1963年に同和対策審議会により、西成地区の調査が行われ、「大阪市西成区出城開地区 精密調査報告書」が作成された。
この地が調査対象として選ばれたのは、大都市の部落、急激な変容、混住が著しいという特徴があったからだという。いわゆる「都市部落」の非常に顕著な事例なわけである。
報告書には、地図が掲載されているが、当時からすでに部落内外の境界は不明瞭であった。その中から特に「地区民」のもっとも集中している中開4,5,6丁目と出城7,6,5丁目から300世帯(ただし朝鮮人を除く)を抽出して調査したという。そんな具合なので、このような「精密調査」に、どれだけの意味があるのか疑わしいところである。
この大きな建物は、大阪市社会福祉研究・情報センター。
中には、この地の歴史資料が展示されている。現在の大阪シティ信用金庫の前身の1つとしてこの地に存在した「愛隣信用組合」は、「善隣」「共愛」という町内会名から付けられたという。
「特別養護老人ホーム花嵐」は住吉区矢田にある。
「旭区まきグループホーム」は旭区生江にある。
「ともしび福祉会」は、飛鳥会事件の小西邦彦が設立したことで、知る人ぞ知る団体である。
また、見る人が見れば分かるが、福祉団体の場所が同和地区に偏っている。
この建物は「大阪市立市民交流センターにしなり」であったが、既に閉鎖されていた。かつては「大阪市立西成同和地区解放会館」であった建物である。前回、中開3丁目の閉鎖された解放会館を紹介した。そう、西成には解放会館が2つあったのである。
市立の隣保館は2つともなくなってしまったが、代わりにできたのが、この「にしなり隣保館 ゆ~とあい」。訪れた時は「こども食堂」が開いており、地元の小中学生でにぎわっていた。これは完全民営の隣保館である。民間でも需要がある限り、やればできるということだ。
この地域に多い材木屋。
この老人憩の家は使われていた。やはり、このご時世なので、老人向けの施設の需要は大きい。
町内会の掲示板に地図が掲示されていた。これは「住宅地区改良法」に基づく「住宅地区改良事業」に関するものである。大阪市内でも、唯一住宅地区改良事業が進められているのが西成地区だ。対象地域は同和地区とほぼ一致するが、同和事業とはまた別のものである。
未だに事業が終わらないのは、ここは「混住地域」なので住民の思惑が必ずしも一致しないこと、高齢化のため移転を嫌がる住民が多いことがあるという。
市営住宅がある辺りは、いかにも「同和」という雰囲気が漂うが、長橋の住宅地に入ると普通の下町のたたずまいである。そもそも西成地区はよそから来た住民が多いし、このような場所に住む人は、自分を「部落民」とは思っていないと考えられる。
そして、住宅地の中に入っていくと、なぜここが住宅地区改良法の対象地域なのか、よく分かる光景が現れる。
この木造の民家は、部落っぽい雰囲気がよく出ている。この景観だけ遺しておくために文化財に指定してもよいくらいだ。
細い路地があちこちにある。
路地に囲まれた祠。住所表記上は鶴見橋だが、一応同和地区指定された区域内である。
そして、極めつけがここだ。人の体の幅しかない。しかし、砂や埃が溜まっておらず、きれいにされているところから分かる通り、単なる家の間の隙間ではなく、れっきとした生活道路である。
こちらは出城温泉。見た目も料金も、大阪の下町によくある普通の風呂屋だ。
こうゆう路地が大好きです。
住みたい。
不動産検索サイトで調べると、400万円からありますね。
情報センター前であたりにむかし「喫茶タエ」という微妙な名前の店があったんですが・・・。
過去の電話帳を調べてみたら、確かに文化温泉の横に「きっさたえ」という店が2009年まであったようですね。
住所で言えば、西成区南開 2-2-7、今は「そーしゃるさぽーと憩」になってます。
ストリートビューの過去画像にも出てきました。
https://goo.gl/maps/kGop5QZmSP42
昔ながらの路地が残っていて、風情があります。
さすがに木造トタン屋根は少なくなってるけど、迷路みたいな路地には懐かしさすら感じます。
西成界隈は地元の人もまだ多く残ってるけど、他からの混住が進んでいます。
西成って言うと治安が悪いイメージですが、案外下町の情緒が残る良い街です。
危険なところはごく一部です。
一見すると現代的な住宅も、実は築90年といったものをリフォームしたものがざらにあるようです。
昔ながらの大阪の下町が最もよく残っている地域かも知れません。
道が狭いので重機も入らず、建て替えが困難だからサイデリアしてるんでしょうね。
元の木造軸組みはかなり古いと思います。
他にも残っていたバラック街と言えば大阪だと日東町が半端なく凄かったですけど、
跡形もなくなってしまいました。日本橋の中で時間が止まった地域でしたけど・・・今はありません。
街並みはきれいに装っても、部落産業は独特ですから、すぐにわかる地域があります。
改良住宅に建て変わったところや団地になったところでも部落特有のガランとした空気が漂ってます。
田舎の部落だとその地区にはいまだに地区外の人はあまり足を踏み入れないので、たまに通ると、怪訝な顔でのぞき込まれます。差別されたから排他的に差別するんでしょうかね?
融和的ではありません。
まったく気の所為とおもわれます。
バラック街は大阪の場合地区周辺にある場合が多いです。いろんな公営施設が廃墟化してるような気がします。旧同和地区って言ったって昔の話で今はほかとなんら変わりません。当然ですが。又、釜ヶ崎も危険って事はありません。おっちゃんが昼間から泥酔して寝てたりしますけど。
確かに、公営施設の廃墟や空き地が多くて閑散としてますね。ぜひ富士工務店には頑張っていだだきたいものです。
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