケースが多いが、ここには「谷吉神社」だけがある。

この石碑にある神社の由緒を読むと、全てが納得できる。もとは谷津が白山神社、吉春が香取神社の氏子であった。しかし1954年に両地区が合併、それに伴って2つの神社も併合する動きがあり、ついに1981年に併合が完了して谷吉神社が誕生した。

石碑の裏側を見ると、西村、西野、中村、田中という名字が多いようだ。

しかし、気になったのはこの鳥居。昭和11年と刻まれている。鳥居だけは神社の併合以前からあったということか?

この石柱には昭和3年とある。しかも「谷吉支部」と刻まれている。何の支部なのかは分からないが、合併以前から谷吉という呼び方はあったということだろう。

Youtube視聴者等のコメントによれば。もともと、ここに白山神社があったようだ。千葉県神社庁のウェブサイトで野田市内の神社を検索すると、谷吉神社の読みがなが「ハクサンジンジャ」になっている。

神社は住宅地の中にあるが、隣には広い畑がある。全般的に住宅は密集しておらず、あちこちに畑があり、庭のある大きな家も多い。

香取神社はどこにあったのか住民に聞いてみたが結局分からなかった。

代わりに、こんなものがあると教えてくれた。ただし、これも由緒は分からないという。

実は後になって気づいたのだが、ファミリーマートから道路の向かい側に、香取児童遊園があり、これが香取神社の跡地である。そして、この周辺がもと吉春だった場所である。

自治会名は間違いなく谷吉だ。

さらに西の方に歩いてみた。

ここも空き地が多いのだが、売りに出されていた。そして、実際に売れているのか、所々新しい家が建っている。

谷吉会館、つまりは隣保館の案内板を見つけた。

ここが谷吉会館。今日は休館日だったが、子ども館の方は人の気配があった。

隣保館周辺は、ごく普通の千葉の田舎の風景。ここも風景だけであれば、部落と言われなければ絶対に分からない。

宮部 龍彦 について

ジャーナリスト、ソフトウェアアーキテクト。信州大学工学部卒。 同和行政を中心とする地方行政のタブー、人権ビジネス、個人情報保護などの規制利権を研究している。「ネットの電話帳」管理人。

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