曲輪クエスト(35) 神奈川県横須賀市野比“中村”

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By 宮部 龍彦

横須賀市野比と言えば、「ドラえもん」の主人公的キャラである「野比のび太」の名前の由来になったという説があるが、そこに部落があることはあまり知られていない。

最寄り駅はYRP野比駅。YRP(横須賀リサーチパーク)は駅の北西にあるが、部落は逆方向の南東にある。小字名は「中村」、1934年当時は11戸とちいさな部落である、


部落は小高い場所にあり、坂道の上にある。道は広くはないが、中型トラックなら通れるくらい。このような場所は横須賀ではありふれており、あまり部落という感じはしない。


見るからに金持ちそうな家があり、古い家もあるが、全般に新しい家が多い。家の窓からは海を見渡すことができ、駅は十分に歩いていける距離なので、立地は悪くない。むしろ、いい。

神権連の機関紙、『人権のとも』2007年12月15日号には、横須賀の「B地区」として紹介されている。

『人権のとも』に掲載された、地区内の白髭神社の写真。

これが、その神社である。

意外に立派な神社で、境内の林は天然記念物に指定されているという。

神社の前には広場があって、地域の様々な行事が行われる。

その行事の1つが「中村の虎踊り」。以前、阿波市吉野町の秋祭りの動画を紹介したら、部落の子供を晒し者にしているなどとデタラメなことを言って発狂している人がいたが、この動画にも発狂するのだろうか。これはとても10軒程度の部落では維持できないレベルで、企業からも寄附があり、周囲の住民も祭りに集まって来ていると思われる。どう見ても融和してます。

神社から部落を見下ろす。

広場の横には立派な町内会館があった。

新しい家が立ち並ぶ中にも、田舎らしい民家があり、少しだけかつての部落の面影が垣間見えた。

宮部 龍彦 について

ジャーナリスト、ソフトウェアアーキテクト。信州大学工学部卒。 同和行政を中心とする地方行政のタブー、人権ビジネス、個人情報保護などの規制利権を研究している。「ネットの電話帳」管理人。

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曲輪クエスト(35) 神奈川県横須賀市野比“中村”」への8件のフィードバック

  1. 斉藤ママ

    中村の虎踊りって、中国の春節祭のような感じですね。
    中村には中国人が沢山住んでいるのかもしれません。
    女の子の髪型が、お団子二つの典型的な中国人ですし。
    神戸の春節祭は結構派手にやっているようです。

    返信
  2. 市右衛門

    ここのムラって3枚目の写真の大きな家(A木家)の
    左側の小道(写真だと真ん中)を下って行った辺りだけじゃなかったですかね。
    T浦家とH本家のある辺り。
    明治初期はこの辺にしか民家が見当たりませんし。

    虎踊りは下田から西浦賀への奉行所の移動に由来するとの事ですし、
    西浦賀のムラは奉行所の移動で芝生(現在の浦賀一丁目)に移転してるから
    直接は関係ないと思うんですよ。

    野比は助左衛門文書等に小頭等が置かれた記録が一切無く、
    ペリー来航の1853年に下古沢の太郎右衛門に宛てた文書が確認できる程度です。
    (横須賀の他のムラも全て太郎右衛門の組下でした)

    この前年、1852年に浦賀が太郎右衛門から弾左衛門の直支配になったりしてるので、
    江戸時代後期に海上監視の為に配置されたムラなんじゃないかと思ってます。
    (下級武士が任命された可能性も感じております)

    返信
    1. 鳥取ループ 投稿作成者

      国土地理院航空写真の1946年では、白髭神社の西側に山に張り付くように家が3軒あり、その他の家も現在も古民家が建っている場所と一致しているように見えます。
      明治初期ということは、地図からの判断でしょうか?

      虎踊りの由来は謎が多いです。

      返信
  3. 市右衛門

    今昔マップの明治期迅速測図です。
    2画面だと少しずれちゃってますけど、
    前述の小道が急な下り坂になって海に向かってるのが分かります。
    よく見ていくと当時は道がもっと少なかったようです。
    民家も非常に少ないし。

    この地図と住宅地図、そして前述の資料を合わせて考えると、
    元々の対象エリアはかなり限定されるのではないかと。

    浦賀は西浦賀から浦賀駅前にムラが移転してるので、
    虎踊りがムラに関係するのであれば、
    そちら(浦賀駅前)に伝わってるはずなんじゃないか思ってました。

    武ハイムの取材時の情報源(と思われる)の方も、
    ここは「謎」のムラだ、と仰ってましたっけ。

    返信
    1. 鳥取ループ 投稿作成者

      ありがとうございます。
      歴史的農業環境閲覧システムの方で見ましたけど、道の形は現在も面影があるものの、家の位置など結構アバウトな気がします。白髭神社の場所に神社記号がないですし。
      しかも、家の数が明らかに11軒より多いですね。もしかすると、倉庫や離れも描かれているのかも知れませんが。
      横須賀の団体関係者に聞くと、野比に限らず、横須賀の部落は実はほとんど分かっていないそうです。
      率直に言って、今の時点では混住や開発が進んで、もう跡形もないと言ってました。

      返信
  4. 匿名

    “神社から部落を見下ろす”
    いい加減な事を言うんじゃないよ。
    その写真の家々は、部落でもなんでもないよ。
    元々は、畑だった場所です。

    #d82d58a209798f045e4fede60519ec6e

    返信
    1. 宮部 龍彦 投稿作成者

      申し訳ございません。当時はまだ特定精度が未熟でした。
      神社の西側の「青木」姓が多い辺りで正解でしょうか?

      返信