学術・研究:部落探訪(226)茨城県 古河市 中田

カテゴリー: 部落探訪 | タグ: , | 投稿日: | 投稿者:
By 宮部 龍彦

古河市最大で最も有名な部落であり、茨城県内でも最大の部落なのだが、昭和初期の記録ではその戸数は90戸。全国的に見れば特に大規模な部落というわけではない。

他の関東の部落によくある通り、白山神社があるのだが、地図で見ると2つある。なぜ2つあるのか、謎を解くべく現地を訪れた。

中田も全体が部落というわけではなく、その中でも南の地域である。どこが境界になのかは、はっきりしないが、現地の近くにも集合住宅や新住民のものと思われる家がある。

そのような場所に白山神社が見えてきた。

境内は広く、立派な神社だ。

中は氏子が集まることができる構造になっている。これは白山神社に限らず、この近辺の様々な神社に共通することである。やはり、祭りの時は社殿の中に氏子が入るそうだ。

境内にはさらに2つの神社がある。これはたぶん稲荷神。

これは猿田彦?

石川、中川、山田という名字が多い。これをよく覚えておいてほしい。

実はここでもう1つの神社がある理由を聞くことができた。氏子が増えて、社殿に入りきれなくなって、別途新殿を作ったということなのである。時期は昭和初期、水害対策の河川改修をした頃なのだという。

ここは完全に部落の中のはずだが、普通に集合住宅がある。

ここは中田集会所。大山の集会所と同じ位置づけだ。掲示物に同和だの部落だの人権だのといったものはない。

さらに進むと…

新殿だという白山神社に着いた。ここにも稲荷神がある。

小さいが、社殿の中は同じような構造だ。

しかし、決定的に違うのは、石碑に刻まれた氏子の名字の傾向が、明らかに本殿と違うことである。ここから推定されるのは、単に氏子が増えたから新殿を作ったのではなくて、比較的新しい住民が新殿を使うというルールになったのでは。

ここが墓地。時宗その他複数の宗派が混在しているように見えるがどうだろう?

ついでに堤防沿いを歩いていると、仏像彫刻師の作業場のようなところがあった。

ここは関所跡。スタンプラリーのチェックポイントがある。

この場所、住宅地図では「橋本組二代目」となっている。土建屋さんとかではなく、ほんとうにあっちの方の「組」である。外観を見る限り表札も看板もないのに、ゼンリンの調査員が「橋本組二代目」と分かった理由が謎である。

なお、関係は不明だが1993年の時点では、電話帳にはこの場所は「全日本同和会茨城県連合会」として登録されている。地元住民によれば、その頃から既にヤクザ事務所と認識されていたとのことだ。

宮部 龍彦 について

ジャーナリスト、ソフトウェアアーキテクト。信州大学工学部卒。 同和行政を中心とする地方行政のタブー、人権ビジネス、個人情報保護などの規制利権を研究している。「ネットの電話帳」管理人。

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学術・研究:部落探訪(226)茨城県 古河市 中田」への3件のフィードバック

  1. ポチ

    WEBサイトに
    https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1256535252
    というQAのページがあり、私も古河については興味を持っていました。
    本記事では、こちらのページに記述されている中田第四小学校の
    「大きくて目立つ石碑」については記載がありませんが、
    取材時に何か情報を得られたりはしておられませんでしょうか?
    現在も石碑が存在するなら、何が書かれているのか、その内容を知りたいです。

    返信
    1. 鳥取ループ 投稿作成者

      石碑は現存するようなのですが、外からは見えないようなのですよ

      返信
      1. タマ

        あれは、戦没碑(四小にあるのは)だったはずです。

        あと、明治時代の地図には、この2つの白山神社載っていません。当時は住民もこの周辺にはだれも住んでいないです。今の大山4丁目に1つ載ってるだけですね。2つの白山神社の作られた経緯は??ですね。新しい住人たちか堤防にかからないで残った住人が、大山にあった白山神社を分けてもらったんでしょうかね・・・。もともと、町移転前の明治の地図を見ると、今ゴルフ場になっている所に、八幡神社があったんですよ。この、山〇さんとか石〇さんとか中〇さんて、新しい人たちなんでしょうか。明治の家の配置とmapponでしたっけ、あれと合わせてみても秋〇さんとか、多並さんとか、北〇さんとかばかりなんですけど。この北〇さんて、下総六郡名家鑑にも載ってるんですよね。だから不思議なんですよね。なんで、この辺りが部落指定されてるのか。明治時代に多〇って方が解放同盟かなんかの大会に出席したという記録はあるんですけど。これが始まりなんでしょうか。
        多くの人たちが、古河の街にできた食肉解体工場の方へ移っていったそうですけど、どのあたりなのかはわからないです。

        上記、下から3つ目の掲示板の写真ですが、掲示板があった通り沿いに4小学校辺りまで、旧中田住民(利根川橋南側ゴルフ場辺りにあった)が全体的に移転しました。

        仏像彫刻師は私が調査してた頃、昭和の終わりごろはなかったですけどね・・・。
        この共同墓地に関しては昭和50年代にできたもので、住民は新旧あると思います。お墓の向こう側に写っている家々は沖縄とか東京とか埼玉出身とか、もう新しい住人ですよ。土手沿いも。
        時宗は今この辺りにはないですが、本願寺が時宗だったはずです。時宗は戦後に一向派が浄土宗へ吸収されたはずなので、それ以降は浄土宗の戒名を与えているのかもしれないですね。光了寺は浄土真宗ですね。どちらも、名主クラスの檀家がいたので混在してるのかも。

        ここで、昔の地図を見れるし、現代の地図とも左右で比較しながら見れますよ
        https://habs.rad.naro.go.jp/habs_map.html?zoom=13&lat=36.31436&lon=139.80498&layers=B0

        是非、埼玉の鷲宮とか、私の地元、神奈川の調査やってほしいですね。

        返信

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