若宮八幡宮の鳥居。

曲輪クエスト 香美市東組

カテゴリー: 曲輪クエスト | 投稿日: | 投稿者:
By 宮部 龍彦

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高知県の高等警察課がまとめた『部落舊慣調査』によれば、香美郡山田町東組に古い村があり、大正13年(1924年)11月の戸数は149戸、人口850人であった。その起源は次のとおりだ。

「本部落ハ元香美郡大楠植村談議所ニ在リシガ(中略)今ヨリ凡ソ三百年前談議所士族國澤猪之助ナル者川上ニ穢レシ者住居スルハ無禮ナリトテ現在ノ山田町東組ニ追放ヲ命ジ字名ヲ久保ト名付ケタリ」

久保と名付けられた村は、明治23年に東組と改称した。今の香美市土佐山田町宝町の辺りである。そこをクエストしてみた。

東組の南の端の香美市立ふれあい交流センター。
東組の南の端の香美市立ふれあい交流センター。

記録にあるのは、川上に穢れた者が住むのは無礼だというので、士族が川下へ追い出したという話である。皮革の仕事は水で洗うので血が流れ、それを嫌って下流へ移らせたという話は各地に残っているから、ここでも何かしらのことはあったのかもしれない。ただ、そのとき移された家は3、4戸にすぎないという。それが徳川の300年の間に100戸を超えたのだから、起源の話はともかく、ここも農村からあぶれた貧しい人たちが集まり、草履作りや竹細工など農業以外の仕事をしながら大きくなった村なのだろう。

調査は明治の中ごろの変化も書いている。「自制反省スル所アリテ物貰等ヲ全廢シ」、貯金組合、納税組合、人力車夫組合を作り、近年は警察官吏や町役場員、学校職員らと親和会を組織したという。

香美市立宝町集会所。
香美市立宝町集会所。

東組の南の端には、川沿いに香美市立ふれあい交流センターが建っている。いわゆる隣保館で、宝町集会所と老人憩の家も同じ場所にある。昭和52年の複合施設の計画で建てられたものだと、2015年の市議会で当時の所長が説明している。

ここで思い出したのが、この施設の建て替えに共産党の議員が異を唱えていたという話である。その場で香美市の議事録を調べると、話はこうだった。

2026年3月4日の市議会で、日本共産党の西山潤議員がセンターの移転を取り上げている。所長の答弁によれば、令和6年に施設の東側で陥没が起き、調べたところ建設時の盛土が雨水で流れ出し、地下が空洞化している可能性が分かった。地盤の問題は前からのもので、2015年の市議会でも南側の擁壁の裏に地盤沈下が見られると答弁している。

令和8年度の予算には、移転に向けて設計委託料1,335万3,000円と家屋事前調査委託料1,089万4,000円が入った。西山議員が地域住民から強い要望があったのかと尋ねると、所長は「今回の移転に関しては、住民からの要望ではなく、先ほどお答えした理由から、ふれあい交流センターが計画したものです」と答えた。

そこで西山議員は、施行規則が運営方針に「地域住民の自立の支援を基本とする」と書いているのに、市がいつまでも運営主体でよいのかと問い、センターの在り方そのものを市民の声を聞いて考え直すよう求めた。これに対する依光晃一郎市長の答えが「人権政策を後退させろというような御意見であろうと思っておりますので、非常に残念に思っております」である。西山議員は「私は、決して人権政策を後退させるというような考えはありません」と断って質問を終え、予算は3月17日に原案どおり可決された。

施設の使われ方を見ると、令和6年度はデイサービスが44回で延べ396人、貸館が218件で延べ1,627人、相談が11件である。使われていないわけではないが、地元が望んだわけでもない移転を市が進め、議員が在り方を問えば人権政策の後退だと言われるのでは、誰も「要らない」とは言い出せないだろう。

昔ながらの家。
昔ながらの家。

古村はセンターの北側に広がっている。昔の航空写真を見ると、茂みの中に家がぽつんぽつんとあり、密集した村というより、生け垣に囲まれた家が散らばっていた様子が分かる。今はすっかり整備され、ほとんどが持ち家の普通の住宅地になっているが、廃屋になった家には昔の佇まいが残っている。

崩れかけた蔵と竹。
茂みと黄色い花。

シャッターの並ぶ通りには、白いアメ車が止まっていた。ダッジ・チャレンジャーである。

シャッターの前のダッジ・チャレンジャー。
シャッターの前のダッジ・チャレンジャー。

住宅地の中には改良住宅もある。二戸一ならぬ三戸一で、この形は珍しい。2階のベランダに二つ開いた穴が豚の鼻のようで、このようなコミカルなデザインはバブル期のものだろう。建設時期は平成初期と推定した。

市の規則の市営住宅の一覧を調べると、宝町に昭和63年度の木造2階建て16戸が載っている。ギリギリ平成には入っていなかったが、バブル期という予想は当たっていた。昔の地図と照らし合わせると、この辺りは古村の外で、もとは田んぼや畑だった所である。

二戸一ならぬ三戸一の住宅。
二戸一ならぬ三戸一の住宅。

通りの塀には、日本共産党の「Tax the Rich」のポスターが貼ってあり、蔦が絡んでいた。

日本共産党の「Tax the Rich」のポスター。
日本共産党の「Tax the Rich」のポスター。
井上食肉センター。

古村の境の辺りには不思議な家がある。2階の壁がはがれて骨組みとさびたトタンがむき出しになり、その横にドアが付いているのだが、足場も階段もなく、何のための出入り口なのか分からない。

不思議な家。
不思議な家。

その先に神社がある。額には「若宮八幡宮」とあり、鳥居は建物の壁と外階段の間に挟まれるようにして立っている。

若宮八幡宮の鳥居。
若宮八幡宮の鳥居。
鳥居の奥の祠。
鳥居の奥の祠。
蔦に覆われた家。
蔦に覆われた家。

もっと歩きたかったのだが、レンタカーを返すまであと10分しかない。高知まで30分以上かかり、ガソリンも入れなければならないので、残りは急いで回った。

空き地と夕方の雲。
空き地と夕方の雲。

あちらに見える団地は県営住宅なので、同和対策とは言い切れない。その先にもう一つ神社があり、ピンク色のおしゃれな建物があるので民間の住宅かと思ったら、これは市営住宅だった。市の一覧には、宝町に平成15年度の耐火2階建て10戸で「ラ・メゾン桜」という市営住宅が載っているから、これがそうなのかもしれない。

もう一つの神社。
もう一つの神社。
ピンク色の市営住宅。
ピンク色の市営住宅。

マルフクの看板は、日が当たらないのか、保存状態が良かった。

マルフクの看板。
マルフクの看板。

その近くにあるのが、香美市立共同納骨堂である。立派な建物で、電気もついている。宗教施設を市がやるのはどうなのかと思ったが、条例を見ると、設置の目的は「香美市土佐山田町宝町地区(以下「地区」という。)内に点在する墳墓の改葬を行い、地区内の環境を整備するため」で、使用料は無料となっている。村のあちこちにあった墓を一か所に集めたということである。堂の前の碑には「町立納骨堂建設委員」「昭和50年1月15日建之」とある。

香美市立共同納骨堂。
香美市立共同納骨堂。
「町立納骨堂建設委員」の碑。
「町立納骨堂建設委員」の碑。

納骨堂の向かいが西願寺である。敷地が狭いので、もとは道場だったのだろう。

西願寺。
西願寺。
寄進者の名が並ぶ塀。

子猫。

宮部 龍彦 について

ジャーナリスト、ソフトウェアアーキテクト。信州大学工学部卒。 同和行政を中心とする地方行政のタブー、人権ビジネス、個人情報保護などの規制利権を研究している。「ネットの電話帳」管理人。

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