今回は四日市市小牧町の古村を訪れた。というのも、筆者によるものではないが、YouTubeに次の動画が上がっていたからである。
動画では昭和の記録映画のような、不気味なBGMが流れる。筆者のYouTubeチャンネルでは部落探訪動画が全てYouTubeによって消されてしまったが、その一方でこの動画は残っている。消されるかどうかの基準はどこにあるのか、謎が多い。
そして、以下が筆者によるクエスト動画である。
『三重県部落史料集(近代篇)』に掲載された資料によれば明治初期は25戸、1930年は43世帯あったという。明治初期は小牧村、後に保々村。現在は四日市市になっている。明治の地図には小牧千栗と記されている。
小字は千栗前。現在は千栗あるいは隣の市場町の小字大丸にも広がっている。
今回は焼肉屋がある北側からクエストした。
この「やすらぎ荘」という建物は、和食料理店のようにも見えるが、同和施設である。そのことは四日市市のウェブサイトで公開されており、他に人権プラザ小牧、小牧児童集会所がある。
「やすらぎ荘」の周辺は公園もあり、よく整備されている。
そして、このような特徴的な形のニコイチ群が四日市市民にとっての小牧のイメージではないだろうか。見た目からすると昭和50年頃の古いもので、平屋根だったものをあとで改修したように見える。
そこから少し離れると、やや新し目の家が多い田舎の住宅地といった雰囲気だが、なぜか草に埋もれた車をいくつか見かけた。
そして、前にも触れた人権プラザ小牧。隣保館である。住所では市場町であり、古村の中心からは少し離れたところに用地を確保して建てられた。また、現在では旧村名から「保々地区」となっていることが分かる。
すぐ隣りにあるのが児童集会所。前にあるのはお地蔵さんである。
そして、それらの同和施設の前には「中世旧跡」というものがある。どのような遺跡かと言うと、この辺りに城を築いた越前朝倉氏の一族の首塚があったという。そこで気になったのは、近くに朝倉という表札の家がいくつかあったことだ。
その分布を確認すると、見事に古村の中だけに存在している。この村の成立は朝倉氏と何らかの関係があったのではないか。
同和施設やニコイチがある場所は大体、市場町。昔からの村は神明川に近い方の住宅地である。そちらの方にいくと、むしろ大きな家が多いように見えた。
「自警団」という言葉が歴史を感じさせる。
川の近くにも、公園が整備されている。
この建物は「小牧町西農事組合ライスセンター」。農業施設である。
ここで再び、隣保館等がある方に引き返した。
ここには、大樹寺という寺がある。朝倉氏の菩提寺で、臨済宗であるという。
近くに古い墓地があるが、墓石は臨済宗のもの。しかし、東海の古村と言えば浄土真宗のはずなので、これは古村の寺ではないのでは?
地図を見るとまた別の墓地があるようなので、そちらに行ってみた。
こちらの墓地は多くは浄土真宗のもので、古村の中で見かけた山口・坂口といった名字と墓石の名字が一致する。ただ、朝倉はないような?その点をしっかり確認し忘れたので、また付近に来ることがあれば見ておこう。
土地改良事業の石碑には、写真では見づらいが坂口・朝倉両方の名字が確認できる。
なお、菩提寺は圓覚寺である。この寺は、川を挟んで少し離れたところにある。
『保々の中世旧跡』 これですね。
#6da4680bdf14a4bb04cf91a785e6bb91
大磯の大縄橋さんは書物を所有しているので完全に穢多の子孫であると証明できる。
いったい子孫の何%が完全に身分を証明できる書物を持っているのだろうか。
#278fc8072e7ea50eb3a86d186f3b8843
そもそも同和団体は穢多非人とは関係がないからね。
調べる必要がないね。
しょうがないね。
#1118551011371adce909e309122461bc
そういえば解放同盟神奈川県連幹部のNさんは賎民の子孫かどうか分からないと明言していました。
#278fc8072e7ea50eb3a86d186f3b8843
句読点を多用する爺さんが復活している?
差別された甥っ子は元気かな?
#23ffea0790c331284d1a07211592422f
複数IDによる自作自演とコメ欄荒らしで出禁だったはずだが。
#23ffea0790c331284d1a07211592422f
弾左衛門の子孫をインタビューしたら面白いかもしれませんね。連絡先は塩見鮮一郎先生に訊けばわかります。
#d609c616a4f5cfc1479880ffabb5732a