熊本では時間が限られていたので、どの部落を探訪するのか迷った。その中で選んだのが、比較的規模の大きな未指定地区と推定される場所である。現在の熊本市 南区 日吉2丁目7番地、14番地で、昭和初期は100世帯あったとされる。
最寄り駅は西熊本駅。松の本バス停がある。
現地の目印はデイリーヤマザキだ。ここが部落の北の端だったようである。
部落の名前は「新村」。確かに明治時代の地図には新村と書かれている。主な職業は農業。
明治時代の地図だと日吉2丁目7番地、14番地という小さな範囲が部落だが、昭和初期には周辺にも広がっていて、戸数は多いが家が密集した状態ではなかった。新村という名前からしても、新田開発をした農家が主だっただろう。
ただ、日雇い労働者も多かったとされる。
ここが部落だったということは、その他文献からは確認できない。同和施設も存在しないようであるから、未指定地区だろうと踏んでいた。
無論、同和施設がなくても、こっそり同和地区指定されているケースもあるから、断定はできない。
ここは高江松ノ本公園。熊本市が管理する公園だ。
この草の生え具合、そして熊本市内の他の指定同和地区との比較から、少なくとも現在は同和地区としての扱いがされてはいないだろうと確信した。
公園の脇にある墓。それにしても、熊本の墓はなぜ文字が黄金色に輝いていることが多いのだろう?
古い家や物置がある一方で…
各所で建設ラッシュの様相である。
見ての通り、新しくて立派な家が多い。
そして曲輪クエストと言えば墓地。
例によって墓石の名字を頭に叩き込んだ。熊本全般に言えるが、何か特定の名字が集中しているということはない。
南無阿弥陀仏の文字が金色に輝いていることから、浄土真宗だろう。
次にもう1つのチェックポイント「松之本神社」にやってきた。
「松之本」(神社)「松の本」(バス停)「松ノ本」(公園)と表記が一定しないが、いずれの名前もルーツはこの神社だろう。
神社の周囲も建設ラッシュで、足場に神社が囲まれるような状態になっている。由緒書きによれば、ここは昭和15年以降「高江町字松之本」という地名だった。さらに昔は「日吉村字高江」だった。新村という表記は見られないが、高江の中の小字だったのであろう。
氏子の名字の傾向が墓地の名字と一致している。
おしゃれな集合住宅があった。近いうちに、松之本神社もこのような住宅に囲まれた状態になっていることだろう。
部楽解放同盟、中国共産党のマイクロ波攻撃は恐ろしいものです。日本ではCIA傘下の弐本会議なども関与しているかもしれません。こうやってマイクロ波を照射し、統合失調症を連呼するわけです。解同のバックには戦勝国機関である国連があることを考えると、やはり、相反する言動や行動をとっている組織や支援された人物でさえ、背後の糸を辿ると同じ資本家ネットワークに辿り着くということがあり得るかもしれません。事実、共産主義と米国は共謀していましたから・・・そう、八百長プロレスの戦争さえ起こせるわけです。
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─国連人権担当官久保田洋の果した役割を中心に─勝岡 寛次(明星大学戦後教育史研究センター)
★部落解放同盟イコール暴力団 大阪の「解放同盟」「同建協」業者と暴力団との関係/2011-03-31 教員の個人ブログ
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