下越地方では、やはり「たいし」と「ワタリ」という言葉が使われる。
『東北・北越被差別部落史研究』によれば「「たいし」の語が今日なお、荒川沿一帯の部落への差別語として生命を持っている」という。一方、今回訪れた小川は三面川沿いにあり、この辺りでは「ワタリ」と呼ばれる。
昭和初期に小川に27戸の部落があったとの記録がある。しかし小川の公民館近くには70戸以上ある。戸数が合わない。
1967年6月『部落』の「新潟の小学校の窓から」という記事に「小川の太陽にも下新保の次郎にも」という記述があるので、小川に部落があったのは間違いないのだろう。
今回は名字分析が役に立った。ふれあいセンターのある場所から少し北の三角形の住宅地に「藤原」が集中しており、部落解放同盟新潟県連の嶋田守雄副執行委員長が「部落姓」だという小池がある。
現地で比較的若い人に聞いたところでは、小川には曹洞宗の寺があり、大部分の住民は曹洞宗であるが、「藤原」が多い辺りだけは浄土真宗なのだという。そして、今は同じ自治会だが、昔は別だった。理由は分からないという。
ところで、村上市では「たいし」が荒川沿いで使われることは一貫している。一方で三面川沿いは「ワタリ」で一貫している。逆に荒川沿いでは「ワタリ」という言葉は知られておらず、三面川沿いでは「たいし」と言っても通じない。
そして興味深いのでは、三面川沿いの高齢者も荒川沿いの部落を知っており、荒川沿いも「ワタリ」という。そして、荒川沿いも同様で、そちらでは三面川沿いの部落も「たいし」と呼ぶ。
いずれも複数の住民から聞いたが、やはり、私が注目した場所だろうということで大体意見が一致していた。ただ、小川に関してはあまり寂れていないためか、あそこが「ワタリ」であるという実感は少ないようである。
現地に来ると、下新保で見られたように、道と住宅の敷地が曖昧な状態になっている場所があった。しかし、ここは比較的立派な家が多く、空き家も少なく、さきほどのふれあいセンター付近との違いはあまり感じられない。
集落の外れに墓地がある。
法名から判断すると、確かに浄土真宗である。その中に宗教色のない墓や、南妙法蓮華経が彫られた墓が混じっている。
「不退」という文字の入った法名が複数あるのが気になった。後で調べてみると、仏教用語で既に得た境地から後戻りしないという意味のようである。
再び部落に戻った。改めて見ると、道は整備され、下水も来ているようである。
これは地蔵。「南無地蔵尊」とある。
こちらは稲荷神社。
残念ながら、由緒を知っている人には会えなかった。
これは小川水明ふれあいセンター周辺で、部落の中にある。ただ、同様の施設は村上市内では部落に限らず各所にあるので、特別に同和対策というわけではないようだ。
群馬県高崎市高浜町の取材をお願いします
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あんたが行けよ
何が知りたいの?
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何か、見どころがありましたらお願いします