曲輪クエスト(108)長浜市千草町

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By 宮部 龍彦

今回訪れたのは長浜市千草町。1888年は75軒、1931年は254軒、1999年は658世帯と記録されている。

まず訪れたのが「姉川コミュニティ防災センター 」。かつての「なつめ会館」から名前が変わっている。

一応は防災施設ということになっているが、中には人権関係の掲示物も。実際ここは「地域総合センター」を兼ねており、同和施設であり続けている。

そこから少し歩くと、教育集会所がある。これも同和施設だ。

教育集会所の正面には、多数の猫がたむろする、政治団体の看板が掲げられた建物が。周辺住民によると、長浜市の元市議会議員が行っている団体だが、何をやっているかはよく分からないという。

「同和とか言わないで黙っとけば誰も気にしなくなるんや」と住民は力説するが、現実はうまくいかないものである。

『滋賀の部落』によれば豊臣秀吉の治世に、京都の柳原部落から5世帯と武士1人が移住してきたのが部落のはじまりだという。姉川の周辺の土地を良好に保つためと、武具の製造のためだったと『滋賀の部落』は推測している。

ここは1570年の姉川の戦いの時に徳川家康の本陣があったとされる。

徳川家康が勝利したことから、この小高い部分は「勝山」と呼ばれている。

今は部落内は整備されているが、戦後間もない頃の航空写真では、明らかに住宅が密集している。姉川が近いため、過去に何度も洪水があり、大火に見舞われたこともあったという。

部落は高齢化しているというが、空き地や廃墟が極端に多いということはない。地元住民によれば、ブラジル人などの外国人労働者に家を貸したりするなど、移住者も多いそうだ。

この部落にはもちろん、ニコイチも多く立ち並ぶ。同じ長浜市でも、又貸しが問題となった虎姫では全てのニコイチが住民に払い下げられたが、千草ではまだそのような話は出ていないという。

ここは鹿座神社。『滋賀の部落』によれば明治期に作られたもので、それより前には村に寺社はなかったという。

灯籠に刻まれた住民の名字は様々で、住民の由来も様々ではないかと考えられる。

マンホールの蓋は千成瓢箪がモチーフだ。

宮部 龍彦 について

ジャーナリスト、ソフトウェアアーキテクト。信州大学工学部卒。 同和行政を中心とする地方行政のタブー、人権ビジネス、個人情報保護などの規制利権を研究している。「ネットの電話帳」管理人。

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曲輪クエスト(108)長浜市千草町」への5件のフィードバック

  1. アナキン

    何故、無駄に高学歴集団wの全解連が解同に反発し差別なんか無いと言い出したか
    これはアイヌ系差別なんて無いと嘘つきの三品と宮部と小野寺まさるのホモのトライアングルと似ているw
    何故、全解連は差別なんて無いと言い出したか
    これは答えが有る

    返信
  2. @shiga

    楽しみにしていました。
    ありがとうございます!
    この町は、とても近所なので
    何度か訪れましたが
    まだまだ知らないことか沢山知れて良かったです。

    返信
  3. 動画にあったトラブルというのは、やはりイチャモンをつけられた系の出来事でしょうか?

    返信
  4. 烏野加奈子

    無駄に高学歴?
    学歴が関係あるんですか?
    無学な私には分かりませんので、是非詳しく説明していただけないでしょうか?

    返信