熊本では数多くの部落を探訪する準備をしてきたものの、いろいろあって気がついたら日没が近づいていた。最後の探訪先に選んだのが萱木である。ここを選んだ理由は、たまたま今いる場所から近かったからである。
地名で言えば城南町隈庄、昭和初期の記録では132戸の部落があったとされる。ニコイチ、納骨堂、集会所等が地図で確認できることから、指定同和地区であることが分かる。
このニコイチ群は、もとは田畑だったところに、昭和50年代に建設された。今は修繕の真っ最中だった。
そこには住宅案内板がある。これは名字の傾向を把握するためには役に立つ。部落の住民と分かると、深刻な差別を受けると解放同盟や人権擁護局は主張するが、それほど深刻な問題があるのなら、このようなものが部落にあることが説明がつかない。
畑の向こうにあるこの建物は間違いなく納骨堂だ。
同和対策の納骨堂は安いので、周辺地域からこぞって納骨されたことが想像できる。この城南町萱木納骨堂が出来たのは昭和59年で、事業費は4784万7000円であった。
そして、ここにも名字の傾向を把握するのに役立つものがある。日光で劣化しているが、一応は読むことが出来る。やはり九州の他の部落と同じく、同じ苗字が集中しているということはない。しいて言えば、「出口」「上岡」が特徴的だ。本荘で見かけた「鈴木田」があるのが気になる。
ここが集会所。
よく見たが、同和だの部落だの人権といった掲示物は見当たらない。それもそのはずで、この集会所は2015年に廃止され、今は自治会所有の自治会館になっている。
同和施設の廃止は、同和地区としての扱いの廃止という象徴的な意味合いがある。ニコイチや納骨堂は残っているものの、一応ここは同和事業を終わらせた部落ということになるのだろう。
ところで、さきほどの同和施設やニコイチ住宅は、もとは田畑だったところにある。萱木の昔から村があった場所は、今でも古い家が建っている。
地震で屋根が傷んでしまった家も、建て替えられずにそのまま残っている。古くからの家にはシャチホコが見える。ここでも、かつては屋根にシャチホコを載せるのがステータスだったのだろう。
熊本地震の影響か、他の部落は建て替えられた新しい家が多かったが、この部落は古い家もそれなりに残っている。震源から少し離れているからだろう。
八幡宮を訪れた。唐島神社ではないが、この神社が部落の中心である。
境内には遊具があり、撮影していると近所の子供につきまとわれた。
石柱にある発起人の名字は、やはり納骨堂でも見かけたものだ。従って、これが部落の神社で間違いないだろう。
あのトラックは食肉業者のもの。ということは、この部落にも食肉業があるということだ。ここで、さきほどの「鈴木田」がリンクする。食肉業に関連して本荘と交流があることが分かる。
「馬肉総合業者」とある。熊本名物の馬刺しは、やはり部落と切っても切り離せないのだ。
全般に古い家が多いが、新しい家が多い一角もあった。
さすがに日が暮れてきて、撮影が難しくなってきたので帰ることにした。
ちなみに、これは空港行きのバスに乗る前に水前寺公園付近で撮影したもの。狭山から遠く離れた熊本にまで、こんなものがある。
名残惜しいが熊本を後にした。探訪したくてもできなかった部落が多数あるので、またいずれリベンジしようと思う。
22.11.25の日本海新聞27頁です。
広島県尾道市施設に部落差別手紙
「人間ではない」「いつでもコロシタる」との手紙。
市人権男女共同参画課の半田敬二課長は「差別の現状をの目の当たりにした」と話し、県警への被害届も検討するとのことです。