本庄市児玉町児玉には一説では関東最大級の部落があるという。読者の方から探訪リクエストもあったことなので、行ってみることにした。
昭和初期の記録では119戸、527名であったとされる。
今回探訪を共にしたのが小林初枝の『こんな差別が』という本。1980年初版発行の、子供向けの古い本である。
児玉町の部落出身で、20年部落解放運動をしている著者が、地元での差別の実態を告発するという本である。真面目に感想を書くと、事実誤認と被害妄想に満ちた内容で、こんな人が部落解放運動に関わっていろんな人を洗脳して、余計にこじれていったのだなということが分かる内容である。
例えば部落の呼称である下町という町名も差別であり、近くにある上町に対して「行政が差別的発想のもとにつけた字名にちがいない」という。
ただ、地図を見ると単に小山川の川上と川下の位置に対応しているだけである。筆者は、身分の上下で地名を付けたという事例を知らない。上下は単に地理的な位置による命名で、川の上下、あるいは街道等では京都に向かう方を上、離れる方を下という付け方である。
あえて部落差別に結びつけるとすれば、皮革を扱っていた部落では汚水が下に流れるからという理由で川下に移転させられた例がしばしばある。しかし、「上組」のように名前に「上」が付いた部落名も珍しくない。
そうこう言っているうちに、関東の部落での定番、白山神社に着いた。
社殿の中で集会が出来るような構造になっている。
『こんな差別が』はその中で名字による差別を告発するのだが、地元の部落に多い名字として具体的に田島、神部、永尾、岩上が挙げられている。それらのうち、白山神社の氏子に多いのが田島である。
とすると、ここで活用すべきはネットの住宅地図「マッポン!」である。『こんな差別が』で挙げられている名字と探訪時に気になった名字の分布を検証してみた。これは見事に地域と名字の関係性が現れている。
田島は白山神社から南東に集中している。そしてその他の名字の分布を見ると、部落の戸数は明らかに百何十ではなく、明らかに何百規模であろう。「混住」した一般民も含めれば千世帯を超えるだろう。確かにこれは、考え方によっては関東最大の部落と言うこともできそうだ。
『こんな差別が』では上町、下町は俗称で郷土地図にも記入されていないというが、少なくとも現在の国土地理院の地図には小字として記されている。特に下町は白山神社周辺の地名で、昔は田畑しかなかったようである。
しかし、名字の分布を見ると下町だけでなく大久保、山王、生野、宮本という小字も部落の範囲内であり、むしろそれらがメインであるように見える。
地図によれば、近くに集会所があるようなのでそちらに向かった。
これが下町自治会館。同和関係の掲示物はなく、ただの自治会館なのだが、建物のつくりはまさに同和事業最盛期の公共建築である。
規模からすると、これは元教育集会所であろう。
実際、これは「本庄市役所児玉大道集会所」という同和施設だった。むしろ白山神社近辺のこの辺りの俗称は下町ではなく「大道」のようだ。
実は本庄市、上里町、深谷市は部落の多さに対応してか、埼玉県内でも特に同和行政や同和団体の活動が盛んな地域であった。
同和事業末期には合併前の児玉町の町議会が「糾弾」されるなど、解放同盟が暴れまわった。
しかし、やり過ぎたせいか、2011年に本庄市、上里町、深谷市の3自治体がそろって解放同盟の締め出しと同和事業の打ち切りを表明した。
怒り狂った解放同盟は直後に「同和行政廃止無効裁判」なるものを提起して3自治体を訴えたが、完全敗北した。
さて、部落の産業に話を移すと、この辺りの部落で特徴的なのは瓦づくりであるという。歩いている途中で工場が見えたが、「窯業」と書いてある。これが瓦工場だろう。
東に進むとソーラーパネルがあり、小山川に突き当たった。この川が部落の端になる。
川の周辺が公園のように整備されていた。
『こんな差別が』によれば下町は「線路から向こう」とも呼ばれたようである。しかし、名字の分布によれば川沿いは線路の両側も部落であるようなので検証してみた。
線路の近くにはとてつもない豪邸があり、表札は白山神社の氏子にもあった名字である。
八高線をくぐった先が大久保である。
白山神社の辺りもそうだが、普通の埼玉の田舎で、古くからの農家も新しい家もある。
こんなものがあった。御嶽神で地元で信仰されてきたという。
田島軍次郎というのは水害から村を守った英雄である。
石板をみると、ここでも圧倒的に田島が多い。
さらに進むと、ここにも明らかに同和事業全盛期の公共建築が。横の「ソフトウェア総合研究所」も気になる。
これは大久保地区の自治会館だ。かつての「本庄市役所児玉大久保集会所」。同和集会所なので、やはり川沿いは線路の両側が部落だった。
周辺には工場や倉庫が多い。屋号は地元に多い苗字だ。
「ソフトウェア総合研究所」の敷地は廃墟のようになっている。
さらに工場が多くある辺りに行ってみる。
ここにはさらに崩壊した廃墟が。これは元々工場だったらしい。
ここにも窯業とあるので、まさに瓦工場である。窯業からさらにソフトウェア業に進出したのであろうか?しかし、この絵を見るとソフトウェアというより化学のようである。
「ボーナスがなくてもしかられても転職しない性格です」これは一見ブラック労働のようだが、おそらく工程管理や事務処理をソフトウェアで自動化すれば、人間に働かせる時のような心配をしなくてよいということを表現したものだろう。
しかし、工場が朽ちているところをみると、あまり上手くいかなかったのかも知れない。
路上のイモムシを避けつつ先へと進んだ。
ここから八高線の踏切を渡って、再び線路の向こうに戻った。
ここにも神部という名字が多いが。
宮部も多い。私がここに本籍地を移せば、より部落民らしくなるのではないだろうか?自分と同じ名字が多い部落を探して、そこに移住または転籍するという手法はかなり使える気がする。
それにしても、ここまで広大な部落だとは現地に行くまで分からなかった。
『処方』が必要な人の例をもっと知りたいです。折りがあったら、また掲載して下さい。しかし、ここのコメントだけならまだしも、夢にまで出てこられて枕元にオッチンされても迷惑で、夢を記録する機械があれば威力業務妨害でおシラスに引きずり出すか、鉄格子のある病院に入院させることも出来るのですが…。
「学術・研究:部落探訪(285 前編)埼玉県 本庄市 児玉町児玉 下町」への190件のフィードバック
コメント消えてる気がして件数を残したまま記載します。
松本さんの指摘を読んでコメントしておきます。
やっかみでや嫉妬で家が村八分にされ階級が落ちる話がありました。
昔は家父長制で飢饉とかになれば長男以外は売られることもありました。戦前でもそうです。女性なら遊郭へ、もありえます。2.26事件の遠因とも指摘されてます。丁稚奉公も住み込みですから現代の家政婦と同じ問題があったでしょう。
杜氏の本を読んだとき、「米ぬかを食ってでも酒屋で働くな」という言葉がありました。それほど重労働で応募者の次男三男が集まると屈強な人から選ばれたとか。
とある高貴な醸造業を部落と揶揄する人がいましたが、こういう人夫がたくさんいただけじゃないでしょうか。宿舎の長屋もあったでしょう。ちょうど工場地帯の労働者をとやかく言うような感覚です。
二男三男はそういう扱いですから部落の人夫にな
るのは当然あったんじゃないでしょうか。口減らしもありました。
おじろくおばさについては探せばいくつか指摘があります。
「おじろくおじろくばさとは?昭和まで続いた長野県での嘘のような悲しい奴隷制度」
https://leisurego.jp/archives/200721
精神科医の近藤廉治の調査の模様です。
『精神医学』1964年6月号
信州大学医学部神経科 「未文化社会のアウトサイダー」
実はいじめや虐待をすればうつ病や統合失調症は内製出来ます。みんな企業内や学校で思い当たる場面はあると思う。
190件からコメントが51件に減ってますね。
>鉄格子のある病院に入院させることも出来るのですが…。
それをやったのが山本病院事件のような病院ではないでしょうか。そしてそういう病院が山のようにあり押し込まれてる人がいるわけです。社会保障の逼迫の原因の一つだと思います。
世界比でも多すぎるみたいですから。
オッチンて何?
#9aa23306f272101ee209785a39789039
オッチンは関西弁で座ることです。オッチンすると言います。
「下」が差別からきてるなんて論法があるんですね。
田舎じゃ「上」と「下」なんて普通ですけどね。
うちも本家の下に家があるので「下の○◯さん」なんて呼ばれます。
一般社会でもあるようなことでも部落民が絡めば「差別」と声を荒げる。
今も昔も変わらんですな。
>一般社会でもあるようなことでも部落民が絡めば「差別」と声を荒げる。
これ。
絡むというか、六曜も雛人形も差別とまくし立てられれば行政はビビって従うからなぁ。
宮部さんお疲れ様です
アンチ多いですね
暇なクズは放っときましょー
迷惑と言っているのだから・・・
とか言ってるけど、自分の迷惑な書き込みはどうなの?
宮部氏に直接連絡すればいい話だと思います。三品さんもそう言ってるじゃないですか。
自分のかける迷惑はよくて意にそぐわない人のはいけないという論法は解同っぽいですが。
ここのコメント読んでると、部落民や部落解放同盟の連中が噂に違わず狂ってるという事が良く分かる。
宮部さん、がんばれ!国にたかるしか能のない連中の書き込みなんて気にしなくていい。上原の書いてる通り、血が濃いからおかしい奴が多いんだな。
別に部落がどこか、部落民は誰かを暴いているのは宮部さんだけじゃないだろう。
https://youtu.be/wP_hvHJ20JA
これはセーフで宮部さんにだけ噛み付く理由は何?
ここの荒れ具合を見ると改めて「部落民って嫌だな」と思う
同じく。
宮部氏の記事に問題を指摘する以前に、何で自分たちで調査してホームページを立ち上げないのかな。
後だしじゃんけんで指摘しても(笑
>宮本という小字も部落の範囲内であり、
そこはおそらく児玉町吉田林の部落で、児玉町児玉の部落とは別。
児玉町出身の部落民と公表している部落史家・本田豊氏の出身地かと。
このサイトのお陰で部落民が税金に集る悪質なプロ市民だと理解出来たし、表に出てくるのは似非部落ばかりと知りました。宮部さん三品さんの取材力の賜物です。これからも頑張ってください。
このサイトのコメント欄は不要です。
私の実家が近所で、本家も写真の場所のすぐそばです。
父親の口からよく部落問題は大変な話で、このけしからん世の中を何とかしないといけないという話を聞かされてきました。
差別は良くないし、児玉に差別の歴史があったのだという恥ずべき歴史は語り継がないといけないと思いますが、成人した今でも違和感がぬぐえません。
これまで自分は差別されたこともないし、周りで部落だなんだと言われてる人を見たこともありません。
私がそういう薄暗い部分から遠ざけられていたのかもしれないし、私と同年代の世代だと差別は無いのかもしれないし、断定はできませんが、そもそも差別する人は視野が狭く寛容性が乏しく、思い込みも激しいが故に差別をしてしまうと考えています。もしかしたら何かしら劣等感を抱いてるのかもしれません。
だからいつの時代にもいじめはあるし、戦争も尽きない。
けれど、私が感じた違和感は、親世代が今も差別をされているという観念があり、これは私の意見でしかないですが、子ども世代に問題提起という形で、自分達が差別する人=悪者を打ち倒さんとする、同情と称賛されるべき人間であり、子ども世代は形の無い恨み辛みを手放すことを許さないと言われているような圧力があった点です。
人は人でしかなく、そこには善も悪もありません。
あるとすれば皆が自分達にとって優位に人生を送ろうとするばかりに狡猾さや利己的とも言える防衛反応を示すだけです。
私は私、あなたはあなた。自分にとって好い人なら好い人、嫌な人なら嫌な人。そこには国も場所もありません。
差別問題の本当の問題って何なのでしょうね。
言うほど重要な問題ではなかったのだと思います。
こじれたのは同和事業で莫大な予算を付けたからでしょうね。