学術・研究:部落探訪(198) 岐阜県大垣市南若森町

カテゴリー: 部落探訪 | タグ: , | 投稿日: | 投稿者:
By 宮部 龍彦

大垣市南若森町は全国部落調査に掲載されていない。なおかつ、歴史的にも部落ではないのだが、周辺地域も含めて同和地区指定された。そして、ここには解放同盟大垣支部が組織されているが、これも部落とは無関係である。

つまり、南若森町はエセ同和地区であり、解放同盟大垣支部もエセ同和であると言える。

これが南若森会館。隣保館である。とは言っても公民館のような使い方をされており、利用者の多くもこれが同和施設であることを知らないと考えられる。周辺住民に聞き込んでみたが、ここが同和地区であると知る人はいなかった。

ただし、若森会館にある2棟の建物のうち、こちらは解放同盟大垣支部の事務所になっている。解放同盟大垣支部は支部長が支部員を通じて元警察官に自身の経営する会社の役員の殺害を依頼し、その役員に重傷を負わせる殺人未遂事件を起こした。そのような事件を起こした団体が未だに存在して市の施設に入っているとは信じがたいことだが、同和が絡むとデマか都市伝説のようなことが本当に起こる。

まず、部落には見えないし。そもそも部落ではない。しかし、故・石井輝男解放同盟岐阜県連委員長は南若森町出身であることをもって部落出身を自称していた。ちなみに、それさえ嘘であり石井輝男は南若森町の出身でさえないと複数の人が証言している。

部落だという根拠があるとすれば、明治後期に滋賀県甲良町の呉竹部落から移り住んできた人々がいるということだが、それらの人々が住んだ「水神裏」は南若森町ではなく日の出町にある。

日の出町も同和地区指定されている。そこの住民が南若森町周辺にも住んでいるからまとめて同和地区指定したという理屈である。

ここが水神神社。この裏手にあるから、水神裏というわけである。

現在の水神裏。細い路地と古い家があり、確かに部落のような雰囲気があるが、地元では貧民窟と認識されてきたそうである。ここに同和予算が投じられて改善されたようには見えない。

この大泉寺は真宗大谷派の穢寺リストに掲載されている。しかし、仮に明治後期に滋賀の部落民が移り住んできて檀家になったのだとしても、穢寺とは言えないだろう。住職に聞いてもここが部落の寺という認識は全く無かった。つまり、誤って穢寺リストに掲載されたものと思われる。

ここが南若森住宅という市営住宅。解放同盟関係者によれば、大垣市ではこの住宅の住民が部落民という認識をされ、解放同盟大垣支部がこの住宅を市との交渉のネタに使ってきたという。

ここに「部落差別」があるとすれば、それは江戸時代に作られたものでもなく、民衆の間に生まれたものでもなく、現憲法下の政府と解放同盟が勝手に作ったものではなかろうか。

行政側にも負い目がある。だからこそ余計に誤りを認めて、もう止めようということになりにくいのでは。

大垣市西地区センター。ここは同和施設ではないが、隣の公園では解放同盟大垣市部の行事が毎年のように行われる。

公園には解放同盟大垣支部の記念植樹が。そこには「協賛 大垣市」の文字が。そしてなぜか解放同盟岐阜県連合会の県の文字が懸になっている。反社団体は旧字体を好む傾向があるが、それでも「縣」の字を使うのが普通ではないか。

この公園の近くにはこのような極めて古い長屋がいくつかあるが、無論部落とは関係ない。この長屋はただの民間の古アパートのようである。

宮部 龍彦 について

ジャーナリスト、ソフトウェアアーキテクト。信州大学工学部卒。 同和行政を中心とする地方行政のタブー、人権ビジネス、個人情報保護などの規制利権を研究している。「ネットの電話帳」管理人。

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学術・研究:部落探訪(198) 岐阜県大垣市南若森町」への2件のフィードバック

  1. 水神裏部落

    大正のはじめ十数年間にわたって滋賀県甲賀郡から移住した三十余戸、
    約百人の蛇や蝮を捕獲して生活する人びとによって形成された「部落」
    であった。(「賎民の後商」九一頁)

    返信
    1. 鳥取ループ 投稿作成者

      そのようです。甲賀の呉竹起源。ただし、大垣の解放同盟員の方々はそのようなルーツではなさそうです。

      返信

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