
学術・研究:部落探訪(261 後編)茨城県 猿島郡 境町 伏木
境町では、間中姓の分布が部落に対応していることが分かった。前回は坂東市内の飛び地を探索し、さらに本拠と考えられる西原を訪れた。後編では、宗教について検証し、さらにも1つの場所である倉ノ内を探訪する。
境町では、間中姓の分布が部落に対応していることが分かった。前回は坂東市内の飛び地を探索し、さらに本拠と考えられる西原を訪れた。後編では、宗教について検証し、さらにも1つの場所である倉ノ内を探訪する。
古河市を探訪した時、ぜひとも隣の境町にも来て欲しいとのリクエストを頂いた。その時に聞いたのは、慈光(じこう)学園の隣が部落と伝承されていることだ。調べてみると、そこは大変興味深い立地である。坂東市に囲まれた、境町の飛び地 […]
古河市最大で最も有名な部落であり、茨城県内でも最大の部落なのだが、昭和初期の記録ではその戸数は90戸。全国的に見れば特に大規模な部落というわけではない。 他の関東の部落によくある通り、白山神社があるのだが、地図で見ると2 […]
古河市の代表的部落と言えば大山・中田であり、この2部落は隣り合っている。大山の範囲は相当広いのだが、ほとんどは部落ではない本村であり、小堤という枝郷が部落であった。昭和初期の記録では、19戸と多くはない。 今回は、地元の […]
古河市駒込の北部に「竹内」という姓の家が集まっている場所がある。地元ではここは部落との伝承があり、1935年の記録でも確かに「上原」という18戸の部落があるとされる。 地図を見ると2つ神社があり、1つは鷲香取神社だが、も […]
1935年の記録では古河市の御倉下(おくらした)という場所に4戸の部落がある。市史によれば、御倉下とは雀神社の北側のことであり、現在の地名では宮前町である。 住宅地区をみると、松並二丁目でも見られた「七五三掛(しめかけ) […]
1935年の記録では、古河市に8戸の「畑中」という部落があったらしい。この地名を地図で探しても見当たらない。 しかし、市史をたどると、畑中は後に静町の一部になったことが分かった。現在の地図と過去の地図や航空写真を照合して […]
古河市稲宮(いなみや)には北坪という23戸の部落があったらしい。国土地理院地図で見ると現在「北」という小字があり、住宅地図によれば白山神社がある。ここで間違いないだろうと確信し、現地を訪れた。
古河市の「神明地」というところに31戸の部落があったという記録がある。現在の地図を調べると、古河市小堤に神明町(しんめいちょう)という地名が見つかる。今、そこはどうなっているのだろうか。手がかりを探しに現地に行ってみた。
1935年、現在の古河市の下宿(しもじゅく)という場所に、29戸の部落があった。その場所は用意に見つけることができ、住所表記では小堤(こつつみ)である。
地元研究者からお誘いがあったので、今回から茨城県古河(こが)市を探訪する。最初に訪れたのは水海(みずうみ)という場所。その名の通り、この辺りは沼や池だったようである。1935年の時点で戸数は3、主な産業は農業、そして白山 […]
茨城県古河(こが)市の郷土史愛好家の方からリクエストがあったため、部落探訪・古河市シリーズが始まる。その前に、全国部落調査事件の裁判記録を整理していたら興味深い資料があったことを思い出したので、ご紹介しよう。 2018年 […]