学術・研究:部落探訪(144) 大阪府茨木市総持寺2丁目 “北中城”

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茨木市3部落のうち最後の部落にやってきた。現在の茨木市総持寺2丁目の一角にある、「北中城なかんじょ」は、 1935年に32軒 の小さな農村部落であった。

まずは、「いのち・愛・ゆめセンター」を訪れる。

ここでは、解放同盟の手配ビラのことは知られていなかった。解放同盟の活動はあまり活発ではないということかも知れない。掲示板には人権とか同和といったものは見られない。

「いのち・愛・ゆめセンター」 の正面には公園が。茨木市の同和地区では 「いのち・愛・ゆめセンター」 の隣に公園というのがパターン化されているようだ。

そして公園の裏手には共産党が。これでは解放同盟は活動しにくいに違いない。

総持寺公園の周辺は昔は田畑だったところで、このユースプラザの北側が昔からの部落である。

の周辺は昔は田畑だったところで、このユースプラザの周辺が昔からの部落である。

実は、このユースプラザは 「いのち・愛・ゆめセンター」 の別館を活用したものだ。掲示板には同和や部落といったものはない。

気が付かなかったのだが、沢良宜、道祖本の別館にもユースプラザが入っている。こういったところも3つの同和地区への施策が「規格化」されているように感じる。ただ、3つの部落はそれぞれ立地も規模も異なるので、判を押したように同じ施策をするというのはどうなのだろう。

ユースプラザ周辺は新しい家が建っていて、もはや部落という雰囲気ではないのだが、古い家も少しある。

そして、さらなる同和事業のシンボルと言えるのが、この市営総持寺住宅だ。

市営住宅周辺は公園も道路も手入れされている。

市営住宅前のこの広い道は部落のメインストリートとでも言える場所だが、新しくきれいな家が建っている。

これが浄土真宗本願寺派称名寺。明治期の地図には、この寺は出てこない。それは、この寺は当初から「道場」であり、正式な寺になったのは昭和4年のことだからだ。

寺の周辺には細い道、古い家、空き家と空き地があるが、その間に新しい家が建っている。今まさに民間の不動産業者により開発され、どんどんよそから人が移り住んできていることが分かる。

市営住宅の横に袋小路のようになったところがあり、迷惑駐車はやめろと書かれているが、事実上ここが地域の駐車場のようになっている。

その近くに墓地がある。

墓地は施錠されて入れないようになっていたので、塀の上から覗いてみた。大中という名字がいくつか見られる。また、小西という姓が見られ、周辺には井戸木という表札の家があることから、道祖本や高槻市の富田と人的な交流があったことが想像できる。

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