前回に続いて、神鳥谷のクエストである。再び、『栃木県部落解放運動の歩み』に掲載された絵図を見て欲しい。
再び「北穢多屋敷」の場所を確認しておこう。

南穢多屋敷と北穢多屋敷は少し離れており、昭和初期の地図でも2つの古村の間に田んぼがある。

その田んぼの中を国道50号線の高架が貫いた。高架が南北の境界になっている。

北側は「谷中」と呼ばれた。昭和初期の記録では南側よりも若干世帯数が多かった。ただし、暮らしぶりは変わらなかったようで、ここも農業が中心である。
アイキャッチ画像の「食彩館マルシェ」のスーパーがあるように、北の方が都市化しているように見えた。

なお、後で気付いたのだが、この写真の左側のビル(栃木県総合開発ビル)に「同和民主連盟」なる団体が入っている。

しかし、住宅地に入っていくと少し違った風景が見られる。


住宅地のなかに、ぽっかりと空き地がある。ここにたどり着くには、先程の舗装されていない細い道を通るしかなく、不思議な空間だ。


それを除けば、周囲はアパートや新しい住宅がある。


何の脈絡もなく釣り堀が現れる。Googleマップの口コミを見ると、年季の入った施設だが、リーズナブルなお値段でフナ釣りが楽しめるらしい。


少し歩くと、古い文化住宅があるが、過去の航空写真と見比べると、神鳥谷周辺のあちこちに昭和の半ばに同じような建物が建てられているので、同和とは無関係であろう。

墓地を見つけたが、これは古村のものではなさそうだ。

古村の墓地は、さきほどとはぜんぜん違う場所にある。この新幹線と国道50号線が交差する場所の付近にある。



これが古村の墓で、宗派は主に浄土宗であると鑑定したがどうだろう?

墓地で見かける名字が、クエスト中に見た表札と大体一致しているのですぐに分かったが、マッポン!を使うと南に橋本が多く、北に飯島や西根が多いことが可視化される。

昭和60年に土地区画整理事業が行われ、この墓地が作られたことが分かる。記念碑によると「芝墓地」「富士見墓地」があった。2つの古村に対応する墓地があったのだが、今はそれが1つになっている。
北の方が都市化しているのは、駅に近いからだと思います。
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