学術・研究:部落探訪(200) 福岡県 北九州市 小倉南区 北方3丁目

カテゴリー: 部落探訪 | タグ: , | 投稿日: | 投稿者:
By 宮部 龍彦

福岡県には多くの部落があるが、実は大規模なものは少なく、その中でも最大と考えられるのが北九州市の北方きたがた地区である。明治期の地名は「田中」その後西北方と言われ、現在では北方3丁目が部落に該当する。

1933年時点での戸数は293、人口は1177である。しかし、戦中戦後に世帯数が急増し、2015年の調査では1387世帯、2695人にも達している。

ここには絶対に行くべき名店があるというので行ってみた。それが、「今浪うどん」である。着いたのが11時半くらいであったが、既に行列が出来ていた。

これが「肉肉うどん(大)」950円。男子にはちょうどよい量である。麺はやや細めであるがほどよくコシがあり、また大量に入っているスジ肉はトロトロということもなければ、噛みちぎるのが大変ということもない。麺、肉、ダシともに、それぞれの「らしさ」を感じさせるど真ん中を狙っている。はっきり言ってこれは大変おすすめできる。

そして、北方と言えばこの小倉競馬場。コロナの影響で馬券をネットで買う人が多くなっているそうで、競馬場はあまり人は多くなかったが、注目レースがあれば賑わっていたことだろう。

北方には戦前から競馬場があるため、競馬場で働く人が多く、部落の1つの産業となっている。そのためか、JRAのトレーニングセンターがある栗東市にも今浪という名字が見られる。

そのため、実はJRAは部落との関係が深い。当然、労働争議に「その手の団体」が出てくることもあったというが、公営賭博であるゆえに反社はお断りというのがJRAの絶対的方針なので、毅然と対処したという。その一方でJRAは、付け込まれないように、身元調査業者であるとかましてや部落地名総鑑っぽいものには手を出さないように徹底していたという。

そして今浪うどんの近くにあるのが「永万寺」、西本願寺である。

永万寺と言えば、地区内のあちこちでこのようなものを見かけた。永万寺で老親紛争があり、永万寺側が負けたのだが賠償金が払えず、寺が破産するという内容である。「小倉タイムズ」なる壁新聞には「いっさいの差別反対、市民権の自由、平等」と編集方針に書かれている。

しかし、気になったのは永万寺の門徒が3000世帯という記述。とすると、門徒は北方3丁目に限定されないということだろう。

掲示版には地区内の地図も掲示されている。これを見ると南西に墓地があり、その辺りにも同和対策の団地がある。明治期の地図では「出屋敷」と書かれているが、おそらく田中村からの出屋敷であり、そこも部落とされていたのだろう。

そして、平成5年の「完成記念碑」なるものがあり、航空写真がプリントされている。

この地域は住宅が密集していたが、1980年代半ばから1990年代半ばに改良事業がされた。他の同和地区に比べて改良された時期が新しく、しかもちょうどバブル期に重なる。

分かる人には分かるだろうか? この歩道つけ方、タイル、建物のデザインはまさにバブル期のセンスである。

若干細い路地も残ってはいるが…

1970年代に改良された同和地区よりも明るい感じがするだろう。

モノレールの駅の辺りまで行ってみた。

駅前の商店街がすっかり寂れていたが、この配色、字体といい、平成初期のトレンディドラマに出てきそうではないか。

その近くに隣保館がある。

中を覗いてみると、「モモマルくん」が。北九州+同和+人権というと、どうしてもアウトローなイメージを持ってしまうが、おそらくそれを払拭すべく作られたゆるキャラである。

しかし、隣保館周囲は寂れている。

川沿いを南に進んでいく。

新しい戸建ての住宅に団地が混じっている。団地のデザインはやはりバブリーである。

ある日突然住民が出ていってしまったかのような、タイヤがつぶれた車が停められた空き家があった。

このセブンイレブンとドラッグストアの南側が「出屋敷」になる。

その住宅地の中に墓地がある。

この墓地は密集度が極めて高い。狭い範囲に墓石が密集している。もちろん、それらは浄土真宗のものだが、全般に立派な墓が多かった。

この広さでは全世帯分の墓が収まるとは思えないので、多くのお骨は納骨堂に収められるのだろう。

さて、再び競馬場方面に戻っていると…

これもまた平成初期っぽい自動販売機があると思ったら。

これはエロビデオの自販機である。バブル期の田舎にはよくあった。銀色になっているのはマジックミラーで昼間は中が見えず、夜になって見えるようにするためで、地域の景観と青少年への配慮である。よく見たら中の蛍光灯が点灯しており、なんと現役である。エロDVDが入っていた。

最後に、これもまた小倉競馬場の近くにある天疫てんやく神社に行ってみた。ここは部落の外である。

この周囲の家の表札はどれも「今浪」である。実はこの場所の地名が今浪であった。つまり、今浪は田中村とは別の村の地名に由来するもので、部落の名字というわけではない。

宮部 龍彦 について

ジャーナリスト、ソフトウェアアーキテクト。信州大学工学部卒。 同和行政を中心とする地方行政のタブー、人権ビジネス、個人情報保護などの規制利権を研究している。「ネットの電話帳」管理人。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。

wp-puzzle.com logo

日本語が含まれない投稿は無視されますのでご注意ください。(スパム対策)

学術・研究:部落探訪(200) 福岡県 北九州市 小倉南区 北方3丁目」への3件のフィードバック

  1. 通り菅りの首相

    永方寺ではなくて、永万寺と書かれているように見えますが、いかがでしょうか?

    返信
  2. Warren

     以前、「自治体条例WEB」から直方市や飯塚市の「納骨堂条例」が消えたって文句を言ってた者です。
       jorei.slis.doshisha.ac.jp
    には有りました。ループさんとっとりご存知だとは思いますが。
     doshisha?近畿大学の方が得意だと思ってました。
     同じ福岡県なので、敢えて。

    返信

関連記事

学術・研究:部落探訪(285 後編)埼玉県 本庄市 児玉町児玉 下町

前回に引き続き、下町の探訪である。そもそも「下町」とはどこの、どの範囲を指すのか、文献だけでは分かりにくかったが、現地を探訪するうちに次第に全容が分かってきた。 それを理解する鍵は、小林初枝『こんな差別が』で挙げられてい […]

学術・研究:部落探訪(283)山梨県 笛吹市 一宮町田中 西組

「国連NGO横浜国際人権センター山梨ブランチ」を取材するために山梨県を訪れていたのだが、地元の方から、山梨県の部落と言えば笛吹市の田中が有名と聞いた。未指定地区であるが、とある全日本同和会の幹部もここから出ているという。 […]

学術・研究:部落探訪(282)大阪府 吹田市 岸部中 “光明町”

吹田市の岸辺駅の近くに光明町(こうみょうちょう)という部落がある。かつてここは小路(こうじ)南垣内(みなみがいと)という農村だった。 それが戦後、とりわけ1970年頃から急速に都市化して、農村の面影はほぼ消えてしまった。 […]

学術・研究:部落探訪(281 後編)京都府 八幡市 八幡 六区

前回訪れたポンコツ街道は部落内ではなく、部落の南外れの、もともと田畑だった場所である。 昔から部落があった場所は、現在の八幡軸、八幡長田周辺の複数の小字にまたがる範囲で、昔の航空写真から、ここに住宅が密集していたことが確 […]