松本龍元復興担当相が7月21日、福岡市内の病院で肺ガンのため死去した。龍氏は旧民主党・菅政権で環境相、復興担当相を歴任。祖父は“部落解放の父”こと部落解放同盟初代委員長の松本治一郎で、1990年の衆院選で通称“解放の議席”と言われる福岡一区から出馬し初当選した。政治家、解放運動家というよりも被災地知事への暴言の印象が強い。また同氏は現在、「全国部落調査」の原告の一人でもある。主義主張の対立はあるにしてもまずはご冥福をお祈りするとともに「松本龍」という存在を通して、改めて「部落民」とは何かを考えてみた。
それにしても突然の訃報だった。案の定、SNSを見ると龍氏への批判、罵倒の類の投稿が目立った。旧民主党の議員のツイッターを見ても追悼コメントはほとんど見当たらず有田芳生参院議員が同日のエントリーで
10年に参議院選挙で当選したとき「この党(民主党)を変えてください」と言われたことを鮮烈に覚えています。昨秋の衆院選時に福岡でお会いしたのが最後になってしまいました。ジャズを愛する同世代のモダンな人格者でした。
と惜しんでいた。有田議員らしいと言えばらしい投稿内容だ。もし龍氏が民主党政権に貢献したならばまた事情は違ったかもしれない。かつての同僚議員たちからも悼むコメントが寄せられたはず。しかし“あの暴言”が影を落とした。2011年に復興担当相に就任した際、岩手県知事、宮城県知事と会見した際の言動は政権、党へ大きなダメージを与えた。特に宮城県・村井嘉浩知事に対しては暴言どころではない。恫喝だ。
「お客さんが来る時は、自分が入ってからお客さんを呼べ。いいか、長幼の序がわかってる自衛隊ならそんなことやるぞ。わかった?」
「今の最後の言葉はオフレコです。いいですか、みなさん、いいですか、『書いたらもうその社は終わり』だから。」
この一連の発言はあまりに有名だろう。この模様を東北放送が報じて、全国ニュースにもなり批判が殺到した。その後、2012年の総選挙で落選。解放の議席である福岡一区を自民党候補に譲ることになった。当時、自民党福岡県連は「福岡一区に荊冠旗ではなく、自民党の旗を立てよう」という号令のもと選挙戦を展開。結局、鉄壁の福岡一区を守れず解放の議席は陥落。龍氏の落選は落日の民主党政権の象徴でもあった。もちろん民主党政権が頓挫したのは龍氏の責任ではないが、暴言によってさらに信頼を失ったのは事実だろう。
部落解放同盟が異例の謝罪
あの暴言でクローズアップされた龍氏だが、もともと言動は粗雑な面もあったようだ。環境相時代に開催されたCOP10(生物多様性条約第10回締約国会議)の内幕を綴った自著『環境外交の舞台裏』にはこんなくだりがある。環境省地球環境局の島田久仁彦国際調整官とこんなやり取りをしていた。
「大臣、覚えていますか。夕方の全体会議で議事が混乱した後、私たちに一言『お前ら殺すぞ』と言って立ち去ったことを」。「えっ、そんな物騒なこと言うわけがないじゃない」と返しましたが、島田調整官もきっぱりと返します。「いえ、しかもにっこり笑いながらそうおっしゃいました。その言葉でピリッとして、仕事がはかどったんですよ」とも教えてくれました。信頼している人間同士だからこそ思わず飛び出すブラックジョークといいますか。
いやいや。彼の口から”殺すぞ”は全くブラックジョークになっていない。翌日、玄海灘に浮いている!? そんな迫力がある。もしこの発言が自民党の閣僚から出たものならば”パワハラ”と追及をされかねない。それにこの記述がプラスになるとは思えない。書かない方がマシだ。そのまま掲載されてしまうのは要するに誰も問題視しないという前提があったに違いない。このような場合、普通は校正の段階で本人だけではなく周囲のチェックが入るもの。しかしこの内容を”そのまま”にする辺りが松本龍であり、ひいてはチームドラゴンというものであろう。
その点、龍氏の暴言によってダメージがあったのはむしろ部落解放同盟だったかもしれない。2011年11月、岐阜市で開催された「部落解放研究第45回全国集会」でのこと。この時、全体集会で組坂繁之執行委員長が開口一番、「このたびは松本龍のことでご迷惑をかけて申し訳ない」と謝罪した。解放同盟が不祥事について実名を挙げ、謝罪するのは稀なことだ。なにしろ飛鳥会事件(2006年)についてその後、解放同盟の集会等で「運動体の中でエセ同和行為を働いたものがいた」とこんな風に総括されたものだ。
では龍氏と飛鳥会事件と運動体にとってどちらがダメージが大きいものか。龍氏の発言はあくまで政治家、大臣としての失態にすぎない。しかし飛鳥会事件は明らかに解放同盟という組織の体質が招いたものだ。それに同和事業、同和行政に与えた影響は言うまでもなく大きい。にも関わらず組坂委員長による異例の謝罪には驚いたものだ。しかも一介の同盟員ではない。松本治一郎の孫、言うならば“解放のプリンス”の龍氏についてのことだからなおさらだ。
ある隣保館の館長はこう苦笑した。
「松本龍の暴言について“一体、どうなっているんだ”と苦情の電話がうちにかかってきた。確かにウチは隣保館だけど、私も職員も自治体から派遣されているから、そううちらに言われても困るんだけども」
もちろんこのような話は解放同盟にも伝わったことだろう。それがゆえに冒頭からの謝罪になったわけだ。民主党政権よりもむしろ運動体に影を落とした暴言だったかもしれない。
部落民は株なのか?
では龍氏は政治家や解放運動家としての素養があったのだろうか。かつて小沢ガールズと言われた三宅雪子元衆院議員は21日、ツイッターでこう述べている。
元民主党衆院議員で環境相や復興担当相などを務めた松本龍(まつもと・りゅう)さんが21日、肺がんのため死去した。(毎日新聞)67歳。お若い。私はある理由で松本さんを批判しません。大臣を引き受けうけるべきではなかったと思います。無理でした。
この妙に思わせぶりな言い方。批判しないと言いつつかなり厳しい。確かに大臣職をこなせるだけの能力があったのか疑問だ。政治家、あるいは解放運動家としてどれだけの能力があったのか。というよりもどれだけの熱意があったのか謎なのだ。例えば戸籍廃止、永住外国人の地方参政権問題、ヘイトスピーチ問題、選択的夫婦別姓など民主党政権時代にはこれらの集会、シンポジウムがたびたび開催された。もちろん解放同盟にとっても推進している政策ばかり。しかし解放同盟の組織候補でこうした集会に参加するのは松岡徹元参院議員だった。ずいぶんこの手の集会に参加したものだが、龍氏の姿を見たことがなかった。あるいは解放集会で龍氏が熱い演説を一席ぶつ。こういう光景もお目にかかったことがない。
もともと龍氏の父、松本英一元参院議員は松本治一郎の甥で養子だった。つまり龍氏は治一郎の血のつながった孫ではない。下積みを積んでのし上がった政治家でも解放運動家でもなければ、たまたま解放運動の父と呼ばれた人物の孫に生まれたというだけ。だから政治家としても運動家としても素養や熱意があったと思えない。もっとも政治家は与野党問わずに世襲議員がいるものだ。この親の地盤を継ぐことは何も龍氏に限ったことではない。世襲というだけで政治家になった人物はいくらでもいる。
ただし「解放運動家」というものは世襲すべきものなのか。かつて解放同盟の式典で社会党の成田知巳元委員長は「部落解放同盟の発展を願って」と挨拶することがあった。すると松本治一郎はこう諭したという。
「部落解放同盟が発展するようじゃダメなんだ」
これは治一郎の本音なのかは分からない。しかし部落差別撤廃を掲げる団体のトップの発言としては筋が通っている。ところがその孫までが解放同盟の役員に就いているという事実。身分差別、出自による差別撤廃を訴える総本山の一族がむしろ身分を固定化をしている。それに解放運動に限らず社会運動自体、親から子、孫への世襲・継承する性質のものではないだろう。まるで「部落民」が一種の「株」のようになっているのだ。まるで一子相伝の秘術や家宝のよう。
実はこうした運動体幹部の世襲は他県でもある。部落解放同盟岐阜県連の元執行委員長だった石井輝男がその子、涼也に家業と解放同盟役員職を継がせ、そして涼也が部落解放同盟に誘った経営者と殺人未遂事件を起こす。
この一件は小社刊『同和の会長』に詳しい。この石井一族もまるで解放同盟の役員をまるで「株」のように引き継ぎ、行政に関与し、公共事業の恩恵に預かった。しかも輝男は出自が部落出身かどうかすら不明だ。ところがひとたび得た「部落民」という「株」は強い。親子で自治体の施策や公共事業に影響力を持つことになる。解放どころかむしろ部落民という地位に執着しているではないか。
もちろん松本家と石井家を同列に語ることはできない。しかしいずれも「部落民」という「株」がために資産を築き、社業を成功させたことに違いはない。そもそも「部落民」だから何らかの優遇を受けること自体、おかしい。しかし百歩譲ってこの「株」=同和事業、優遇措置が一代だけ与えられたとしても、本気で部落差別を撤廃する気があるならば「株」を継承してはならないはずだ。
ところがそんな最大にして最もプレミアのついた株を得たのが松本龍なのだ。彼は若い頃、ジャズなど洋楽を好んだという。おそらく働かずに一生、音楽を聴いて暮らしてもまず食うに困ることはなかったはずだ。しかしなまじ大臣というポストに就いたばかりに人生味わったこともない過酷な状況に追い込まれてしまった。もちろん松本家に限らずこの部落民という株を継承している一族は存在していることだろう。しかし部落株の継承は本人と一族、また部落民を自称する人々にとってもプラスになることか考えてもらいたい。
『週刊文春』2011年7月14日号によると、松本の妻の姉の夫は「北九州市に本拠を置く指定暴力団の最高幹部」とのこと。これに該当するのは工藤會しかありません。
そして、工藤會の総本家(野村悟の自宅を兼ねている)は北九州市立熊谷集会所という「教育集会所」から数十メートルしか離れていないわけですが、これは同和コネクションと見るべきなのでしょうか? なお、同集会所の周辺には野村姓が比較的多く分布しています。
松本家の福岡空港利権は年間いくらなんでしょうか。
確か、地代を払うので赤字で有ると書類が有ったのでは。
『WEDGE』2011年7月11日の記事によると、「松本大臣と実弟はあわせて3317平方メートルの
土地を所有・・・、受け取っている賃借料は2451万円あまりとなる」と書かれておりますね。
公共事業で解放同盟は潤ってますが、目に見えないところでも、税金が投入されて部落は優遇されてます。
言ったもん勝ち、怖いもん勝ち。
小さな某市の補助金でも、滞納してる者が莫大な補助金を受けている。日本中でどんだけ彼らに税金が流れてるかと思うとめまいがする。
ホントに恐ろしい世界。
落選から音沙汰無でしたが、亡くなっていた。あの世で己の暴言を反省しているか、疑問ですな。
北海道のアイヌ団体さんを偽アイヌ団体さんだと5ちゃんデマを書いた三品こそが解放同盟の北海道移民臭い
アイヌを滅ぼしたプロ差別者の北海道民に偽アイヌは通用しない
なにを言ってるんだ
もし偽アイヌ団体があるならばその団体と認可する北海道庁に矛先が向かうべきだが
既存のアイヌ団体に矛先が向かう時点で三品の素性が解る
松本治一郎の参議院全国区の北海道の投票率
大人気が過ぎて笑うわ
社会党だからだろ
コイツは三品
北海道のアイヌ差別プロにアイヌのプロ差別の北海道移民に成り済ましアイヌは早く見破られて全く通用しない
毎度ながら打桐豊成の文章は支離滅裂。ひょっとして外国のお方? マーク・ウンチスターのツイートみたいだ。
三品w
必死で図星が過ぎて笑うわw
アイヌを滅ぼしたプロ差別の農奴や炭鉱部落
タコ部屋の犯罪者非人だらけの北海道移民がアイヌを滅ぼした
・は関西同和全く関東や日本全国の同和に詳しくない
三品と・はコイツらやろ
http://www.geocities.jp/ikebukuro_dowa/
チョンは融和や同和では無く協和
三品は三国人だから三品か
北海道移民の三国人臭い
あくまで北海道移民は農奴か部落炭鉱移民か犯罪者タコ部屋非人か三国人のチョン
アイヌを滅ぼしたプロの差別者の弥生顔の短頭の朝鮮帰化人系の移民な
三品と・はコイツらやろ
http://www.geocities.jp/ikebukuro_dowa/
チョンは融和や同和では無く協和
遥か昔に東京の大学生
たまに関東の部落探訪の俺に全く通用しない
・は関西の同和
すげえ、ここまで電波ゆんゆんのキチガイは久々に見た。「なんとかママ」なんて比じゃないよ。
マニアの闇は深い。外国の人じゃなくて、人外魔境、異世界の人だったのだね。
他人のブログのコメ欄でここまで暴れるな人がマトモなわけない。
・氏は他人に理解できる言葉で書いてるけど打桐氏は理解不能で詳しいとか詳しくないの域を超えている。
会話や文章は他人に理解できるように書かなければ意味がない。それでなければただのチラシの裏レベル。
北海道の馬鹿と・のアホが絡むからやw
四六時中同和のことばっかり考えて脳を悪くしたのであろう
この人は5chの人権問題の愛知県・静岡県で騒いでいる人ですよね。
ペンネームは、浜松一本杉部落で萩丘2丁目の豊成神社と関連する部落姓で。
鳥取ループ氏を非難することを書いていたが、5chが過疎っているので、いよいよ
本丸に来たとw 旧2ch時代のAaAではないかとも囁かれている様で。
暑さで脳がお疲れなんだろうな
お前がキチガイ
同和地区が無いならばハンナンや日本ハム様様やキチガイ
朝堂院大覚総裁がyoutubeで松本龍について語ってます。
スレスレの話をしてるので大丈夫でしょうかね
(解同も総裁には迫力負けしそうですが)
打桐豊成さん
池袋同和解放推進委員会なんて初めて知りました。
なんでかんで言いつつ情報提供ありがとございます。
関東同和解放推進委員会というのもあります。
あと、新宿同和解放推進委員会というのも。すべて同工異曲ですが。
ありがとございます。ただ何がしたい団体かよく分かりませんね
工藤會の野村悟は、部落民です。熊谷四丁目で野村姓は、部落民100%。
以上。情報を提供いたしました。
私は長崎県対馬市の出身で曽祖父の時代まで島内のある地域の領主でした。我が家で「お白洲(法廷)」が開かれていたらしく、江戸期には領地の片隅・刑場周囲にいわゆる部落民の集落があったようです。封建制の崩壊、明治時代到来とともに戸主となった私の曽祖父(長崎県議、現在71才の小生が小学校5年生の時に永眠し葬儀は故人の遺言で領民挙げて3日3晩宴会でした。)は旧領民に旧身分による差別を一切許さず、仕事を与えて遇するにあたって、いわゆる旧部落民を旧士族・旧農民・旧工人・旧商人と人格的に平等に扱っていました。ある時、部落解放同盟・松本治一郎が来島し旧部落民を解放同盟への加入に熱心に誘いましたが曽祖父の領内の旧部落民は誰一人誘いに乗りませんでした。その時、曽祖父は「加入非加入は個人の自由だが、解放同盟に加入した者は、以降は旧部落民と呼んで区別するがそれでも良ければ加入しなさい。」と言い渡したと聞いています。太平洋戦争終戦・朝鮮戦争休戦で対馬が朝鮮半島への重要交通路ではなくなり、職を求めて島から内地への人口移動が起きたこともあり、いわゆる旧部落民の存在そのものが過去の歴史になって自然と消え去りました。身分差別とはぞのようなもので被差別を言いたてる人には何か目論見があるとしか思えません。
話は変わりますが、差別意識という点では、朝鮮戦争前後に生まれ、幼少期・少年期を一緒に過ごした対馬に多数いた在日朝鮮人(関西に移住した人が多く、現在はほとんど島内には住んでいませんが)に関しても同じ感情です。対日で被差別を言う(見かけ上、実は日本人を見下している場合が多い)朝鮮人には何か魂胆があると思います。
大変興味深いお話ありがとうございます