先月、長野県・善光寺の小松玄澄貫主のセクハラ・パワハラ問題、そして「差別発言」が全国的に報じられた。小松貫主と言えば過去、女性問題などたびたびスキャンダルが報じられた人物。ところが今回の騒動は、過去のスキャンダルと全く異質な様相を呈している。
それは、この差別発言が「部落問題」に関わっているからだ。女性への露骨なセクハラ発言は、大々的に報じられるものの、差別発言についての内容は、謎のまま。ところが「差別発言」という言葉だけが独り歩きしている印象だ。では一体、小松貫主は、どんな“部落差別発言”を発したのか? 現地取材を通してその中身と核心について迫った。
創建1400年を迎える善光寺。江戸時代には、「善光寺参り」が庶民の憧れになり、「一生に一度は、善光寺」と言われるようになった。また“思いがけずにいい方向に向かった”意味として「牛に引かれて善光寺参り」という諺や同寺にちなんだ慣用句は、多い。これだけの伝統と知名度を誇る善光寺のスキャンダルだけに反響が大きいのは、当然のことだろう。
このため騒動の渦中の際は、新聞・テレビ問わず大きく報じていた。朝のワイドショーでは、トップニュースで善光寺問題を報じた局もあった。「善光寺の貫主がセクハラ」というネタは、ワイドショーを賑わすに十分だろう。ところが差別発言について触れると、何やらスタジオに妙な空気が流れていた。
「差別発言については、人権団体と確認中ということです」
ある番組では、アナウンサーがこんな表現をしていた。人権団体とは、言うまでもなく部落解放同盟のことである。団体名を伏せるのは、もちろん“同和タブー”という側面が強いだろう。もちろん朝のキー局の番組中で「部落」だ「エタ」だ「非人」だと言うわけにもいかない。それは、理解できる。しかし団体名を伏せることは、なかろうにとも思ったものだ。ところが今回の取材後、メディアが差別発言問題について慎重だったのは、ただ“同和タブー”だけではないと確信した。
「結論」から言っておこう。実は、差別発言について聞いた当事者以外は“未確認”の状態だった。もう少し言えば「あったとしても誰も決定的な証拠を持っていない」「当事者が直接言われた訳ではない」といった状況だった。本来、新聞もメディアもこれが「差別者」となったら”我こそ善導者”と鬼の首を取ったように”口撃”するものだ。ところが今回は、あまりに鈍い。それは、彼らも”知らない”ということが大きかったかもしれない。
社長は2人? 天台宗、浄土宗で運営される善光寺
舞台は、長野県善光寺。とりあえず周辺の宿坊に聞いて回り証言を固めて徐々に堀を埋めていく戦術を取った。そこでとりあえず目についた宿坊を訪問してみた。「小松管主の差別発言について教えてほしい」こんな風に切り出してみる。するとこの宿坊の住職はこう言った。
「天台宗の院か大勧進で聞いたらどうか」
「うん? 天台宗? ここは違うのか」
恥ずかしながらこういう状態になってしまった。では、檀家や近隣の住民は、どうか?
「うちは浄土宗ですからね。よく分からないけど、小松貫主は立派な方で改革もなさったと聞いていますよ」
あれ? 今度は、意外な評価だ。それにしても浄土宗? 天台宗だけではないのか。脳内に「疑問符」ばかりが浮かび上がる。
今にして思えばリサーチ不足や予習不足を後悔している。もっと善光寺の特徴について知っておかなければならなかった。
ここで善光寺について説明をしておこう。善光寺とは、無宗派の寺院である。天台宗の「大勧進」と25院、浄土宗の「大本願」と14坊によって守られている全国的にも稀な寺院なのだ。報道だけ見ていると小松貫主が善光寺のトップのように思えてしまう。しかし浄土宗側にも大本願上人という最上位の役職者がいる。
善光寺周辺の取材に手詰まりを感じたのでタクシーに乗って市内の関係団体をめぐった時のこと。その時の運転手の解説が分かりやすい。
「そりゃ外部の人に善光寺の仕組みは、難しいでしょ。要するに善光寺という会社に社長(大勧進貫主と大本願上人)が二人いると考えたらいいんですよ。共同代表というのかな」
なるほど。だから浄土宗側の宿坊や檀家に聞いたところで“ヨソの話”ということになる。
ついで運転手にどんな発言があったのか試しに聞いてみた。
「いやー私たちも善光寺で生きているものだから。いろいろ聞いていますが、お話はできませんよ」
なんと職務倫理に忠実な人なのだろう。さすがに善光寺に常駐するドライバーは違う、と妙な感心をしてしまった。
25院中、小松派の住職は8人
善光寺問題について地元の人からも何人か意見を聞いてみた。「また(貫主が)やったのか? という感じ」「もうどうでもいいよ」。おおかたこのようなところだ。試しに市内の共産党の事務所にも行ってみた。共産党は、部落解放同盟と対立関係にある。今回の差別発言も解放同盟が関与してきた以上、何か把握しているかもしれない。ところが「全く関知していない」ということだった。むしろ”なぜウチに来たんだ?”という困惑ぶりがありありと伺えた。
地元の人と話し、善光寺についてもいろいろレクチャーを受けた。その上で宿坊の案内図を見ると、ぐっと理解が深まった。院がつく宿坊は、天台宗、坊がつけば浄土宗。とてもシンプルである。再び善光寺付近に戻り「院」がつく宿坊を取材してみた。住職不在、ノーコメントなどが続いたが、それでもいくつかの事実が浮上した。ポイントは、5つだ。
- 部落差別発言は、昨年の暮れから1月の初旬にあった。貫主が本人に直接言ったわけではなく第三者の伝聞が報告された。
- 部落差別発言を受けた女性が1人、それ以外の中傷を受けたのが1人。
- 25の院の住職のうち小松派は8人にすぎない。
- 小松派の筆頭格が常徳院の住職。
- 確認会は、合計3度。3回目の確認会には、解放同盟側に一山も出席していた。
事実関係について多少の違いは、あったものの、関係者の話をまとめるとこの5点の要素が浮かび上がった。中には、「貫主の布団の中には、長い髪の毛がついている」という露骨な証言も。ここで言う“長い髪”とは「お察しください」としか言いようがない。事実ならば「呆れる」というよりもあの高齢で随分「お盛ん」だと思った。
ここで補足をしておく。(1)は、要するに小松貫主が周辺の人物に例えば「あいつは、部落民だ」「エタ・非人だ」という趣旨の発言をしたのではないか、と。それを聞いた人が報告をしたという。時期も多少の違いがあれこの期間であることは、間違いないようだ(4)の小松派の筆頭格に連絡を取ってみたが、結局、接触することは、できなかった。
(5)一山とは、天台宗側のグループのことだ。この一山会議によって運営などが進められている。過去には、一山のトップだった柳沢貫一・前尊勝院住職らが、小松貫主に民事訴訟を起こしていた。この時は、小松貫主が敗訴し慰謝料まで払ったというが、現在も「貫主」の地位にいる。(その理由は、後編で)
また当初、小松貫主の辞任要求は、天台宗25院の総意だと思っていたが、予想に反して、少なからず小松派も存在していることが分かった。
(5)については、さらに補足が必要かもしれない。ここで「確認会」という用語を初めて聞いた人もいるだろう。確認会そして糾弾会、これは部落解放同盟の象徴的な活動と言ってもいいだろう。先に同和タブーという表現を使ったが、もともと同和がタブーになったのも確認会、糾弾会の存在が大きい。
解放同盟から部落差別と認定された対象は、まずこの確認会への出席を求められる。ここでどういった発言や行為があったか確認される。そして差別を認めると糾弾集会、要するに“吊し上げ”が行われる。かつては、解放同盟が用意した講堂、集会所などで多くの活動家に囲まれ激しい叱責と罵倒が容赦なく浴びせられた。こうした解放同盟の激しい糾弾によって過去には、自殺あるいは精神を病み休職・退職に追い込まれた自治体職員・教職員・その他関連人物も少なからず存在する。だた、現在ではさすがにそのような激しい糾弾は行われなくなり、あらかじめ段取りを決めて、用意された文書を読み上げさせるといったような、儀式めいたものになっている。
無論、確認会・糾弾会には、何ら強制力はない。参加を拒否するのも自由だ。また法務省は、確認会・糾弾会について1989年「確認・糾弾に対する法務省の通知」として解放同盟が主張する「糾弾権」を否定している。ところがそうした通知とは、無関係にいまだに確認・糾弾は、継続されているのだ。
仮に「部落差別」があったとしても解放同盟が「部落民」の代表という訳でもない。また解放同盟に謝罪すれば解決というわけでもないだろう。それに同和団体は、解放同盟以外にも共産党系の人権連、保守系の全日本同和会、自由同和会といった団体がある。ところがこうした団体が確認や糾弾を行うことはない。要するに解放同盟だけが続けている活動なのだ。
繰り返すが確認会、糾弾会には、何の法的根拠もなければ、強制力もない。実際に呼びだされた「差別者」が欠席することもあり、その場合は相手が不在のまま、下品な言い方だが盛大な「オナニー大会」とでも言うべきものが行われるだけだ。ところが未だに素直に応じてしまう個人や団体が後を絶たないのが実情だ。
その理由は、日本の行政・企業の体質がゆえと言う他にない。いかに「差別認定」が理不尽であったとしても「差別行政」「差別企業」と団体名を出されることを異常に恐れるからだ。加えて左派の文化人なる人々の責任も大きい。普段は、反戦、平和、非暴力を訴える人たちがいかに熾烈で理不尽な糾弾であっても「部落民の権利」だとか「弱者の闘争」と賛美する。全く不思議な話である。
そんな血塗られた歴史を持つ儀式。今回は、小松貫主が確認会のターゲットということになる。3度の確認会についての流れは、こうだ。
最初の確認会は、今年1月19日でこの時は、小松貫主の担当弁護士が出席。二回目は、貫主と担当弁護士、そして三度目が担当弁護士のみということ。その後、解放同盟側は、小松貫主に確認会への出席を促したそうだが、貫主は、出なかった。本来ならば解放同盟は、確認会を開いた段階で、機関紙なりWEBサイト上で記事にすることは、よくある話だ。すでに1月に開かれていたのに「貫主が差別発言」「確認会を開催」といった記事は、見なかった。よほど慎重に進めているのだろうか。なお確認会の回数に関しては、特に決まりはない。解放同盟の”さじ加減”一つだ。
この通り、徐々に堀は埋まりつつあったが、核心部分にはまだ遠い。なにしろ肝心な発言内容のことになるとおおよそこういうやり取りになってしまう。
「例えば“あいつ(被害者)は、エタ・非人だ”そう言ったんですか」
「そういうことかな」
「あるいは”部落出身者だ“だとか?」
「そういうことも聞いているし」
どうもすっきりしない。
「エタ・非人」ないし「あいつは、部落出身者だ」。おそらくこんなところだろうとは、思っていた。ただ「差別発言はこれだ!」と言う確証は、まだ得られない。
だんだん取材時間も少なくなってきた。ともかく当たれるものは、当たっておかなければならない。こうした情報を持った上で今度は、善光寺の事務局、大勧進の事務所に取材を試みた。おそらく答えはしないだろうとは、思ったが‥。
スレに関係ない書き込みで失礼します。
本日午後1時半、テレ朝で突然画面が切り替わり、番組中でテレビ局のADのことを士農工商の下と発言した件について丁重なる謝罪が放映されました。通常の言い間違えに関する謝罪より丁寧に説明し、深々と頭を下げていたので、このアナウンサーは部落解放同盟に謝罪しているのだろうなと思いました。どこかに動画がアップされているといいのですがw
このアナウンサーは松坂商業高校の校長みたいに糾弾され続けるのだろうな。
その動画がございましたらぜひお教えください。
もし私は見てないのでなんとも言えませんが、もし事実ならそのうち
テレビタックルあたりで部落差別特集なんて企画が組まれるでしょう。
余談ですが、古くて著名な寺院においては、歴史的な経緯により、複数の宗派にまたがっていたり、または、住職(貫主など宗派により名称は異なる)が2名以上いるケースが時々あります。
10円玉でおなじみの平等院は、天台宗と浄土宗の共同管理となっています。京都は戦乱が多く、権力者が変更するたびに、宗派の変更を繰り返すうちに、混在してしまい、江戸時代に固定し、現在に至っているとのこと。
奈良市に、西大寺の末寺で真言律宗に属する「元興寺」と、東大寺の末寺で華厳宗に属する「元興寺」があります。2寺とも昔は「元興寺」という巨大な寺院の建築物の、それぞれ1部分だったのですが、火災が発生し、焼け跡に別の建物が建つなどしたため、分割して存続する事ととなり、現在に至っています。
山形県寒河江市にある 慈恩寺は、初期のころは法相宗の影響を受け、後に、天台宗、真言宗の影響を受け、戦後は、天台真言両宗兼学の慈恩宗となって現在に至っています。
善光寺以外にも、こういったケースはいくつかあるのです。
テレビでこの問題を取り上げるときにも差別発言としか言わないのでいったいどのような差別発言をしたのか最初は不明でした
女性問題があるので女性蔑視発言とか思いましたがそれならそう放送できるはず。
長野とという土地柄部落問題と勘づきましたがテレビで言わないのではっきりわかりませんでしたがこの記事を見てやはりそうだったのかと思い納得です
わたしたちのように部落に関心のある人なら薄らうすら気がついているのかもしれませんが特に東日本のごく普通の人は普段部落のことなど考えないのでどんな内容の差別発言があったのかわからない人も多いことでしょう
これでは放送やマスコミとしての役割をしていませんね。解放同盟を恐れてメディアまで萎縮してしまっている
解放天国解放支配という恐ろしい状況だ
昔松本明子が生放送で女性性器を叫んでしばらく干されていましたが生放送で「えたー」と叫んだらどうなるか興味あります。誰かやってくれないかなー