学術・研究:部落探訪(112) 東京都町田市 下小山田町“南台”

アバター By 鳥取ループ

町田市の部落と言えば、相原本町田の特定に成功したが、最後に小山田町が残っていた。1935年の記録では南澤または小沢谷戸、11戸の部落があったとされる。

場所の特定に至る過程は、以下の動画で詳しく解説しているので、ぜひご覧頂きたい。

この「上根かさね神社」が手がかりとなる。同和地区指定されていない部落の特定はしばしば困難なことがあるが、関東ではとりあえず白山神社を見つければゴールに達することが多い。

神社の石碑に、南澤に小沢家の守り神とされる白山神社があり、1965年に合祀されたことが書かれている。この白山神社があった場所こそが「南澤または小沢谷戸」であることは明らかだ。

神社の片隅にある、この古い祠のどれかが白山神社のものと考えられるが、残念ながら分からなかった。

たまたま神社の手入れに来ていた人に聞いてみると、「南澤」の場所を知っていた。それはおそらく「南台」のことだろうという。白山神社が合祀されたのと同じくらいの時期に、UR(当時は日本住宅公団)の団地建設に伴って移転したという。

「南台」に行く前に、今昔マップから特定された、南澤があった場所に行ってみた。ここは今の住所表記では「小山田桜台」となる。谷戸池公園という公園があり、文字通り谷戸であることが分かる。

この緑地は当時の谷戸をそのまま残したものだ。

不覚にも写真を撮り忘れてしまったが、この交差点付近が白山神社があった場所だ。

次に、移転先である南台へとやってきた。ここが「小山田南台公園」。

部落があった南澤は谷戸にあることから、文字通り沢があったのだと思う。そして、移転先にはもはや沢はないので、元の地名から「沢」を取り、昭和の新興住宅地にありがちな「台」に変えたのは、なかなか粋なネーミングではないだろうか。

移転した時期からそろそろ50年経過しているので、木造住宅の建て替え時だろう。

当時の住宅と、建て替えられた住宅が混在している。

これは「小澤講中 地神塔」。掲示板には大正15年1月建立とあるので、南澤からここに移してきたと考えられる。

住民によれば、確かにここは日本住宅公団の団地建設に伴って南澤から移転してきた集落だという。上根神社にある「小沢家の守り神」との記載の「小沢家」というのは、要はこの辺りの小沢家のことだ。しかし、差別については聞いたこともないという。

今でこそ町田と言えば町田駅周辺が栄えているが、住民によれば本来は小山田こそが町田の中心だったのだという。しかし、町田の中でも長らくの田舎の佇まいを残してきた。地元の作家、故・薄井清氏は「小山田とは、移住者の進撃を迎え撃って死守している、原住民の砦だ」と表現している。

移転の経緯は墓地の石碑の裏を見れば全部書いてあるというので、墓地に行ってみた。

右は「十一面観音菩像」で危難救済大願成就のご利益があるという。左は三界地蔵尊で子育て延命と無病息災のご利益がある。

無論、白山神社は上根神社に合祀されたため、ここにはない。この赤い鳥居は稲荷神のものだ。

墓石は「小澤」ばかりである。多摩の部落は全て時宗と聞いていたが、この墓石は明らかに時宗のものではない。聞いてみると、上根神社の近くにある大泉寺が菩提寺で、宗派は曹洞宗ということだ。

昭和47年に南澤の住宅が全てここに移転、墓地は昭和52年に移転を終えたと記録されている。

なぜここが部落とされたのかは、はっきりとは分からない。少なくとも昭和40年に小山田各地の神社が上根神社に合祀されてからは、小山田というくくりでまとまっているように見える。大泉寺は南澤だけではなくて、小山田全体の菩提寺である。

『上根神社の由来と小山田の郷土史』(2010年)より

一説では、付近に牢場があったので、それに関係する非人系部落ではないかとも言われる。

学術・研究:部落探訪(112) 東京都町田市 下小山田町“南台”」への5件のフィードバック

  1. アバター通りすがり

    周辺に白山神社を発見しましたが無関係でしょうか?
    〒194-0202 東京都町田市下小山田町898

    返信
    1. アバター鳥取ループ 投稿作成者

      関係は不明です。
      下小山田については完全に解明された訳ではありません。
      南澤は周囲と同じ曹洞宗の檀徒であり、本当に差別されていたのか疑問が残ります。
      一方、南澤以外の地域に見られる小冷の家は日蓮宗の檀徒と言われ、賤民との関係が指摘されています。
      ただ、いつまでも1つの地域にかまけていられないので、一旦調査は打ち切りです。

      返信
  2. アバター.

    鳥取ループさんを見ていると、八切止夫と似たところがあるのを感じます。アカデミズムの枠に収まらない研究を行い、それを刊行するために自前の出版社を設立した経緯が共通しているからです。

    また、菊池山哉とも似たところがあるのを感じます。各地の部落を精力的に探訪し、聞き取り調査など独自の研究を行い、運動団体から差別者扱いされた点が共通しています。

    むろん宮武外骨とも似たところがあります。部落出身を名乗り、出版規制に断固抵抗した反骨の言論人。

    さらに鳥取ループさんにはITの知識という武器もある。後世の人々が鳥取ループさんをどのように評価するか不明ですが、歴史に名が残ることは間違いないでしょう。

    返信
    1. アバター鳥取ループ 投稿作成者

      私の名前が残るかどうかはともかく、全国部落調査の再発見は部落研究の転換点となるでしょう。

      返信

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

wp-puzzle.com logo