曲輪クエスト(427) 長岡市 川口和南津

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By 宮部 龍彦

古の記録によれば、旧川口村の和南津に16戸の古村があった。信濃川の支流である魚野川があり、船渡しをしていたということが手がかりである。

『部落解放研究 : 部落解放・人権研究所紀要 (100)』によれば、越後では渡守が穢多に準じた処遇を受けていたとされる。享保5年和南津・堀之内等の渡守に対して「穢多渡守田畑可書出当金納より皆金納」を命じたという。

問題は和南津のどこなのかということだが、『北魚沼 (新潟県文化財調査年報 ; 第18)』によれば、明治27年生の「小林清吉」という船乗りがおり、当時は渡しというより、商人から雇われて商品を運搬していたという。

和南津でも小林という名字が集まっているのが小字・八郎場。現地で聞くと、確かに「小林清吉」という人物がいたと確認できた。

『川口町史』によれば和南津の渡し船は馬を乗せても背が見えないほどの大型のものだったという。

渡し場は集落から道路の向かい側にあったという。昔は整地されて大きく立派な渡し場であったが、今はもう昔の面影は残っていないという。

小さな船なら今でも出せそうである。

川の対岸も八郎場の土地で、昭和の初め頃はそこにある田畑に通うために船を使っていたのだという。住民の証言を裏付けるように、地図で見ると確かに和南津の範囲は対岸も含まれている。

昭和初期は16戸で、主に農業をしていたと記録される。当時はもう渡しはやっていなかったのであろう。

国道17号線とトンネルがあるが、昭和初期は今のトンネル脇の道しかなかった。今は地震で崩れて通れなくなっているという。さらに「殿様の時代」は別の山道を通るしかなく、孤立した場所だったという。

それが、今は道であることさえ分かりにくい、こちらの道なのだという。

歩いてみると、確かに江戸時代からあったであろうと感じさせるものがある。

道の途中にあるのは大日堂。

船着き場に行くために、このような道を歩いていたのだろうか?これはあくまで人のためのショートカットで、荷車が通れる別の道もあったようだ。

そこを越えると、また整備された道が現れる。

まさに新しい国道を掘削している現場がここにある。さきほどのトンネルのある道も、川が近くて防災上の問題があるから、こちらに付け替えている最中であるそうだ。それよりも、集落の近くにあんな大きな道があったら、騒音や振動が大変だろう。

ここに小さな公園があるが、ブランコなどの遊具は全て朽ち果ててしまっている。

ここは田んぼがあり、静かでのどかな風景が広がっている。

古村の墓地もここにある。

なお、「差別された村」といった伝承は全く残っていなかった。小林、喜多村という名字があるが、船乗りをしていたのは小林家だけだったようである。

宮部 龍彦 について

ジャーナリスト、ソフトウェアアーキテクト。信州大学工学部卒。 同和行政を中心とする地方行政のタブー、人権ビジネス、個人情報保護などの規制利権を研究している。「ネットの電話帳」管理人。

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曲輪クエスト(427) 長岡市 川口和南津」への7件のフィードバック

  1. compress images

    この記事は、和南津の歴史を掘り下げてくれました。渡し船の話や昔の道の様子が興味深かったです。江戸時代から続く道の跡を見ると、今とは違う时代の雰囲気が伝わってきます。小林清吉さんの話も、地元の名前が出てきて親しみがわきます。ただ、『差別された村』という伝承が残っていなかった点は少し意外でした。それでも、地図や地元の話が合致していて、歴史の真実を垣間見られるのは素晴らしいです。作者の研究が深くて、読んでいて楽しかったです。compress images

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  2. nazarite vow

    この記事は、和南津の歴史を掘り下げてくれました。渡し船の話や昔の道の様子が興味深かったです。江戸時代から続く道の跡を見ると、今とは違う時代の雰囲気が伝わってきます。小林清吉さんの話も、地元の名前が出てきて親しみがわきます。ただ、『差別された村』という伝承が残っていなかった点は少し意外でした。それでも、地図や地元の話が合致していて、歴史の真実を垣間見られるのは素晴らしいです。作者の研究が深くて、読んでいて楽しかったです。nazarite vow

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  3. Đồng hồ đếm ngược

    この記事、和南津の面白さが伝わってきますよね!渡し船とか江戸時代の道とか、昔の雰囲気がよくわかるから。小林清吉さんとかいう名前が出てきて、地元の人なら「あれ?あの名前の人いたんだ!」って驚くかも。でも、『差別された村』の話がなかったのはちょっと意外だったけど、それも面白いね。地図と地元の話が合ってて、歴史の見えるところがいい。作者の研究が深くて、読んでいて楽しかったですよ!

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  4. 匿名

    北魚沼 (新潟県文化財調査年報 ; 第18)を読んだが小林清吉は船乗りで渡し守ではないだろ。
    用掛の喜多村がそうだろ。渡し守は海運業なんてしない。
    #bcaccd02ce2744e50619812edb6cc8f8

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  5. ai watermark remover

    この記事、和南津の歴史って面白いね!渡し船とか江戸時代の道とか、昔の雰囲気がよくわかるから。小林清吉さんとかいう名前が出てきて、地元の人なら「あれ?あの名前の人いたんだ!」って驚くかも。でも、『差別された村』の話がなかったのはちょっと意外だったけど、それも面白いね。地図と地元の話が合ってて、歴史の見えるところがいい。作者の研究が深くて、読んでいて楽しかったですよ!

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