崇仁地区取材の続編。「現地ルポ 崇仁地区再開発」では現在、検討されている再開発プロジェクトに蠢く人、政治、財界、行政の裏側に迫る。過去の事件簿である「直撃! 崇仁協議会 ヤクザ、武富士、地上げの過去を追う」とは同時並行で進めていく。(文中敬称略)
表社会と裏社会をつなぐのはあの著名教授
京都市・崇仁地区問題と言えば暴力団、地上げ屋、同和問題、在日コリアン、あらゆるタブー、闇社会の要素が詰まっている。そんなきな臭い地域が京都の最も目立つ場所にある。一方で年々外国人観光客は増加しており、京都市内にいると様々な国の人々が往来している。古都であり国際観光地の京都。おそらく多くの外国人観光客が「日本」と聞いて思い浮かぶのはまず京都だろう。ところがその玄関口であるJR京都駅から東に行った僅かなところに崇仁地区がある。そんな場所に老朽化した市営住宅が建つのはどう考えても異様な光景だ。しかも居住するのは同和地区住民、在日コリアンという日本社会で最もアンタッチャブルな人々。面白いことに部落解放同盟ですらこの地に支部を設置できなかった。保守系の全日本同和会が支部を構えたこともあったが二年程度で撤退を余儀なくされる。日本最大級のタブー地帯が皮肉にも京都の入り口に位置しているのだ。
京都府内にはもう2つのタブー地帯がある。一つは宇治市のウトロ地区、そして北区の通称、紙屋川住宅。このうちウトロ地区というのは少し事情が異なり「住宅整備」というとても分かりやすい要求闘争があった。だからウトロ地区住民の場合は“住民寄り”であれば報道も支援者も受け容れた。逆に紙屋川は外シンパである人権運動家すら拒否してしまう。こんな違いがある。いずれにしてもウトロ、紙屋川住宅に対して“人権派”は甘く囁き近づくものだが、崇仁地区に対してそうした動きは鈍い。暴力団、地上げ屋が関与してきたという過去が彼らの足を遠ざけたのかもしれない。
だから崇仁の再開発問題となるとウトロ的な運動家の大きな声だけでコトが動くわけでもない。また「闇社会」の人脈だけでは解決できない。政財界、行政の力も必要だ。だから表と裏の連携が必要になる。政財界にも顔がきき権威があり、なおかつタブーな面々とも交流できる人物。この厄介な条件に合致したのが小林節慶大名誉教授だ。崇仁地区再開発問題でキーパーソンと言える。
かつて小林は保守派の憲法学者で憲法改正論者だった。ところが小泉政権の時代、特に自衛隊のイラク派遣の頃からむしろ護憲、リベラルの主張を始めた。このため一部からは「小林変節」と揶揄されることも。最近では護憲派の集会にも登壇する他、狭山事件にも関心を持ち部落解放同盟と関係を深め、狭山闘争弁護団にも名を連ねるほどである。今や人権派学者、護憲派学者として存在感を放つ。そんな小林があの崇仁地区の開発と解決に尽力しようというわけだ。
中口というヤクザっぽいオジサンと出会い・・
東日本大地震直後の2011年4月29日に行われた「京都駅東地区市街地再開発組合設立総会」の話だ。本誌はこの設立総会の記録ビデオを入手した。会場のウェスティン都ホテル京都には崇仁地区関係者他、財界、仏教界など各方面の有力者が集結した。開催は真宗大谷派の住職が尽力したという。総会で小林は来賓として登壇した。もともと組合の決起集会から小林は参加しており交流はかなり長い。この時は、再開発に向けこう意欲を語った。
京都というと世界で開かれた日本の代表的な町。誰でも思うし、私も思っている。私はアメリカで訓練を受けた人間なので仕事も人間関係もアメリカに多い。アメリカ人は日本の中心は京都と思っている。「違うんだ東京だ」と説明する。京都に着いて両脇を見つめるとどう見たって世界に開かれた日本の文化の窓ではなく、私が生まれた東京の昭和20年代、30年代の新宿の場末の景色。これはおかしい。行政や政治の怠慢、歴史的な民族の過失の問題と思う。私は憲法学者、人権を議論して広めて根付かせようとしている。私は障害児として生まれ育ったから差別は親の仇である。だから憲法学者になった。同和という問題は昔から気づいていたが、地域もあるし一種の閉鎖性もあるから関わるのを諦めていた。だが数年前、共通の友人がいて中口というヤクザっぽい面白いオジサンと知り合って週刊誌などでは相当、悪いことを書かれていたが会ってみると気のいい仲間である。それでこういうプロジェクトに入れて頂くことができた。
「中口というヤクザっぽい面白いオジサン」。これはもうお分かりだろう。有限責任中間法人崇仁協議会の理事長、そして一般社団法人京都市街地再開発協会の中口寛継代表理事のことだ。またこの時の総会では「京都駅東地区市街地再開発準備組合」の理事長の肩書で中口姫子が登壇しているがこれは中口の妻だ。ともかく第三者を介して小林と中口は出会い、現在も再開発に向け協力関係にある。
今日の会合を開く支援者が現れてきたこと。仏教界、日本の文化を支える方、大学教授、着実に仲間が増えている。大きなプロジェクトだが不動産利権という側面もある。関わることでお金儲けをしようという人がいる。私はお化けと呼んでいる。お化けが手を出す余地はない。そういうことをお化けに知らしめる時間が必要だった。高齢化した仲間が消えていった。急げ急げというが平安時代から続くこの根強い構造を歴史の一瞬で覆そうとするのだから簡単なことではない。正しい手続きを踏めばできると信じている。今年入れて3年で大学が定年退職になる。大学教授という組織人のしがらみをしょっているとケンカになる。参加しにくい。それが終わったらかなり妻の許可も得ている。ライフワーク、一生をかけて追及するプロジェクトとして京都の問題に町の一介の弁護士として参加しようと思っている。
ここで言う「お化け」とはもちろん過去、起きた数々のトラブルや暴力団の類のことだろう。対外的に信用を得るには慶大教授・小林節という権威とブランド力は確かに有効かもしれない。さて総会で面白かったのが余興として俳優のなべおさみ、演歌歌手の香西かおり、韓国歌謡のヨン・スヨンも出演したことだ。腹巻き姿に手にはトランク。まるでフーテンの寅のようないでたちのなべは「人生は荒海に漂う船なのかこぎ続け、こぎ続けいつかはつくだろう」と熱唱。「自分の人生をかけて京都の一画をそっくりと生まれ変わる。そんな日を夢見て人生をまっとうしていく」と呼びかけた。部落問題に関心がある人ならば「なべおさみ」が同和人脈とつながりがあることはご存じだろう。同和団体とも交流があり人権活動を行うこともある。総会は極力、同和臭を抑えた体裁だが、どうもこういう顔ぶれを見るにやはり「同和」内の事業であることを実感する。
その後、総会では設立趣旨として再開発が「同和問題を根底から解決していき国の財政にも寄与すると考えている」と説明された。何気ない一言だが、ここが崇仁地区開発の特徴的な点である。大規模な開発によって崇仁地区が整備されたらこの地域における同和問題はもう解消されるという考え方だ。面白いことに京都市政において最も崇仁地区開発に理解を示しているのが実は「共産党」という。この点については中口も認めた。
京都においては大きな影響力を持つ共産党。通常、共産党と言えば大規模な公共事業、再開発には「反対」の立場を取るものだ。全国的にみても文化財、伝統的な景観などの保護に熱心なのは実は共産党ということもありがちな話。本来ならば保守政党である自民党がより熱心であるべきなのに彼らは時に伝統より開発を選択する。こんな話もある。京都の場合、面白いことに西陣織りなど伝統産業の保護に努めてきたのは共産党だった。
「もちろん伝統を守るというのもあるが、伝統産業は零細企業が多い。むしろ労働問題や小規模事業者支援という目的があるからだ」(京都市政関係者)
そんな事情を抱える共産党。話はそれたがともかく街の「開発」に対して強く反対するのは往々にして共産党である。それでも崇仁地区開発に対して賛同するのは「同和問題」に対するスタンスだろう。つまり開発によって崇仁地区が整備されれば、この地区は“解放”されるというわけだ。もし再開発が達成され崇仁地区に大規模な商業施設、オフィスビル、ホテルが建ったら部落も何もない。最新のビルを指さしここが部落だったと声を挙げることは何ら意味がない。だから共産党が崇仁開発に賛成するのは納得できるし、また従来の共産党や人権連の主張とも矛盾はしない。
ただ小林節という人物が果たしてどこまで、また何ができるのかは未知数だ。特に政治活動については大失態の過去がある。小林の最近の活動として最も大きなアクションだったのが2016年、打倒安倍政権を掲げ自ら代表となって旗揚げした政治団体「国民怒りの声」だ。当時、東京・四谷で開催された設立報告会を著者も取材した。当然、小林も参加するものだと思いきや、なんとまさかのビデオメッセージでの参加だ。本来なら本人が出て意欲を語るべきところである。このため会場からは不満の声も漏れた。国民怒りの声から昭和の名優、宝田明も出馬に意欲を示したが結局は断念。何ら成果が無く終わった。この辺りがとても“学者的”である。論評はすれども行動力はないといったもので、まさか小林がどぶ板選挙戦ができるとは思えない。そんな小林が日本最大級のタブー地帯、崇仁地区問題をライフワークにするというのだ。そんなきわどい仕事を彼ができるものか見物ではある。もしや狭山弁護団を引き受けたのも崇仁地区問題対策ではなかったかと邪推してしまう。つまり当事者、協力者には甘いという同和の特性を見越した上でのことだったのか。ともかく小林節という表の大物がついて再開発事業が現実味を帯びつつある。