1921年の『地方改善ニ關スル調査』によれば、筑波郡久賀村大字足高の字猿舞に古村があった。本籍は8戸だが、そのうち現住は5戸と記録されている。そこは、現在のつくばみらい市足高である。足高は「あだか」と読む。
農業と草履づくりをやっていたようである。

前評判では猿舞には稲荷の祠があるらしい。これが古村と関係があるのではないかと思い、探しに行った。

困ったことに、この辺りは携帯の電波が届かない。住宅地図で確かめようにも、確かめられない。iPhoneのGPSもなぜか効かなくなった。

祠だと思って行った先は、ただの農機小屋だった。その先は藪である。

場所は伏せておくが、視覚的インパクトの強い民家がある。住んでいるのかどうかは一見分からない。


表通りの辺りには、明らかに5軒以上の家がある。このあたりは普通の農家に見える。記録の5戸は、裏手の少し隔絶した辺りではないだろうか。

奥へ入ると、隠れ里のような雰囲気になってくる。



少し離れたところに墓地があった。浄土真宗である。

墓地のある裏手から表のほうへ抜ける道がある。ここに、ブロック積みの小屋のような祠がある。

「稲荷大明神」と彫られた石がある。これは稲荷神社か?

鰐口には「小松原」と刻まれている。そう言えば墓地にも小松原とあった。

石の横には、観音像のような木像が納められている。狐の姿はしていない。
もしかすると、これは白山神社ではないのだろうか。稲荷とあるが、村に昔からあった白山神社と一緒に祀られているのではないか。人に会えなかったので確かめることはできなかったが、明らかにただの稲荷ではない。

茨城の古村には白山神社があって、それは「権現様」と呼ばれ、その持ち主は小松原を名乗っているケースをしばしば見かけた。ここは条件を満たしている。

「足高」の看板があるということは、ここが足高の端っこである。古村は村の端にあることが多い。場所といい、状況証拠からいって、間違いないであろう。

奥まったこの辺り一帯が古村で、人目につかないところで何か作業をする、そういう場所だったのではないかと思う。


つくばみらいというキラキラした名前の自治体だが、歩いてみると茨城の田舎そのものである。



