土浦市にも部落がある。地名で言えば藤沢。戦前の記録では西坂という名前で、戸数は20戸と記録されている。毛皮を扱っていた。
なぜここを訪れたのかと言えば、筆者に送られてきた全国連の公開質問状に書かれていた「差別事件」について見識を深めるためだ。
その公開質問状については、以下の動画で解説している。
質問状の中に、唐突に以下のようなことが書かれていた。
一つの具体的な差別事件として、茨城県で今年発覚した差別事件を取り上げる。土浦市の小学校児童クラブの支援員3名が、地元の部落からクラブに通っている児童に対して、大勢の児童の前で次のような差別発言をした。
支援員1は、大便の粗相をした子に「部落出身だからねえ、ウンコも漏らすよねえ」と発言して他の支援員と一緒に笑っていた。
支援員2は、別の女児に「Aちゃんは部落だから、頭が悪くて、私らが言っている話が理解できない」と発言。さらにその子の家が廃品回収業をしていることについて「ゴミ屋です。○○では被差別部落カーボを△△の連中と呼ぶのだけれど、Aの家はゴミ屋の仕事なんです。ゴミ屋なんて普通はやらないでしょう、△△人だからなんですよ」と発言。隣にいた支援員1も「そうなんですよ。コジキだったんですよ」と発言した。
支援員3は、市内の別の小学校児童クラブに勤務していたが、同僚がこの小学校のクラブに異動することが決まると、その同僚に「○○は部落が沢山あって、親が普通じゃないから、あんな所に行ったら大変だわ。私なら怖すぎて行けないよ。部落だよ、相手は」と発言した。
差別発言した支援員は「部落については、近所のおばあちゃんから△△という所は同和の人たちが住んでいる…と聞きました」と言っている。
この差別事件の背景には、運動団体はまったく関係していない。地域の一般地区住民が被差別部落に対して根深い差別意識を今も持っていることを示している。
この文章から、なるべく伏せ字を剥がしていくというのが、今回のミッションだ。
土浦市の代表的な部落は藤沢にある。いや、事実上は唯一の部落と言ってよいだろう。歴史的にはもう数か所あったようだが、少戸数であり、昭和になってからは消滅したようである。
ご覧の通り、関東の部落ではよく見られる白山神社と、「藤沢集会所」という同和対策の教育集会所がある。
藤沢は2006年まで「新治村」であった。そのため、現在でもこの辺りは新治と呼ばれ、市役所の新治支所があり、新治学園義務教育学校がある。
ということは、○○は「新治」であろう。
集会所と白山神社は小高い場所にあるが、そこから下ったところに池がある。ゼンリン住宅地図によれば、この池の名前は「南部池」。
過去の記録には「西坂」という部落名があるが、例によって詳しい人から聞くところによれば、現在は「南部」(「部」にアクセント)と言われることが多いという。
すると、△△は「南部」が正解であろう。
文章中に出てくる発言の伏せ字をはがすと、茨城県の部落のある片田舎の空気を体感できる、生々しい会話が現れる。
「ゴミ屋です。新治では被差別部落カーボを南部の連中と呼ぶのだけれど、Aの家はゴミ屋の仕事なんです。ゴミ屋なんて普通はやらないでしょう、南部人だからなんですよ」
「新治は部落が沢山あって、親が普通じゃないから、あんな所に行ったら大変だわ。私なら怖すぎて行けないよ。部落だよ、相手は」
「部落については、近所のおばあちゃんから南部という所は同和の人たちが住んでいる…と聞きました」
「カーボ」という言葉。これは「皮坊」が転訛したもので、静岡県から茨城県の辺りにかけて使われる言葉だ。さらに訛って「カンポ」と言われることもある。文字通り、皮を扱う人々を指す言葉だ。なおアクセントは「ボ」「ポ」に来る。
それに対応するのが、写真の廃墟。ガラス窓越しに、何やらふわふわしたものが見える。
「宮崎毛皮店倉庫」と書いてある。ご覧の通り、毛皮店は廃業してしまっているが、宮崎家は地域の有力者であったという。
この地域には宮崎という名字が多く、他には小林、笠原といった名字がある。
その佇まいから分かるのは、ここは明らかに商人の部落だ。茨城県の他の部落でも見られるように、本当に近世まで皮革業をしており、土地を持たなかったゆえに農業よりも商業が中心になったことが伺える。
何かしらの商売に関わる看板を掲げていた形跡のある家もある。
「ゴミ屋」というのがどの家なのかは分からないが、農業以外の仕事をしていた部落でスクラップヤードはよくあり、スクラップ業者があることは珍しくない。
白山神社に最も近い寺は真言宗の松岳寺だが、これは部落の寺ではないと判断した。墓地の名字の傾向が部落と異なるからだ。
そこで目をつけたのが、少し離れたところにある遍照寺。
ここが部落の寺で間違いないだろう。他の村の檀家も多いと思うが、名字の傾向が大体一致する。
遍照寺は特定の宗派に属さない単立寺院。部落の単立寺院は初めて見た。
「小松原」の墓石もあった。ここから推測されるのは、やはり茨城県は部落同士で交流があったのだろう。
ただし、「新治は部落が沢山」というのは間違いだ。新治の部落は南部しかない。しかも、戸数が多いわけでもなく、むしろ少ない方だろう。
発言した支援員は、土浦市外からの移住者のようである。しかし、仮に昔からの地元の住民であっても、よほどの事情通でない限りは、部落の正確な場所や範囲など知らないのが普通であるようだ。茨城県では行政の方針のためなのか、同和住宅を作らなかったので、同和地区の範囲が余計に分かりにくい。
ともかく、全国連の公開質問状に書かれていた「差別事件」の片鱗が分かった。市民にはほとんど知らされていないが、この件で全国連が市役所を糾弾したそうだ。土浦市役所内部を揺るがしたこの事件の全貌については、別の機会にレポートしよう。
小学館『日本国語大辞典』(1972年)第5巻283ページによると「皮坊」「革坊」は仙台でも使われていたそうです。福聚院満興寺の別名は「革坊寺」。もっとも橘庄一「特殊部落民異名考」には
カワボウ系(岩手・宮城・山形・茨城・栃木・千葉・東京・神奈川・静岡・愛知)
カワタ系(埼玉・神奈川・山梨・静岡・愛知・和歌山・広島)
カワヤ系(埼玉・富山・岐阜・福井・島根)
チョウリ系(茨城・群馬・長野・山梨・富山・高知・佐賀・熊本)
ヨツ系(長野・岐阜・富山・奈良・滋賀・和歌山・徳島・福岡)
とまとめられているので「かわぼう」系の使用圏の北限は岩手なのでしょう。
#b3b5c3d7198d34a6e37331d6064de4e9
ありがとうございます
しかし岩手、宮城、山形はそもそも部落が極めて少ないので、現地に行っても聞くことはないかも知れないですね
平野小剣の自伝には「俺達が級友からも「カーボー」と云はれて侮り卑しみを受けてる」云々という一節があり、福島は「かわぼう」系の使用圏に属することが窺えます。
山形県は『全国同和地区実態調査結果』423ページによると
米沢市住吉町 95 戸
〃栄町 73 戸
酒田市寺町 50 戸
鶴岡市八軒町 52 戸
〃大山 9 戸
〃上の山町 13 戸
などがあり、特に米沢には東北地方唯一の同和住宅がありますから、一度探訪していただければと思います。
#b3b5c3d7198d34a6e37331d6064de4e9
おそらく福島で「カーボー」を使うのは、浜通り、中通りの辺りではないかと思います
会津探訪したときは「ゲネ」で一貫してました
山形県もいずれチャレンジしてみます
ディサービスの利用者が
隣保館で差別発言
「人になれない人」などと
「解放新聞」(2002.9.9-2085)
この記事には「会津田島に嫁にいくとき、親や兄弟から、田島のほうにいくとカーボーとよばれる人がいる」という発言が登場します。会津も地域によってカーボーを使うのかもしれません。
#b3b5c3d7198d34a6e37331d6064de4e9
米沢は興味深いですよ。
個人的好奇心から「探訪」したことがありますが、「趣き」がある家屋や土地割がまだわずかですが残っています。年々少なくなっていますけど。
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テレビCM「カンポ」の宿って問題にならなかったんでしょうか
公金でできた素晴らしい運営の宿だったので気にする人はいなかったのか気にしてもコメントする人が糾弾されそうで誰も言わなかったのか
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はじめまして。茨城県藤沢に縁があります。添付した画像を削除して頂けないでしょうか?宜しくお願い致します。
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だめです
宮部様のお言葉ですか?
意外とあっさりした返事でびっくりしています。
削除出来ない理由など簡単でいいので聞きたかったです…
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部落の風景は後世に残すべきです。
消してしまうのはもったいない。
100年後には伝統的な建物はなくなっているかも知れません。
浅草の宮本卯之助商店ですか?
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浅草の太鼓屋さんですね。
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