静岡県内でも、静岡市から東の部落の場所は非常に分かりにくい。なぜなら、同和地区指定がされていないからである。
今回訪れた入江栄町も部落ファンのアドバイスにより、やっと特定することができた。
現在の場所は、端的に言えば静岡市清水区入江南町4と新富町12である。この県道75号線の両側となる。
かつての地名は「栄町」。その地名は現在の栄町公園として残っている。1935年の記録では26世帯と小さな部落である。
この理容店の名前もそれに由来しているように見える。
この地の歴史に詳しい近隣住民によれば、栄町と言えば主に入江南町4のブロックのことを指していたという。一方、旧栄町の住民によれば新富町12も栄町に含まれ、「入江栄町」と呼ばれていたという。
現在は、入江南町と新富町に地名が別れているだけではなく、町内会も別れている。
ただ、町内会は別れても、かつての入江栄町の住民はこの厄除八幡神社の氏子になっているということだ。氏子には「河村」という姓が多く、住宅地図等で調べると確かに河村姓は新富町にも分布している。
「栄和会」というネーミングが融和を感じさせる。
実際、集合住宅や新しい家が多く、この部落は融和しているようだ。
ただ、入江南町4のブロックの中央部には、かつての路地を偲ばせる風景があるにはある。
前出の歴史に詳しい近隣住民によれば、やはりこの地域は日蓮宗の檀徒が多いという。ただ、日蓮宗が多いのは部落に限ったことではなく、もともと清水市には日蓮宗が多いそうだ。また、静岡の特徴として、東海道沿いの寺は檀徒が分散しており、いわゆる「村の寺」というのはないそうだ。これは、交通の便が良くて人の出入りが多かったことが影響しているのではないかという。
県道75号線も江戸時代からの主要道路で、清水港と各地の村々の間を多くの人が行き交っていた。昭和初期の航空写真では既に都市化しており、部落の境目は分からないが、実は江戸時代中期からそうなっていたのではないかという。すると、入江栄町は賎民による部落というよりも、各地から流れてきた貧困者によるスラムではなかったかという見方もできる。
今も人の出入りが多く、ずいぶん住民が入れ替わったという。
新富町12は新しく綺麗な家が多いが…
ブロックの中心部には古い家と草が茂った空き地が。これは差別のため…ではなくて、単純に自動車が入れないので不便すぎで放置されているように見える。道に接している土地には集合住宅が建っているのだから、どこかの不動産業者がまとめて買い上げて、ちゃんと道をつければ普通に売れる土地だろう。
部落差別について住民はどう考えているのか? かつて地元の銭湯に入浴を拒絶されて裁判になったことが文献にあることを話すと「へー、そんな差別があったんですか?」という反応であった。当の住民にも部落であったことは忘れ去られているようだ。
市内の人でも、ごく一部の研究者を除いて、この地域がその昔部落だったとか、差別事件があったとはまず知らないはずです。私自身、『全国部落調査』を読んで初めて知りました。ある意味でカルチャーショックでしたね。
融和の達成された状態とはどういう姿か、運動団体の連中は鑑としてほしいくらいです。
ご感想ありがとうございます。全国部落調査が貴重なのは、未指定地区も掲載されていることです。
差別ばかりが強調されている中で、多くの「解放された」部落の存在が明らかになって、それらが研究されることには大きな意義があると思います。
さくらももこの実家は新富町10
漫画にも神社や栄町公園が出てくる
非常に興味深いお話をありがとうございます。
それは気づきませんでした。
新富町10の辺りは通ったので、知らずにさくらももこさんの実家近くを探訪していたのですね。
津川原事件のところにはいかれましたか?いまは名前ものこっていない地名だそうですが。
部落云々鳥取ループさんの探訪記は読み物としておもしろいですね。なにかワクワクします。ぼくの住んでいる奈良県のとある町にも部落があるのでいつか来てほしいです。
津川原事件自体知りませんでした。興味深いですが、痕跡を探すこと自体難しそうですね。
同じ示現舎・鳥取ループによる「全国部落調査」復刻版出版事件をはじめ、中央本部や県連に凶器入りの差別脅迫文書が送りつけられる事件が昨年9件も起こったこと、しかも、その送付先の名前や住所が鳥取ループらによるインターネット上の「同和地区Wiki」で調べられた疑いがあることも示し、「部落探訪」が差別を助長していることを指摘した。
http://www.bll.gr.jp/news2018/news20181022-3.html
自分の胸に手を当てて考えてみろとはこのことでしょうか。
狭山事件に関しては「石川一雄さんが事件前に勤務先の東鳩へ提出した早退届は脅迫状と酷似しているが、それでも石川さんは無実! 疑わしきは罰せず!」
示現舎に関しては「中央本部や県連に凶器が送られた事件は示現舎のせい! 疑わしきは罰せよ!」
こういう二枚舌を何とも思わないのが解放同盟。
裁判では誰も「部落の地名を出すことは不法行為だ」と言ってないし、解放同盟による部落探訪は解放同盟も裁判所も正当化してるんですよ。
そういうご都合主義の理屈を持ち出すなら、何度出版禁止を出されようと、手を変え品を変え同じような事をやって、どこが許されるラインか検証せざるを得ないです。
ちびまる子ちゃんのいたところってそうだったんですね・・・
まる子ちゃんのお姉さん(まる子=原作者によると美人らしい)が好きだった男の子にフラれて泣くシーンが漫画で出てきますが、こういうことと関係あったのかな?
ちびまる子の家自体は部落の外だけども、部落の近くだったということだと思います。
そこから一番近い地区は袖師村の車形か
同和地区wikiには西久保と書いているが宮下町だね
旧清水市は、部落というより港湾労働者が多数。
江戸時代から、山梨の年貢を清水港に一時保管し、清水港から江戸に送っていた。
体に自信があるものが、艀業務(船に荷物を積み込む)を行っていた。
港湾労働者の内訳は、ヤクザや流れ者が居ついたのがほとんど。
同和とは全然違う。
ガラが悪いのは変わりが無いのかもしれないが、
土地で差別することはない。現代にくたびれた建物が集中してあったとしても、
それを同和とするには早計。人の入れ替わりも激しかった。
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ちびまる子の作者の生家は
新富町11じゃなかったかな
数十メートル先だと思う
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本行寺本堂改築喜捨芳名より
入江栄町(町名が隠れており、正確な表記は読み取れず)