曲輪クエスト(365) 安中市 原市 正善

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By 宮部 龍彦

『群馬解放 同和対策関係予算額一覧表』に掲載された、『群馬県同和地区の現況(昭和46年6月1日現在)』によれば、安中市の正善は世帯数81、人口351、混住率91.2%であったとされる。正善は現在の安中市原市の中の小字である。

ここを訪れてほしいというリクエストがあったので行ってみた。

この辺りは、あちこちに太陽光パネルがある。目的の場所から少し離れたところから探索を開始した。

安中市と言えば碓氷峠があり、そこを越えれば軽井沢。この辺りは標高200m程度だが、風景は長野県に近い。ログハウスがあるし、耐寒性の高そうな家が多い。

目的地に近づくにつれて気になったのは共産党のポスター。逆に、他の党の掲示物は見当たらない。この時点で、何となく察するものがあった。

あそこに見えるポスターも共産党。

廃墟はところどころにあるが、そんなに多くはない。

少し場所は飛んで、目的地の「原市四区住民センター」。ここが同和施設ではないかと目星をつけておいた。

しかし、同和・人権・部落といった掲示物は見当たらない。近くの老人に『群馬解放 同和対策関係予算額一覧表』を見せると、即座にある団体の名前が飛び出した。

「ああ、ここには全解連があって、昔は50世帯くらい入っていて、盛大に新年会をやった。住宅関係の貸付金が結構あって、2割くらいは返さない人がいたな」

急にそんな話をし始めた。

昔は部落解放同盟があったが、解放同盟が分裂したときに、この古村は共産党系の全国部落解放運動連合会(全解連、現在の人権連)側になったという。最盛期はさきほど言ったような状態。支部に税金から補助も出でいた。これもまた税金を原資とする、貸付金については、頑なに返さない人がいて、保証人も含めて亡くなってしまい回収不可能になっている金額が結構あるだろうということだ。

さきほどの住民センターはもとは同和対策で作られた施設である。

戦前の記録では世帯数23だが、当時は世帯数11の「三軒家」という古村の記録がある。三軒家については、この写真の辺りの農地の登記に書かれた小字にその記載があり、昔は3軒しかなかったが、人が移り住むなどして増えたという伝承があるという。戦後の『群馬解放』では正善の世帯数に三軒家も合算されているのだろう。正善については「しょうぜんやつ」という言い方もあったのだそうだ。

昔からの農村である。国立国会図書館デジタルコレクションには多くの記録はないが、確かに部落解放運動があり、子ども会の活動などが慶応大学部落研究会によって調査されていた。

もう亡くなってしまったが全解連の「親分」(支部長)がいた。しかし、徐々に運動が衰え、末期には支部は家族運営のような状態になっていたそうだ。今でも一応支部はあるが、実質的に活動していないのではないかということだ。

また、土建業者は全解連に属さず、仕事の都合上自民党支部に入っていたそうだ。

白山神社について聞くと「それかどうかは知らないが、今大きな木が生えている辺りに神社があって、石で出来た何かを榎下えげ神社に持っていたと親から聞いた」ということだ。時期としては明治の頃だろう。それ以来、周囲の村と一緒に榎下神社で祭りをするようになったという。

「神社だったところの近くに、毎朝のように立ち小便する人がいた。その人は死んでしまったけど、罰が当たったんじゃないか」そんな話をしてくれた。

放置された自動車、太陽光パネル、そして墓地を見つけた。

墓地はきれいに整備されている。名字は中村、桜井など。宗派まちまちのようである。

差別はあったのか?と問うと、そもそもそういったことを親が教えたがらず、村の由来も全く伝承されていないのだという。昭和初期生まれの自分でさえそうなのだから、そういうのを知っていたのは明治とか大正とかその頃の人間だろうとのこと。無論、そのような人はもう生きていない。

先述のように、神社も合祀され、祭りも一緒にやるようになった後に、解放同盟やら全解連やらの活動が出てきた。

だから、差別がどうこうというより、全解連の活動や、補助金、貸付金のことの方がよほどインパクトがあるという。

そんなことだから、ここに住む若い世代は全解連や人権連の活動も知らないし、「部落」のことさえ知らない人がほとんどだろうということだ。

最後に、白山神社が合祀されたであろう、少し離れたところにある榎下神社に行ってみた。

集会所もある、立派な神社である。

境内には稲荷神社のほか、屋敷神や近辺の村の神社であったであろう祠がいくつもあるが、残念ながら白山神社らしきものを見つけられなかった。

宮部 龍彦 について

ジャーナリスト、ソフトウェアアーキテクト。信州大学工学部卒。 同和行政を中心とする地方行政のタブー、人権ビジネス、個人情報保護などの規制利権を研究している。「ネットの電話帳」管理人。

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曲輪クエスト(365) 安中市 原市 正善」への7件のフィードバック

  1. 匿名

    >正善については「しょうぜんやつ」という言い方も
    たぶん「正善谷戸」なんでしょうね。
    #e064f1a6391be125580bb2e981465fe2

    返信
      1. 匿名

        失礼!言葉不足でした。ヤト・ヤツ・ヤチetcは何れも谷地名ですが、ここの近隣に2~3か所「谷戸」表記の地名があったので代表してそう書いちゃいました。谷津と書いた方がしっくりしたかな。谷地名も三河国・伊豆国あたりだと「〇〇ヶ洞(ホラ)」、駿河国あたりだと「〇〇ヶ谷(ガヤ)」が多く面白いですね!
        #e064f1a6391be125580bb2e981465fe2

        返信
        1. 宮部 龍彦 投稿作成者

          谷戸系の言い方は関東独特ですね。
          なお、鳥取では谷と書いてダンと読みます。
          私の実家の近くにも竹谷(タケダン)、堂谷(ドウダン)という、関東で言う谷戸地形があります。

          返信
  2. 匿名

    素晴らしいドキュメンタリー。
    示現舎の卓越した行動力と勇気。
    人文学研究者の鑑。
    コタツ記事で済まさず実際に現地を探訪する情熱。
    時代錯誤の差別はすでに解消されていた!

    返信
  3. 匿名

    数年前に高崎市に編入された箕郷町の探訪を依頼した者です。旧箕郷町役場の近くに三つの白山神社があり、数キロ先の隣町にも白山神社とニコイチがあります。是非、探訪の程よろしくお願いします。そして群馬県のおススメは高崎市の若松町、高崎市役所の至近の距離ながら急斜面が多く、住宅も密集しています。後、同じ高崎市の倉賀野町、隣保館があり宿場町だった事もあり烏川沿いにありここも住宅が密集していて趣きがあります。最後に伊勢崎市の南茂呂町、ここはかつて茂町と呼ばれていて、ここも隣保館ありエホバの教会があり、ここも川沿いですが土地がかつてのアメリカのワイルドウエストと言うか、荒涼としたイメージが印象に残ります。よろしくお願いします。
    #384e2ceea94cff75b1edca946a9cec01

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