旧久居村の古村は現在の久居北口の「洗ケ瀬」が知られるが、久居明神町にも古村がある。いずれもかつての「本村」に属した。しかし、それ以上のことは詳しい記録がない。
ただ、同和対策施設の「津市明神教育集会所」の存在から同和地区指定されたことが分かる。

『三重県部落史料集(近代篇)』に掲載された「壬申戸籍調査集計表」に「本村大沢」の記載がある。

明治9年のデータでは戸数13、寺は善覚寺、神社は川伴神社。

教育集会所があることは知っていたが、最初はどれなのか分からなかった。実はこの瓦屋根の民家のような木造平屋建てが教育集会所である。この建物は1978年に作られた。ただし、現在では一見したところ同和や部落と書かれた特異な掲示物は見えない。


なお、津市内の教育集会所の一覧は公開されている。全て同和施設だ。

『三重県部落史料集(近代篇)』の「管内◯◯部落と其人口」では一志郡本村に2つの古村があることが書かれ、戸数がまとめて掲載されている。洗ケ瀬の記載はあるが、大沢は書かれていない。洗ケ瀬に比べて規模が小さいために記載が漏れたか。

現在は「大沢」という地名を目にすることはなく、自治会名は「明神1区」とある。

教育集会所の近くにお好み焼き屋が。残念ながら訪れたのは早朝だったので、さすがにやっていない。

そして気になったのがお好み焼き屋の向かい側の建物。「津市明神町一地区集会所」とある。これも集会所だが、2つも集会所はいらないのではないか?

隣は「大沢大型共同作業場」で、大沢の名を冠した施設だが看板はない。1977年に1235万円をかけて同和対策で設置され、「大沢企業組合」が設立されたが業績は低迷。1985年には組合は解散し、それからずっと閉鎖されたままだという。

古村の産業はかつては農業が中心だったが、この「島津鉄工所」のような工業もある。そのための作業場だったのだが、公金を投入するやり方ではうまくいかなかったということだ。


この古村の由緒は分からないが、表札に「宇陀」が多く見られることから、安濃町生水との関連が推定される。


この古村の風景で印象的なのは伊勢自動車道の高架があること。古村の中を高速道路が通っているのではなくて、ちょうどこの道路が大沢と隣村の「狐塚」との境界となる。

昭和初期の記録では30戸程度だが、今は40から50戸程度である。

古村の中を歩いた感触では、農家もそれなりにあるが、雑業も多かったであろう。戦前には「伊勢表」を作っていた。今はサラリーマン家庭が多く、職業構成は他の地域と大差ないであろう。



空き地や廃墟はちらほらあるが、特に多いわけでもない。


最後にこの自販機で100円のお茶を買って、次の古村へと向かった。